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53億円のゴッホ「ひまわり」は、いい買い物だったのか?

損保ジャパン日本興亜美術館開館40周年
東京新宿区の損保ジャパン日本興亜本社ビルの42階。現代日本人美術家やゴーギャンなど印象派の画家の作品が並ぶ中、とりわけ人を惹きつける作品がある。ゴッホの「ひまわり」だ。

 「どこの会社が買ったのかと思ったら、自分の会社だった」。損保ジャパン日本興亜美術館の中島隆太館長は冗談交じりに当時を振り返る。

 「ひまわり」は87年、安田火災海上保険(現損保ジャパン日本興亜)が、約53億円(当時の為替換算)で落札した。一枚の絵の取引としては最高額だった。
 
 中島館長は「7月に開館40周年を迎えた当館にとって、『ひまわり』の購入は大きな転換点になったのでは」と語る。
 
 入館者数は86年の約3万人が87年に24万人、88年に21万人と「ひまわり」効果が如実にあらわれた。
 
 美術館の認知度が上がったことで、若手画家の展覧会や表彰企画も盛り上がりを見せるようになった。
  
 メセナ(企業の文化支援)が盛り上がりを見せた時代背景も追い風になり、企業ブランドも中長期で高まった。
 
 一方、批判も起こった。バブルの最中でもあり、結果的に日本の企業や個人が海外の絵画を買い漁る先例となった。90年には大昭和製紙(現日本製紙)の名誉会長だった斉藤了英氏がゴッホとルノワールの2作品を計244億円で落札。斉藤氏は「死んだら絵を棺桶に入れてくれ」と語り、顰蹙を買った。

 「ひまわり」の落札額を同社の当時の契約者数で割ると、一人400円程度になった。後藤康男社長(当時)は「(400円を契約者に戻すのではなく)文化遺産に生かす。企業だからできることがある」と語った。
 
 バブル期に日本人が買いもとめた絵画がその後、海外に買い戻されたケースは少なくない。現在、アジアでのアート売買の中心は中国人投資家になった。かつての日本の「アートバブル」は異常だとしても、日本の市場は冷え込み、浮上の兆しはない。
 
 美術館を運営する企業財団は経営資源が本体の活動に左右されがちだ。景気の波にもさらされるし、株主から費用対効果を問われる可能性もある。だが、逆説的だが、大企業だからこそ短期的な視点でなく取り組める活動もある。
 
 中島館長は「作品を後世に残すことが美術館の大きな使命。企業が携わっているからできることもある」と語る。実際、今となっては文化遺産として、「ひまわり」が日本にある意味は大きい。後藤氏は未来への慧眼があったのかもしれない。
 
 中島館長は「ひまわりの購入は確実にプラスだった」と振り返る。「美術作品の与える感動はお金に換算できない。お金に換算できない価値が最近は高まっている。我々のグループも保険を販売しながら、(数値化できない)安心・安全・健康に資するサービスの提供を目指している。これまで以上に、美術館がグループで果たせる役割も増えるのでは」と意欲を見せる。

 最近は「ひまわり」が同館にあることを知らない人も増えてきているという。東京五輪イヤーの2020年はゴッホ没後130年になる。「当館も東京を一緒に盛り上げたい。『ひまわり』で何か仕掛けをつくれれば」と目を輝かせる。
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日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
88年には三越がピカソの「軽業師と若い道化師」を43億円(当時の為替レート換算)、89年にはリゾート開発の日本オートポリスがピカソの「ピエレットの婚礼」を71億円(同)で購入しています。

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