仙台発、話題の「足こぎ車いす」ベンチャーがいよいよ一般向けに販売
TESS、「コギー」のECサイトを開設
TESS(仙台市宮城野区、鈴木堅之社長)は、足こぎ車いす「コギー=写真」の電子商取引(EC)サイトを開設し、BツーC(対消費者)向けに販売を始めた。全国146カ所の代理店を通じてリハビリテーション施設などに販売していたが、今後は用途をリハビリに限定せず拡販する。2015年12月期に約1億円だった売り上げを、4年後をめどに4億円まで引き上げる。
コギーは東北大学大学院が開発した介護福祉機器。14年に米国食品医薬品局(FDA)の認証を取得し、米国内で医療機器として認められ、助成金で購入できるようになった。CEマークも取得しており、ECサイトを通じて海外市場も深耕する。
同製品は08年の発売から累計6000台を売り上げている。これまで「Profhand(プロファンド)」の名称で販売していたが、BツーC展開と同時に親しみやすく特徴が分かりやすい名称にした。鈴木社長は「製品を小型化し、子ども用製品を開発したい」とラインアップ拡充に意欲を見せている。
TESSの代表取締役鈴木堅之氏が「足こぎ車いす」に出会ったのは、13年前、テレビの前だった。「たまたま見ていたニュース番組で、東北大学の半田康延教授が開発した『足こぎ車いす』が紹介されていました。足が不自由な人でもスイスイと足で車いすをこいでいる様子に『なんだこれは!』と衝撃を受けました」。
鈴木氏のルーツは意外にも宮沢賢治。大学時代に宮沢賢治にとにかく憧れ、宮沢賢治に関する仕事に就きたいと思っていたところ、岩手県に宮沢賢治の理念に基づいた理想郷を目指して設立される福祉施設があると知り、飛び込んだ。
福祉施設で仕事をしていく中で、障がい者が生活していくためにはリハビリが不可欠だと知った鈴木氏は、リハビリを学ぶために専門学校に通うも、資金が尽きて退学。教員免許を持っていたため公立学校の先生となる。障がい者をサポートする仕事に就きたいと悶々としていた中でちょうど出会ったのが、「足こぎ車いす」だったのだ。
足こぎ車いすが普及し、小さい頃から使用すれば、子供たちが走れるようになるかもしれない。障がい者が自立する手段の1つになるかもしれないと思い、前身企業の門をたたいた。
2002年に入社した前身企業は半田教授を中心に電気刺激治療の研究開発がメイン。社内でも足こぎ車いすを担当したのは鈴木氏一人だった。「医療関係者や大学関係者からは「そんなもので本当にリハビリの効果が得られるはずがない」とあまり相手にされていなかったんです」(鈴木氏)。
大学は億単位の資金を投入し、電気刺激治療は大手企業からも注目されていた。しかし外部協力者が現れずに資金繰りが悪化。2008年に会社をたたむことになってしまった。
そこで同年11月に足こぎ車いすの利権を譲り受け、TESSを設立。しかし金融機関はベンチャーへの出資を渋っている時期で相手にしてもらえなかった。足こぎ車いすを製造するにも、車いすメーカーからも自転車メーカーからも断られた。同年12月には資本金380万円を使い果たしあわや倒産か、という状態になってしまったのだ。
そのピンチをぎりぎりで救ったのが、地元商工会。担当者に足こぎ車いすのビデオを見せると感激してすぐに金融機関に取り次いでくれ、日本政策金融公庫の挑戦支援融資制度を受けることができた。
また、製造に関しては、パラリンピックで使われるような高機能車いすメーカーのオーエックスエンジニアリング(千葉県若葉区)にダメもとで設計依頼。すると、予想外に承諾を得られ、「作成してもらった図面を見ると、今までの試作機とは比べものにならないほどかっこいいデザインで、高性能な足こぎ車いすになっていて驚いた」(鈴木氏)。
出来上がった試作機を病院で試してみると、子供たちが「乗りたい」と寄ってきた。足が不自由な患者も車いすをこぐことができ、これを機に、同社と量産モデルの製作を開始したのだった。
コギーは東北大学大学院が開発した介護福祉機器。14年に米国食品医薬品局(FDA)の認証を取得し、米国内で医療機器として認められ、助成金で購入できるようになった。CEマークも取得しており、ECサイトを通じて海外市場も深耕する。
同製品は08年の発売から累計6000台を売り上げている。これまで「Profhand(プロファンド)」の名称で販売していたが、BツーC展開と同時に親しみやすく特徴が分かりやすい名称にした。鈴木社長は「製品を小型化し、子ども用製品を開発したい」とラインアップ拡充に意欲を見せている。
TESS誕生物語「宮沢賢治への憧れ」
ニュースイッチ2015年06月01日/08日「挑戦する地方ベンチャー」より
TESSの代表取締役鈴木堅之氏が「足こぎ車いす」に出会ったのは、13年前、テレビの前だった。「たまたま見ていたニュース番組で、東北大学の半田康延教授が開発した『足こぎ車いす』が紹介されていました。足が不自由な人でもスイスイと足で車いすをこいでいる様子に『なんだこれは!』と衝撃を受けました」。
鈴木氏のルーツは意外にも宮沢賢治。大学時代に宮沢賢治にとにかく憧れ、宮沢賢治に関する仕事に就きたいと思っていたところ、岩手県に宮沢賢治の理念に基づいた理想郷を目指して設立される福祉施設があると知り、飛び込んだ。
福祉施設で仕事をしていく中で、障がい者が生活していくためにはリハビリが不可欠だと知った鈴木氏は、リハビリを学ぶために専門学校に通うも、資金が尽きて退学。教員免許を持っていたため公立学校の先生となる。障がい者をサポートする仕事に就きたいと悶々としていた中でちょうど出会ったのが、「足こぎ車いす」だったのだ。
足こぎ車いすが普及し、小さい頃から使用すれば、子供たちが走れるようになるかもしれない。障がい者が自立する手段の1つになるかもしれないと思い、前身企業の門をたたいた。
相手にされなかった
2002年に入社した前身企業は半田教授を中心に電気刺激治療の研究開発がメイン。社内でも足こぎ車いすを担当したのは鈴木氏一人だった。「医療関係者や大学関係者からは「そんなもので本当にリハビリの効果が得られるはずがない」とあまり相手にされていなかったんです」(鈴木氏)。
大学は億単位の資金を投入し、電気刺激治療は大手企業からも注目されていた。しかし外部協力者が現れずに資金繰りが悪化。2008年に会社をたたむことになってしまった。
そこで同年11月に足こぎ車いすの利権を譲り受け、TESSを設立。しかし金融機関はベンチャーへの出資を渋っている時期で相手にしてもらえなかった。足こぎ車いすを製造するにも、車いすメーカーからも自転車メーカーからも断られた。同年12月には資本金380万円を使い果たしあわや倒産か、という状態になってしまったのだ。
子供が「乗りたい」車いす
そのピンチをぎりぎりで救ったのが、地元商工会。担当者に足こぎ車いすのビデオを見せると感激してすぐに金融機関に取り次いでくれ、日本政策金融公庫の挑戦支援融資制度を受けることができた。
また、製造に関しては、パラリンピックで使われるような高機能車いすメーカーのオーエックスエンジニアリング(千葉県若葉区)にダメもとで設計依頼。すると、予想外に承諾を得られ、「作成してもらった図面を見ると、今までの試作機とは比べものにならないほどかっこいいデザインで、高性能な足こぎ車いすになっていて驚いた」(鈴木氏)。
出来上がった試作機を病院で試してみると、子供たちが「乗りたい」と寄ってきた。足が不自由な患者も車いすをこぐことができ、これを機に、同社と量産モデルの製作を開始したのだった。
日刊工業新聞2016年8月5日