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「自動運転」という言葉が誤解を与えている

テスラの事故に臆さず、安全運転サポート技術の普及を
「自動運転」という言葉が誤解を与えている

日産のミニバン「セレナ」

 自動車の自動運転の研究が進んでいる。ただ新たな概念であるだけに、普及に向けた十分な社会的理解を得られていない。自動車メーカーは安全確保を第一に、利用者に正確な情報を伝えるよう努力する必要がある。

 日産自動車は「走る・曲がる・止まる」という三つの基本機能すべてに自動運転技術を盛り込んだ車を今月下旬に発売する。売れ筋のミニバン「セレナ」の一部改良に併せ、自動運転システム「プロパイロット」に搭載するものだ。

 この方式は、周辺環境が認識しやすい高速道路での単一レーン走行を前提に、ドライバーが事前に設定した車速で前の車と一定の車間距離を保って走る。前車が停止した場合は、車を止める自動ブレーキ機能を持つ。また車がレーン中央を走るよう自動操舵(そうだ)する。渋滞中などの追突事故防止には威力を発揮するのではないか。

 折しも米国では、電気自動車(EV)専業のテスラモーターズの自動運転車が5月に初の死亡事故を起こしていたことが明るみに出た。ドライバーが運転中にDVDを鑑賞していたのではないかという疑いが報じられている。

 テスラの自動運転システムは、米国道路交通安全局による定義では「レベル2」に位置するものだという。これは日産の新システムと同レベルである。自動運転システムは加速・操舵・制動のうち二つ以上を同時に行うが、運転の責任そのものは運転席に座るヒトにある。

 「自動運転」という言葉が誤解を与えていないだろうか。米国当局が「レベル4」と定義づけた完全自動運転や無人運転だけが自動運転ではない。現段階では、自動運転システム搭載車といえども運転中にハンドルから手を離したり、DVDを見たりすることは許されない。その違いを自動車ユーザーに周知することが必要だろう。

 こうした新概念のシステムは普及するほど欠点が修正され、事故を減らす効果がある。自動車メーカーはテスラの事故に臆することなく、着実な自動運転車の普及を進めるべきだ。
日刊工業新聞2016年8月2日
原直史
原直史 Hara Naofumi
自動運転という言葉の意味が明確に定義されないまま、独り歩きしている嫌いがある。本来は、安全運転サポートとも呼ぶべき有人を前提にした技術に対する評価と、無人での自動運転を目的とした技術への評価は、社会的利用価値からして、分けて考えるべきだと思う。前者は人間が安全に車を運転できるよう、可能な限り機械側で補おうとするものであり、この技術の普及は、記事にもあるように、事故を大幅に減らすことにつながる。日本のように高齢者ドライバーが増えていく社会では、運転能力の衰えをカバーしてくれる自動車の登場は福音だ。そのような車に対する高齢者の需要が期待できるだけでなく、高齢者の行動範囲を拡大し、社会の活性化にも貢献するだろう。

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