「均等法」第1世代、勤続35年の女性記者が振り返るキャリア
男女雇用機会均等法が1986年に施行され、第1世代に当たる筆者は数年後に日刊工業新聞社に入社した。そして35年、幸い記者職のまま60歳の区切りを、間もなく迎える。取材・執筆した記事をスクラップしたA4ノートは44冊に上る。
1番の思いは「体力も精神力もさほど強くない私が、社会に貢献する仕事をやり遂げられた」ということだ。大学院生の頃に進路を研究者から新聞記者に変え、意外にも性に合うことを知った。同時に長年、胃痛と不妊症に苦しみもした。
20年前に大学・産学連携の担当記者という、ある種の天職に巡り合った。一方で更年期の不安感が強く、涙ながらの時もあった。人間関係を含め、多くの社会人に共通する悩みを振り返っている。
女性活躍の切り口でみると、時代の恩恵を強く受けてきた。年長の「お姉さん」の多くは社会人になる時に「大卒の女性など採用しません」と企業に拒まれた。数え切れない悔しさを乗り越え、必死に働いて女性の活躍の場を切り開いてくれた。私は「生まれがもう少し早かったら、職業人の道を諦めていたかもしれない」と思うだけに、先達への尊敬の念がやまない。
翻って「妹たち」は育児休業の制度整備のエポックもあり、自然体で自分らしく、仕事を通じて社会をよくする意識を皆が持つ。もちろん上位職での女性増や夫婦ともの育休取得、選択的夫婦別姓など課題は今もある。
人間たるもの、個人的なものを含めて悩みは尽きない。しかし時代は常によい方向に向かうものだ、と私は信じている。何十年も滞っていた問題が1、2年で進展することもある。次の時代を作り出す気持ちをすべての女性に持ってほしい、と心から願っている。
日刊工業新聞 2024年09月16日