高校野球開幕!生まれ変わる投手の肘。トミー・ジョン手術の秘密
松坂、マー君、ダルビッシュも経験したピッチャーの宿命
開幕した高校野球に、これから優勝争いの佳境を迎えるプロ野球や米大リーグ。国内外で華々しく活躍する選手達だが、常に大けがのリスクと隣り合わせにある。その一つが肘の故障。日本では子どもの頃からの“投げ過ぎ”は以前から指摘されてきた。甲子園に出場、その後、米大リーグに挑戦した松坂大輔、田中将大、ダルビッシュ有などの超一流投手も肩や肘の故障を経験している。こうした肘靱帯(じんたい)の痛みを治療するのが「トミー・ジョン手術」。すっかり有名になったこの手術によって、どのように肘が生まれ変わるのか―。
「理にかなった手法」。トミー・ジョン手術について、こう説明するのは地域医療機能推進機構(JCHO)大阪病院(大阪市福島区)で、主にスポーツ整形を専門にする島田幸造整形外科部長(現救急部部長・スポーツ医学科部長)だ。島田部長は特に手や肘の整形手術実績が豊富。阪神タイガースなどプロ球団トレーナーとも日常的に連携している。
肘の靱帯を断裂した投手が受けるトミー・ジョン手術は肘の内側側副靱帯を切除して体内の別部分から腱(けん)を移植して新たに機能させるもの。米のフランク・ジョーブ博士が考案し、最初にこの手術を受けた投手にちなんで名付けられた。日本人では“サンデー兆治”で有名な元ロッテの村田兆治投手やメッツの松坂大輔投手らに施術した例がある。
島田部長は投手が肘を痛める原因として「まずは投げすぎがあり、次に肩や肘に負担がかかりやすいフォームでの投球にある」と指摘する。早い場合、9歳から肘を故障する人がいるという。
子どもは靱帯がしなやかで簡単に切れにくいが、骨が未完成のために剥離骨折を誘発してしまうようだ。大人は骨が出来上がっているが、投球を続けるストレスで内側の靱帯が断裂する。「バチッと切れるのではなく、部分断裂を繰り返して切れる」(島田部長)。
大リーグの場合、投手の登板間隔が中4日で1試合100球を投げると交代するのが近年主流になりつつある。レンジャーズのダルビッシュ有投手が、今年のオールスターゲーム前、「中4日は短すぎる」と発言して注目された。島田部長も「中6日が多い日本と比べて短い」というが、「肘の靱帯故障は“確率論”になる。中6日でもケガする人がいる半面、中4日で平気な選手もいる」と分析。
現場を預かる立命館大学野球部の松岡憲次監督は「投げ込んで投手の土台を作るのが基本。上の舞台に進む選手は特にそう。ただ以前よりは格段に肘や肩の具合に気を配っている」と話す。
一方で同じく投球動作を必要とする他のスポーツではどうか。全米アスレチックトレーナーズ協会(NATA)の公認アスレチックトレーナー(ATC)の資格を持つ立命館大学アメリカンフットボール部の東伸介トレーナーは「アメフトで投球する唯一のポジションのクオーターバック(QB)は全力で投げる回数や球数が少なく、肘障害はほとんどない」と話す。米アメフトのプロリーグ・NFLでは肘関節のケガは全体の2%以下だが、大リーグの調査では投手の肘関節障害は全体の25%に上る。
肘靱帯を治すトミー・ジョン手術は今や「世界標準」になった。部分断裂を繰り返して靱帯が弱くなっているのを“一から肘を作り直す”手術で、主に利き腕でない方の手首の「長掌筋腱」という部位を採り、故障部に移植する。この場合は投球動作に関係なく、移植しても支障が少ない。足の靱帯から移す場合もある。もちろん自家移植のためにドナー(提供者)待ちが起こらず、拒絶反応などの心配がない。
再生医療の観点では、将来はiPS細胞(人工多能性幹細胞)で腱自体を作り、移植することも不可能ではないだろう。そのためには痛みが出ないような措置が求められる。
「靱帯は一度痛めると瘢痕(はんこん)化といって硬くなる。そうなると痛みが残る。痛ければ投手のコントロールは定まらない。ストライクゾーンで生計を立てているプロ投手にとってもトミー・ジョンは決断しやすい」(島田部長)とみる。執刀医にとっても「プレッシャーのかかる手術ではない」ことや、靱帯の入れ替えでの手術成功が国内外での“爆発的普及”につながった。靱帯再建手術として保険適用もされている。日本国内では、トミー・ジョンを少しアレンジした形で、慶友整形外科病院(群馬県館林市)の伊藤恵康医師が考案した「伊藤法」が現在、主流になっているという。
年10例程度の肘手術をこなす島田部長だが、肘手術を実施すると「復帰に1年はかかるため、学生は慎重にならざるを得ない」と話す。米では「少しでも痛いと感じれば、すぐトミー・ジョン手術を受ける」風潮すらあるが、日本ではメスを入れることへの抵抗感が大きいのが現状だ。島田部長が「手術後も肘に負担がかからない投げ方を身に付けなければトミー・ジョン手術を施行する意味がなくなる」と話すように、約9カ月のリハビリが本格回復への大切な期間になる。
「肘は消耗品」との考え方が浸透する米国では、子どもに野球以外のスポーツをプレーさせて、故障のリスクを分散できる環境がある。日本では「どうしても野球一辺倒になる」(島田部長)ことも靱帯故障の遠因といえる。
(ジョーブ法<トミー・ジョン手術>【左】と伊藤法【右】島田氏の資料から作成)
トミー・ジョン手術がここまで受け入れられているのは成功率の高さが背景にある。ジョーブ博士が最初にこの手術を実施したのが1974年。「成功率は数%」から始まり、40年の時を経て手術自体も進化を遂げた。島田部長は「トミー・ジョン手術を受けた選手の90%近くが復帰できる。スポーツ手術でここまで高い割合での成功事例はほかにない」と断言する。同じ野球でも肩の故障の場合、関節の自由度が高い分、完治しにくく復帰が難しくなる。肘は曲げ伸ばしだけという側面もある。
島田部長は「トミー・ジョン手術が広まって認知されて以降、肘は『積極的に手術しよう』という流れができた。肩はメスを入れたら投手としての選手生命は終わりという概念がある」と分析する。
プロ、アマチュアを問わず日本の野球界には勝利至上主義があり、投げすぎの代償に肘を壊してしまうケースはやはり多い。こうした中、復活が難しいとみられた多くの名選手を蘇生させてきた「イノベーション」と呼ぶに値するトミー・ジョン手術。選手の復活は医療関係者も胸がすく思いだ。
(文=林武志)
※内容は肩書きは当時のもの
理にかなった手法
「理にかなった手法」。トミー・ジョン手術について、こう説明するのは地域医療機能推進機構(JCHO)大阪病院(大阪市福島区)で、主にスポーツ整形を専門にする島田幸造整形外科部長(現救急部部長・スポーツ医学科部長)だ。島田部長は特に手や肘の整形手術実績が豊富。阪神タイガースなどプロ球団トレーナーとも日常的に連携している。
肘の靱帯を断裂した投手が受けるトミー・ジョン手術は肘の内側側副靱帯を切除して体内の別部分から腱(けん)を移植して新たに機能させるもの。米のフランク・ジョーブ博士が考案し、最初にこの手術を受けた投手にちなんで名付けられた。日本人では“サンデー兆治”で有名な元ロッテの村田兆治投手やメッツの松坂大輔投手らに施術した例がある。
島田部長は投手が肘を痛める原因として「まずは投げすぎがあり、次に肩や肘に負担がかかりやすいフォームでの投球にある」と指摘する。早い場合、9歳から肘を故障する人がいるという。
子どもは靱帯がしなやかで簡単に切れにくいが、骨が未完成のために剥離骨折を誘発してしまうようだ。大人は骨が出来上がっているが、投球を続けるストレスで内側の靱帯が断裂する。「バチッと切れるのではなく、部分断裂を繰り返して切れる」(島田部長)。
大リーグの場合、投手の登板間隔が中4日で1試合100球を投げると交代するのが近年主流になりつつある。レンジャーズのダルビッシュ有投手が、今年のオールスターゲーム前、「中4日は短すぎる」と発言して注目された。島田部長も「中6日が多い日本と比べて短い」というが、「肘の靱帯故障は“確率論”になる。中6日でもケガする人がいる半面、中4日で平気な選手もいる」と分析。
現場を預かる立命館大学野球部の松岡憲次監督は「投げ込んで投手の土台を作るのが基本。上の舞台に進む選手は特にそう。ただ以前よりは格段に肘や肩の具合に気を配っている」と話す。
投手に多い故障
一方で同じく投球動作を必要とする他のスポーツではどうか。全米アスレチックトレーナーズ協会(NATA)の公認アスレチックトレーナー(ATC)の資格を持つ立命館大学アメリカンフットボール部の東伸介トレーナーは「アメフトで投球する唯一のポジションのクオーターバック(QB)は全力で投げる回数や球数が少なく、肘障害はほとんどない」と話す。米アメフトのプロリーグ・NFLでは肘関節のケガは全体の2%以下だが、大リーグの調査では投手の肘関節障害は全体の25%に上る。
肘靱帯を治すトミー・ジョン手術は今や「世界標準」になった。部分断裂を繰り返して靱帯が弱くなっているのを“一から肘を作り直す”手術で、主に利き腕でない方の手首の「長掌筋腱」という部位を採り、故障部に移植する。この場合は投球動作に関係なく、移植しても支障が少ない。足の靱帯から移す場合もある。もちろん自家移植のためにドナー(提供者)待ちが起こらず、拒絶反応などの心配がない。
再生医療の観点では、将来はiPS細胞(人工多能性幹細胞)で腱自体を作り、移植することも不可能ではないだろう。そのためには痛みが出ないような措置が求められる。
日本に「伊藤法」
「靱帯は一度痛めると瘢痕(はんこん)化といって硬くなる。そうなると痛みが残る。痛ければ投手のコントロールは定まらない。ストライクゾーンで生計を立てているプロ投手にとってもトミー・ジョンは決断しやすい」(島田部長)とみる。執刀医にとっても「プレッシャーのかかる手術ではない」ことや、靱帯の入れ替えでの手術成功が国内外での“爆発的普及”につながった。靱帯再建手術として保険適用もされている。日本国内では、トミー・ジョンを少しアレンジした形で、慶友整形外科病院(群馬県館林市)の伊藤恵康医師が考案した「伊藤法」が現在、主流になっているという。
年10例程度の肘手術をこなす島田部長だが、肘手術を実施すると「復帰に1年はかかるため、学生は慎重にならざるを得ない」と話す。米では「少しでも痛いと感じれば、すぐトミー・ジョン手術を受ける」風潮すらあるが、日本ではメスを入れることへの抵抗感が大きいのが現状だ。島田部長が「手術後も肘に負担がかからない投げ方を身に付けなければトミー・ジョン手術を施行する意味がなくなる」と話すように、約9カ月のリハビリが本格回復への大切な期間になる。
「肘は消耗品」との考え方が浸透する米国では、子どもに野球以外のスポーツをプレーさせて、故障のリスクを分散できる環境がある。日本では「どうしても野球一辺倒になる」(島田部長)ことも靱帯故障の遠因といえる。
(ジョーブ法<トミー・ジョン手術>【左】と伊藤法【右】島田氏の資料から作成)
9割近い選手が復帰
トミー・ジョン手術がここまで受け入れられているのは成功率の高さが背景にある。ジョーブ博士が最初にこの手術を実施したのが1974年。「成功率は数%」から始まり、40年の時を経て手術自体も進化を遂げた。島田部長は「トミー・ジョン手術を受けた選手の90%近くが復帰できる。スポーツ手術でここまで高い割合での成功事例はほかにない」と断言する。同じ野球でも肩の故障の場合、関節の自由度が高い分、完治しにくく復帰が難しくなる。肘は曲げ伸ばしだけという側面もある。
島田部長は「トミー・ジョン手術が広まって認知されて以降、肘は『積極的に手術しよう』という流れができた。肩はメスを入れたら投手としての選手生命は終わりという概念がある」と分析する。
プロ、アマチュアを問わず日本の野球界には勝利至上主義があり、投げすぎの代償に肘を壊してしまうケースはやはり多い。こうした中、復活が難しいとみられた多くの名選手を蘇生させてきた「イノベーション」と呼ぶに値するトミー・ジョン手術。選手の復活は医療関係者も胸がすく思いだ。
(文=林武志)
※内容は肩書きは当時のもの
日刊工業新聞2014年8月13日の記事を一部加筆・修正