米中対立激化で立ち上げた国際化事業が拡大、JST理事長が語る次の一手
科学技術振興機構(JST)の橋本和仁理事長は就任3年目。米中対立激化を受けて立ち上げた国際化事業が着々と拡大している。この2年で西側先進国と東南アジア諸国連合(ASEAN)との関係強化に手を打った。共同研究を介した若手研究者の交流が進んでいる。3年目の一手はどこか聞いた。
-2023年度の総括は。
「23年度は三つの取り組みが進んだ。『国際化』と『若手の活性化』、研究と行政の現場をつなぐ『現場重視』施策だ。まず若手の活性化では通称BOOST(次世代AI人材育成プログラム)が始まった。人工知能(AI)分野に挑戦する博士課程の大学院生向けに1人年間390万円を提供するプログラムだ。全体で600人程度の支援が計画されている。AI人材の不足は深刻なため、他の領域からも若手を募る。例えばAI×バイオやAI×マテリアルなど、AI技術を使って科学研究を飛躍させる挑戦を促したい」
「AI分野の若手は引く手数多だ。就職か進学かで悩み、企業の給与水準は高い。そのため大学院生向けの他のプログラムよりも支援が厚くなっている。大学院を卒業した若手研究者向けの支援も公募を始めた。こちらは国立研究開発法人(国研)と大学を兼務するクロスアポイントの形で実質的な給与を増やそうという試みだ。ただ現場が難色を示していた。クロアポで若手を受け入れるには規定や体制の整備が必要なためだ。国としては、がんばっている若手を奨励したい。優秀な若手に支援が届くよう働きかけていく」
「研究と行政をつなぐ現場重視では米科学振興協会(AAAS)のように若手を行政や政治の現場などに派遣するフェローシップ制度を始めている。最初の3人が決まり、施策として機能するか検証しながら進めていく。研究者の声を政策に届ける仕組みとしては150人委員会が動いている。一流研究者たちから生の声を集める仕組みだ。科学技術政策を立案する際に最新の知見を反映できるようになる。同様に科学を応援する立場の人たちの声を集めてJSTの事業に反映させた。スタートアップ支援のD-Global(ディープテック・スタートアップ国際展開プログラム)の設計にあたって、スタートアップ経営者やベンチャーキャピタル(VC)などにヒアリングしている。すると大学で研究成果が出てからVCや新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)などから事業化支援を受けるまでの間に溝があった。研究成果を応用してビジネスのタネを作る探索資金がないと指摘された。それならばと大学研究室への補助を決めた。調査結果では出資を受けるまでの期間は8뗙10カ月だった。うまくいくものは1年以内に次の資金を得ている。そこから1年という支援期間を設定した。スタートアップの創出は日本の重要課題だ。しっかりと進めたい」
-国際化はいかがですか。
「24年度はインドとの頭脳循環施策を立ち上げる。国際頭脳循環は、まず先進国を対象にASPIRE(先端国際共同研究推進事業)を立ち上げた。欧米のトップ研究者と日本のトップ研究者の国際共同研究を支援する。次にASEANを対象に若手研究者の交流を促すNEXUS(日ASEAN科学技術・イノベーション協働連携事業)を立ち上げ、公募が始まったところだ。どちらも科学技術外交の重要施策になる。科学技術外交には科学技術のための外交と外交のための科学技術の二つの視点がある。ASPIREはAIやバイオ、エネルギーなどの国の重点分野を強化するために先進国で研究者の関係を深める。科学技術のための外交にあたる。NEXUSは外交のための科学技術にあたり、グローバルサウスとの関係強化のためにアカデミアから頭脳循環を進める。JSTとフィリピン科学技術省で『水の安全保障』をテーマに公募を始めた。ASEANは各国でニーズも体制もさまざまなため、各国の要望に合わせてプログラムをカスタマイズしていく」
-グローバルサウスとの関係強化は先進7カ国(G7)共通の課題です。
「欧米も取り組みを進めている。米中対立以降、各国は中国からの留学生によって研究室が支えられている現実を再認識した。各国が中国との関係を見直し、依存度を下げようと動いている。その流れでASEANが注目されている。教育水準は上がっており人材の宝庫になりつつある。一方でASEAN側に聞くと欧米への警戒心がある。不幸な関係が長く続いた歴史があるためだ。日本への信頼は厚く、統計調査でも最も信頼する国は日本だったそうだ。そこで若手研究者や大学院生に共同研究で来日してもらう。日本での就職も促していきたい。科学技術と外交の両面でASEANは重要な段階にある」
-次の一手がインドですか。
「インドは言うまでもなく人材の宝庫だ。米国立科学財団(NSF)や米国エネルギー省(DOE)、AAASなど、米国では政府機関の役職にインド出身者が就いている。活躍しているのは科学技術分野に限らない。人材の優秀さと国としてのポテンシャルの高さは証明されている。一方で、インドから日本への留学生は圧倒的に少ない。インドでの日本の存在感を高める必要がある。そしてインド側に聞くとやはり欧米への警戒心は高く、日本への信頼は厚い。インド側が懸念しているのは留学生を送り出すと行ったきりになってしまう点だ。米国に定住しインドに戻ってこない。そこで日本とインドを行き来するキャリアや人材を育てたい。JSTの理事長裁量経費から1億円を当てて、大学院生を迎えるプログラムを立ち上げる。大学院博士課程の3年間を1年は日本、2年はインドで研究するスタイルを想定している。大学院生には日本とインドの研究者の共同研究に参加してもらう。卒業後は日本企業への就職を促し、日本とインドを行き来しながらキャリアアップしていくロールモデルを作りたい。物質・材料研究機構(NIMS)でインドから大学院生を招いた際には1人年間200万円ほどかかった。現在は1人300万円ほどかかると見込んでいる。1億円では約30人。これを300人、3000人と広げていきたい。予算は10億円、100億円と必要になる。JSTで施策を検証し、文部科学省に有効性を認められれば政策として大きくなっていくだろう」
-オープンサイエンスの加速に向けデータ連携が重要になっています。産学でも連携できますか。
「NIMSでデータ駆動を立ち上げ、データ駆動の手法は広がった。データの連携はアカデミアではうまくいくだろう。産と学でのデータ連携には課題があるが、改めてAIの学習データとしての重要性が高まっている。信頼できる高品質なデータが求められているためだ。マテリアル分野ではNIMSが音頭を取り、データの質や使いやすさを高める努力がなされている」
「一方でライフサイエンスなどの、大学が整備しているデータベースの扱いが課題だ。素晴らしいデータはあるが、個人に依存しているものが少なくない。研究室の教授が退官したら運営も終わってしまうのではないかと懸念されている。継続性が問題だ。運営経費を考えると、すべてのデータベースを支えることはできない。ライフサイエンスは米国のデータベースが研究をけん引してきたが、海外のデータに依存するのはリスクだ。日本もキラリと光るものを持っている必要がある。将来、苦労することは目に見えており、よい仕組みがないか検討している」
-補正予算の基金事業が大きくなり、大学のリサーチ・アドミニストレーター(URA)や資金配分機関のプロジェクトマネージャーなどの管理人材が不足しています。プロジェクト雇用のため一つの機関に長くとどまれないことも人材が増えていかない原因になっています。
「JSTでは年俸制の定年制職員の枠を設けた。大学や資金配分機関を渡り歩くと退職金が減るデメリットがあった。そこで退職金の分を織り込んだ年俸制の常勤職を設けた。まずは任期制として雇用して適正を確認し、定年制に登用する。24年度は初めての登用審査を控えている。予定通り進めていく。個人にとって年俸制は研究機関を渡り歩きやすくなる。複数の機関で人脈を広げ、研究開発プロデューサーとしての力を蓄えられる。研究機関の悩みは、せっかくいい人がいてもプロジェクトが終わると手放さないといけないことだ。次のプロジェクトを立ち上げ、予算を確保するまで人材をつなぎ留めておく余裕がない。それならばJSTに預けてほしいと言ってきた。次のプロジェクトまでの2年や3年はJSTで面倒を見る。新しくプロジェクトが立ち上がれば元の機関に戻っていく。個人にとってはJSTでの支援ノウハウと大学での業務ノウハウを身に付けられキャリアアップになる。これを成り立たせるのは信頼だ。次もぜひ任せたいと思える人材を預けてほしい」
-JSTが管理人材のバッファーとして機能することになります。抱えられる人数はどの程度になりますか。
「JSTの現在の定年制職員が約600人。順次年俸制に移行し半分の300人までは受け入れられると見込んでいる。イノベーションをプロデュースする人材は、日本にとって確実に必要になる」
-これまで大学などは管理人材を戦略資源と捉えていなかったと思います。民間出身の経験者を当ててしのぐばかりで、能力評価や育成はほぼできていないように思います。
「日本にとって確実に必要な人材だ。JSTでは給与体系を作っているところだ。専門職としてのキャリアを示したい。JSTのキャリアでは最高で理事になれる」
-スキルの標準化などが進めば、NEDOとJSTなどの他省庁の機関同士でも交流が進みますか。
「ジョブ・ディスクリプション(職務定義書)をそろえることも考えたが簡単ではない。やはり職務は異なる。仕組みを整えるよりも先に、実際に人を動かす方が早いと感じている。有効性を示し、それが広く認められたら仕組みを整えていくことになるだろう。仕組みよりも人が先だ」
-国立大学の法人化から20年がたち、さまざまな視点で総括されています。運営費交付金が漸減する中で学長裁量経費の多くが目の前のKPI(重要業績評価指標)達成のためにカンフル剤として使われたという指摘があります。橋本理事長がNIMSやJSTでしたように、理事長裁量経費で新事業のひな形を作り、その実績をもって政策に育てていく、FS(事業化調査)を大学がやればよかったと思います。
「FSは、私が総合科学技術会議(現・総合科学技術・イノベーション会議〈CSTI〉)の議員になって国の予算がどのように決まるか理解して始めた。アイデアや構想でなく、実際に小さく動かして、施策を推進する人材がいること、仕組みとして機能すること、そして成果が見込めることを具体的に示していくのが有効と気が付いた。NIMSで実践し、確かに予算は増えた。ただ民間から見れば、FSはやって当然。それが当たり前だ。FSが私の専売特許であってはならない。大学やアカデミアをけん引する人たちはみな知っておく必要がある」
-知っていればできますか。その余裕がないのだと反論されそうです。
「実際、『橋本はうまくやった』と言われる。だが、そんな甘いものではない。うまくやればできるというものではない。自分の研究のためや、自分の研究分野を代弁するようでは相手にされない。そして私の裁量経費も決して潤沢ではない。さまざまなプランを検討するが、実際にFSに進める案は限られる。さまざまな感触を確かめながら有望なものに投資している。その中で生き残ったものが見えている。また当初予算と補正予算は意思決定のプロセスがまったく違う。もちろん政策は一体的に動いている。だが別物と考えた方がいい。JSTで言えば、JST内部の予算のやりくりでできること、文科省の予算でできること、文科省の外から予算を獲得する必要があること。いずれもプロセスが異なり、難度が上がっていく。具体的な成果が見えて、省庁がやる気になって、応援してくれる政治家がいて初めて大きな政策が動く。政策は科学技術政策だけではない。教育や社会保障など、さまざまな政策メニューが並ぶ中で優先順位を高く認めてもらう必要がある」
-例えば世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)は研究振興予算で立ち上げましたが、終了後に大学の運営費交付金などの高等教育予算に付け替えられれば外部資金集めなどの苦労はなかったはずです。研究政策と教育政策の間にはまだ溝が残っていて省庁内の縦割りがあるように思います。
「CSTIでは高等教育局と研究振興局、科学技術・学術政策局の局長にきてもらい議論するようにした。旧文部省と旧科学技術庁が、それぞれで予算を守っている時代ではないとの思いだった。当時は白い目で見られた。約8年前だ。実際に一つのテーブルで議論すると政策の連携は進んでいった。一方で政策を審査する側の課題も見えてきた。予算要求で個々の政策を審査するのは財務省の主査で、当然ながら担当する係が分かれている。膨大な政策を評価するのだから担当を置き、仕事を分けるのは当然だ。専門性も必要になる。一般に、すでにある予算を移すだけなら簡単だろうと思ってしまうが、そんなことはない。文科省だけでは決められない。ただ大学や社会からそうした実態は見えない。そのため文科省への不満を溜めている。私もCSTIに関わるまでは知らなかった。どうしたらよりよくなるか、まだわからない。だが構造は見えている」
-CSTIでは大学に対して厳しい意見も発言してきました。教育や研究、新産業創出など、すべてを大学に求めて改革を促すよりも、大学と国研の役割分担の中で実現していった方がいいように思います。大学改革に対しての評価は。
「この10年、国立大学は本当にがんばっている。20年前とは一変している。そして大学と国研の役割分担はできている。大学は先端研究で人材を育て、国研はプロの研究者集団として国の戦略研究を担っている。だが、まだまだできることはある。例えば大学は入試業務の負担が大きく、研究時間を圧迫している。研究者に聞けば不満だらけだ。CSTIでも専門の組織に委託できないかと検討した。当時、文科省は賛同した。研究現場は渇望していた。それでも反対があり動かなかった。他にも教育教授と研究教授を分けてそれぞれ専念できるようにしようと提案した。これも研究教授は教育教授よりも偉く見えてしまうといった理由で反対された。本来は上も下もないはずだ。大学には悪平等もヒエラルキーもある。それを変えると困る人がいるから変われないでいる。大学は文科省を非難し、現場は大学執行部を非難する。それぞれの言い分はいずれも正しい。だが互いに非難していても動かない。まずは自分たちにできることをやり、結果を見せながら変えていくしかないのではないか。『カネがないから改革できない』という声に対しては『カネがあったら改革が進むのか』という声がある。後者の声には国際卓越研究大学が応えてくれるだろう。日本にとって10兆円規模の大学ファンドとその運用益という方法は政策としても大きな挑戦だった。投資をすれば大学は変わると、実際に示して社会を納得させられるか。世界が注目している」