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「いつも」と「もしも」の壁を超える新概念「フェーズフリー」が生み出す価値とは

<情報工場 「読学」のススメ#127>『フェーズフリー 「日常」を超えた価値を創るデザイン』(佐藤 唯行 著)
「いつも」と「もしも」の壁を超える新概念「フェーズフリー」が生み出す価値とは

トヨタのプリウス

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「日常時」と「非常時」というフェーズの境をなくす

年初に発生した令和6年能登半島地震で改めて思い知らされたが、災害は本当にいつ起きるかわからず、防災に油断は禁物だ。気候変動の影響で台風や豪雨といった自然災害の激甚化も指摘されるなか、「もしも」の時への備えの重要性は、誰もが頭では理解しているはず。しかし、実際に想定外の災害が発生した時には、停電、断水、避難所や物資の不足などの事態に、生活困難を抱える人が続出する。

こうした困難を減らす一手段として近年注目されているのが「フェーズフリー」。「日常時」と「非常時」というフェーズ(局面)の境をなくすという考え方だ。すなわち「いつも」使っているものを、「もしも」の際にも役立つように、あるいは「もしも」のための防災用品を日常にも使えるようにデザインするというアプローチだ。

トヨタ自動車のプラグインハイブリッド車「プリウスPHEV」もフェーズフリーの製品だ。「いつも」は乗用車だが、「もしも」の時には蓄電池として機能し、エンジンを作動させれば発電機としても利用可能になる。

本書『フェーズフリー 「日常」を超えた価値を創るデザイン』(翔泳社)では、フェーズフリーという概念の提唱者である佐藤唯行さんが、多くの事例をとりあげながら、その基本的な考え方や、アイデアを創り出す方法などを解説している。佐藤さんは現在、一般財団法人フェーズフリー協会代表理事。「防災」を持続可能なビジネスとして多角的に展開している。

フェーズフリーは「日常時」に使って便利

佐藤さんによれば、「防災」や「備え」の大事さをわかってはいても、企業の経済活動のなかでは「コスト」ととらえられることが多く、対応が後回しになりがちだ。普段の生活でも、自宅の備蓄品や防災グッズが、めったに出番がないのに場所をとるだけだったりもする。そうした問題を解決するのに、フェーズフリーの考え方が有効なのだ。

例えば、液体ミルクはフェーズフリーの商品といえる。2018年に食品衛生法が改正され、国内で液体ミルクを製造・販売できるようになった。

赤ちゃんに飲ませる粉ミルクは、70℃ほどのお湯を清潔な哺乳瓶に入れて溶かし、人肌に冷ましてから飲ませる必要がある。しかし「非常時」には、清潔な哺乳瓶が用意できないとか、お湯を沸かせない場合もある。その点、フェーズフリー認証を取得している明治の液体ミルク「ほほえみ」の場合、専用アタッチメントでスチール缶に乳首を取り付けるだけ。どんな場所でもいつでも誰でも授乳が可能だ。

これだけでは単に災害時に役立つアイデアを具現化した商品に思えるかもしれないが、フェーズフリーのアプローチが画期的なのは、「いつも」便利なことだ。乳児連れの外出先でミルクを飲ませる場合、従来は多くの保護者が、粉ミルク、消毒した哺乳瓶、お湯の入った魔法瓶をセットで持ち歩いていた。本記事の筆者にも経験があるのだが、飛行機のなかで泣き出してしまった乳児を待たせ、その場で粉ミルクをつくって飲ませる時の苦労が、液体ミルクで一気に解消する。

そして常日ごろから液体ミルクを使っていれば、「もしも」の際にも「いつも」通りの授乳ができ、親子ともに安心だ。「もしも」に備えるための市場は小さいが、「いつも」使うニーズがあれば市場は大きくなり、メーカーもビジネスにできる。

この本のなかには、避難時などに「走る」ことができるビジネスシューズ(アシックスランウォーク)、コロナ禍という非常時に普及して日常業務でも定着したWeb会議アプリZoomなどの例もあげられている。ポイントになるのは、何より「日常時」に使って便利なことであり、そこに手を抜いていない。それに加えて「非常時」のニーズにも応えられることが、フェーズフリーで生み出される「新しい価値」なのである。

一見背反しそうな2軸を両立させる考え方

クルマやミルクといった市販の製品だけでなく、まちづくりにおいて自治体がフェーズフリーの考え方を取り入れた事例もある。

徳島県鳴門市は、「フェーズフリーのまち」というコンセプトのもと、公共政策にこの考え方を取り入れている。例えば総合スポーツ施設「ウズパーク」は、「もしも」の時には、ホールが多くの人を収容できる避難場所となり、ボルダリング用のクッションが簡易ベッドとして使える。道の駅「くるくる なると」は津波避難場所に指定されているが、建物の屋上を避難場所として活用できるようにしてある。「もしも」のための避難場所は、「いつも」は人工芝の屋上として賑わいや憩いの場となっている。

フェーズフリーの考え方は、「いつも」と「もしも」という、背反しそうな2軸を両立させる。この「2軸の両立」は、異なる場面にも応用できるのではないか。例えば本書の著者である佐藤さんは、「地球環境」と「経済成長」のどちらも両立させようとするSDGsの取り組みにも生かせると考えている。

ほかにも、株主・従業員・顧客・サプライヤーの利害関係とか、短期的な売上の伸長と中長期的なブランド力強化など、一見背反しそうで、バランスが難しいものについて考える際などに「一方を選ぶのではなく、いずれにも高い価値を提供できるあり方を探る」というアプローチが使えそうだ。

まずは本書にあるようなさまざまな事例からフェーズフリーの基本概念を理解し、発想の幅を広げていただきたい。(文=情報工場「SERENDIP」編集部 前田真織)

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『フェーズフリー 「日常」を超えた価値を創るデザイン』
佐藤 唯行 著
翔泳社
208p 1,870円(税込)
情報工場 「読学」のススメ#127
吉川清史
吉川清史 Yoshikawa Kiyoshi 情報工場 チーフエディター
今から60年近く前に発売されたヒット商品に、サンスター文具の「アーム筆入」がある。「象が踏んでも壊れない」というキャッチフレーズで売り出され、実際に象に筆入を踏ませるテレビCM(当時の技術からしてCGではない)が話題を呼んだ。日常的に日本国内で筆入を使う場面で、象に踏まれることは、まずないだろう。だが、そうした「あり得ない非常時」にも使えるほどの強度を追求する、という姿勢こそが、フェーズフリーにつながるのではないか。記事中でも触れられているアシックスランウォークは、ビジネスシューズの「究極の歩きやすさ」を追求することで、フェーズフリー商品になり得たといえる。想定される必要以上の機能をめざすことがフェーズフリーにつながることは、間違いないようだ。

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