マツダの海外進出を陰で支えてきた実力サプライヤー。次の大口顧客を獲得する戦略は
ヒロテック、「設備から入って部品へと広げたい」
マツダ系部品メーカー最大手格のヒロテック(広島市佐伯区、鵜野徳文社長)。自動車のドアの製造をまるごと請け負うユニークなビジネスモデルで知られる。ドアだけでなく、その生産に必要な金型や溶接ラインなどの設備メーカーとしての顔も持つ。それにマフラーなど排気系部品を加えた三つの事業が柱だ。中長期的な視点に立って海外進出を進めてきた結果、海外8カ国に事業拠点を持つに至った。
「身の丈に合ったペースで、小さく産んで育てる形で海外展開してきた」。鵜野徳文社長は振り返る。海外進出の皮切りとなったのは1987年の韓国(京畿道安城市)と88年の米国(ミシガン州アーバンヒルズ)で、ともに生産設備事業の拠点。部品に比べ大きな建屋や機械が不要で投資が抑えられた。米国では社員5人、レンタル工場でスタートし、ゼネラル・モーターズ(GM)と取引できるまでに5年かかったという。
次に海外進出したのがドアなど「ふた物」事業。98年のメキシコ(グアナフアト州シラオ)を筆頭に、04年の豪州(南オーストラリア州エディンバラ・ノース)、06年に中国(広西チワン族自治区柳州市)と続いた。
ドアの生産はもともとマツダ向けに培ったビジネスだが、米国での生産設備事業の実績が信頼を生み、GMから促される形で海外展開してきた。そして最後に海外進出したのが排気系部品。中国で06年に南京市、07年に長春市に工場進出。12年にはタイ・ラヨン県に進出、とマツダの海外展開を支えながら進出してきた。
三つの事業がくしくも約10年おきに海外に出てきたことになる。中でもメキシコ子会社は約1300人の社員を抱え、今や日本を上回るグループ最大の拠点となった。「メキシコや米国では勤続15年とか20年といった人が育ち、管理職として働いてくれている」(鵜野社長)。人材の厚みが強みだ。
課題として挙げるのは海外拠点の機能強化。量産部品の工場に、生産設備を製造できる機能を持たせる。部品工場としては設備対応力が高まり、そこでつくる設備も現場のニーズをくんだ使い勝手の良いものに仕上がる。すでにメキシコではこうした体制を整えた。日本の本社のミニ版である「ミニヒロテック」と呼び、各国に展開したい考えだ。
(インド子会社では約250人のエンジニアが働き設備設計を受け持つ)
もう一つの課題は成長市場への事業展開。次の成長をにらんで常に手を打っている。興味深いのが05年に設立したインドでの取り組み。もともと米子会社が中心に設備設計を委託していた。日本からも委託するなど徐々に業容を拡大し、14年には生産設備の工場を設置。いまや約250人のエンジニアを抱えるまでになった。
また欧州でのビジネス拡大は、マツダ、GMという大口顧客に次ぐ取引先を開拓するためにも重要。11年にドイツに子会社を設立し、現地車メーカーに向け設備の営業を始めた。「設備から入って部品へと広げたい。チャンスはある」(同)。
日本の新入社員も、海外勤務があることを前提に採用している。キャリアの中で2回くらいは海外駐在を経験するという。海外展開を支える人材の育成にも力を入れる考えだ。
(文=広島・清水信彦)
「身の丈に合ったペースで、小さく産んで育てる形で海外展開してきた」。鵜野徳文社長は振り返る。海外進出の皮切りとなったのは1987年の韓国(京畿道安城市)と88年の米国(ミシガン州アーバンヒルズ)で、ともに生産設備事業の拠点。部品に比べ大きな建屋や機械が不要で投資が抑えられた。米国では社員5人、レンタル工場でスタートし、ゼネラル・モーターズ(GM)と取引できるまでに5年かかったという。
次に海外進出したのがドアなど「ふた物」事業。98年のメキシコ(グアナフアト州シラオ)を筆頭に、04年の豪州(南オーストラリア州エディンバラ・ノース)、06年に中国(広西チワン族自治区柳州市)と続いた。
「ミニヒロテック」を次々世界へ
ドアの生産はもともとマツダ向けに培ったビジネスだが、米国での生産設備事業の実績が信頼を生み、GMから促される形で海外展開してきた。そして最後に海外進出したのが排気系部品。中国で06年に南京市、07年に長春市に工場進出。12年にはタイ・ラヨン県に進出、とマツダの海外展開を支えながら進出してきた。
三つの事業がくしくも約10年おきに海外に出てきたことになる。中でもメキシコ子会社は約1300人の社員を抱え、今や日本を上回るグループ最大の拠点となった。「メキシコや米国では勤続15年とか20年といった人が育ち、管理職として働いてくれている」(鵜野社長)。人材の厚みが強みだ。
課題として挙げるのは海外拠点の機能強化。量産部品の工場に、生産設備を製造できる機能を持たせる。部品工場としては設備対応力が高まり、そこでつくる設備も現場のニーズをくんだ使い勝手の良いものに仕上がる。すでにメキシコではこうした体制を整えた。日本の本社のミニ版である「ミニヒロテック」と呼び、各国に展開したい考えだ。
(インド子会社では約250人のエンジニアが働き設備設計を受け持つ)
興味深いインドの取り組み
もう一つの課題は成長市場への事業展開。次の成長をにらんで常に手を打っている。興味深いのが05年に設立したインドでの取り組み。もともと米子会社が中心に設備設計を委託していた。日本からも委託するなど徐々に業容を拡大し、14年には生産設備の工場を設置。いまや約250人のエンジニアを抱えるまでになった。
また欧州でのビジネス拡大は、マツダ、GMという大口顧客に次ぐ取引先を開拓するためにも重要。11年にドイツに子会社を設立し、現地車メーカーに向け設備の営業を始めた。「設備から入って部品へと広げたい。チャンスはある」(同)。
日本の新入社員も、海外勤務があることを前提に採用している。キャリアの中で2回くらいは海外駐在を経験するという。海外展開を支える人材の育成にも力を入れる考えだ。
(文=広島・清水信彦)
日刊工業新聞2016年7月27日