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法制化議論の中で「平穏死のススメ」を考える

中途半端とは根本的に異なる「何事もほどほど」に
法制化議論の中で「平穏死のススメ」を考える

「やりすぎの医療」、「やらなさすぎの医療」は許されず

 1967年に医学部を卒業後、インターン・大学病院勤務と並行して父親の救急病院を手伝ってきました。国道246号線に面しているためか、交通事故の若い患者さんが多く、また今のようにある程度病状により搬送先の病院が決められているわけではなかったので、専門以外の病気でも何でも診療をしていたものでした。

 当時と比べると、今は患者さんの年齢構成も高くなり、100歳の方が入院なさることも時折あります。認知症の方も多いために看護師さんはじめ、スタッフが色々と苦労している毎日です。

 2016年の日本の総人口1億2702万人の内、65歳以上の割合は26・9%となっています。58年には40%近くになるという推計もありますから、患者さんの高齢化はさらに進んでいくでしょう。

 さらに数字をみると、日本の年間死亡数は14年に127万3020人となっています。老化という生理的変化による死亡、老化した状態に加えて臓器不全などの症状悪化による死亡、すなわち「老人」の終末期医療が問題となっています。

 医療として大きく分けると在宅での医療と病院での医療の二つがあります。また、介護としては、在宅介護と施設などでの入所介護があります。介護施設でのお看取りは随分多くはなってきましたが、それでも多くの方が病院に転院して死亡しているのが現状です。

 国は、医療費と介護費を抑制する為、家族に過度の負担のかかる在宅医療・在宅介護を推進して、病院の介護療養病床を廃止しようとしています。

やりすぎ、やらなさすぎの医療は許されず


 また、尊厳死法制化も議論されています。末期患者の状態は無意味で無益な生であるから、不要な老人は迷惑な存在であり、早期に生を終わらせてもよいと考える危険な優性思想がちらちら見え隠れしています。

 “生老病死”は人間の避けがたい宿命であり、“不老不死”はありえません。死を受け入れ、どのような終末期医療をするのか、もっともっと議論されてしかるべきと考えています。決して画一的に決めるのではなく、患者さんのリビングウイル(生前の意思)を基に、医師から病状の十分な説明を受けて納得した上での終末期の医療がなされるべきと考えています。

 その際、「やりすぎの医療」、「やらなさすぎの医療」は、決して許されず、中途半端とは根本的に異なる「何事もほどほど」がよいと思っています。国民一人ひとりが安楽死・尊厳死・平穏死について熟慮し、議論することが必要と考えます。

 是非、石飛幸三先生の「平穏死のすすめ」の御一読をお勧め致します。
(文=古畑正・古畑病院院長) 

日刊工業新聞2016年8月19日「病院長のつぶやき」
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
親子であっても夫婦であっても死に向き合う相手の本当の気持ちは分からない。しかも日々葛藤があろう。ほどほどの加減もそれぞれだろう。自分の親に対しても、もっとこうしてあげれば、という思いもある。生き様と死に様は表裏一体。肉体的ではない「人の寿命」と向き合いたい。

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