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【ペロブスカイト太陽電池誕生】episode5 パイオニア

ペクセル・テクノロジーズに入社した手島健次郎が発光特性を研究していたという化合物「ペロブスカイト」。日本における研究はいつどこで始まり、どのような経緯で手島の元にたどり着いたのか。起源は1980年代の東北大学にあった。(敬称略)

「ペロブスカイト」は酸化鉱物の一種である「灰チタン石」のことで、その名は1839年にウラル山脈で発見したロシアの鉱物学者であるレフ・ペロブスキーに由来する。「ABX3」(灰チタン石はCaTiO3)で表される、この鉱物が持つ独特の結晶構造を「ペロブスカイト構造」と呼ぶ。類似の構造を持つ物質は他にもあり、また、多様な物質を合成して作成もできるためそれらを「ペロブスカイト」と総称するようになった。

ペロブスカイト太陽電池において一般に用いられる、ハロゲン(ヨウ素や臭素など)を含む有機・無機複合のペロブスカイトは1978年に初めて合成された。また、ハロゲンを含む有機・無機複合ペロブスカイトは、米デューク大学教授のD・ミッチが90年代に網羅的に合成したことが知られる。

では、これらの物質について日本で研究を始めたのは誰か。その歴史をさかのぼると、今年3月に東北大学理学研究科教授を定年退官した石原照也の存在に行き着く。

ある論文が辿った思いも寄らぬ運命

「ある意味、非常に怖いことでもあるような気がします」

2023年3月10日。石原は通い慣れた青葉山北キャンパスの青葉サイエンスホールで教壇に立っていた。定年退官を間近に控えた最終講義だ。自身の活動を振り返るその講義で、1990年に発表した論文が辿った思いもよらぬ運命に触れた時に口から出た言葉だった。

論文のテーマは「鉛系層状ペロブスカイトの光物性」。世界で初めて有機・無機複合ペロブスカイトの「励起子(※1)」を対象に研究を行い、その特異性を明らかにして執筆した2本目の論文だ。ペロブスカイトが太陽電池の材料として注目されたことを背景に、足元で引用件数が増え、30年以上も前の論文に関わらず、21年は49件に上った。

※1/励起子:半導体や絶縁体中で外部の光などによって励起された電子(エレクトロン)と正孔(ホール)がクーロン力によって強く結びついた束縛状態。この束縛状態の電子と正孔を互いに引き離すのに必要なエネルギーを束縛エネルギーと呼ぶ。

論文の執筆は時間に追われる。他の研究者との競争はあるし、あるときは指導する学生の学位取得に関わる。そのため、発表した後に内容について議論が不十分だったかもしれないと不安を残すことがある。長く読まれ続けるということは、それだけ長く内容を検証され続けるということだ。「怖い」という石原の言葉の裏にはそうした理由があった。ただ同時に、その言葉には誇りが多分ににじんでいた。

石原は電子工作を作って動かすことが好きな少年だった。高校時代に学問としての物理の面白さを意識し、東京大学の物理学科に進学した。研究室を選ぶ当時は、素粒子に関心を持っていたが、その理論には歯が立たないと思って断念した。高エネルギー加速器を活用した実験を行う研究も考えたが、大型の加速器は肌に合わず、自分の手のひらサイズの世界を研究したいと思った。そうして選んだのが、光物性に関わる励起子などをキーワードに研究する長澤信方助教授の元だった。

長澤研究室の2期生となった石原は、研究テーマとして原子や分子の層が積層してできた層状半導体である「ヨウ化水銀(HgI2)」の光物性が与えられた。研究は順調に進み、博士号を取得したら企業に勤めようと考えていた。ただ、想定外の人事により、東北大学の助手に就くことになる。84年のことだ。

まず、長澤研究室の助手だった三田常義が突然、全く別の仕事を始めるために辞職し、そのポストに研究室1期生の桑田真が収まる。その1年後に長澤が従前、東北大で助手を務めていた研究室の教授だった上田正康が退官し、新たに教授に就任した後藤武生から長澤は助手の派遣を求められた。そこで、石原がそのポストに就くことになった。もし、三田の辞職がなければ、1期生の桑田が後藤の助手になっていた可能性が高かった。ちなみにこの桑田とは、後に東大総長となり、現在は理化学研究所の理事長を務める五神真である。

そのため、石原は「三田さんの辞職がなければ私は企業に就職していたでしょうし、五神さんは東大総長にならなかったかもしれませんね」と笑う。

東北大の助手になった石原は、後藤の研究テーマだったヨウ化鉛(PbI2)の研究を始める。石原はこの研究の関連で博士号を取得するのだが、別の展開も引き寄せる。その頃、光物性に関わる新たな研究の方向として、二次元(平面)構造を持つ化合物で生じる「量子井戸(※2)」の研究が盛んになっていた。主にガリウムヒ素をガリウムアルミニウムヒ素で挟んだ化合物の電子状態を調べる研究が行われていた。

そこで、石原はヨウ化鉛をベースに二次元の有機・無機複合化合物の研究ができないかを思案し、物質の隙間に他の物質を挿入する「インターカレーション(※3)」という手法を試みる。有機分子のグラファイトを挿入する手法をある研究会で聞いたことがあり、真似てみた。ただ、あまりうまくいかなかった。全体に無数のひびが入り光学測定に向かないのだ。これでは、研究対象にならないと考えた。

※2/量子井戸:ある種の半導体を別の半導体でサンドイッチすることで、電子を2次元平面内に閉じ込めた構造。閉じ込められた層を「井戸層」、挟む層を「バリア層」と言う。有機・無機複合ペロブスカイトでは、無機物が「井戸層」、有機物が「バリア層」にあたる。全体が平面構造で井戸層の電子は垂直方向に自由に移動できないため、光を照射すると、電子と正孔が強く結びつきやすく、束縛エネルギーの大きな励起子が表れる。量子井戸構造は青色発光ダイオードや半導体レーザーなどに利用される。

※3/インターカレーション:インターカレーション反応の前後では結晶の基本構造を保持したまま、格子定数(結晶格子の単位格子の大きさを表す定数)などの構造や、電気伝導性などの物性、電池特性などの機能性を制御できる。

しかし、その状況を打開する情報がもたらされる。情報源は隣の研究室で助手を務める高橋隆だった。

「分子科学研究所の丸山有成先生の研究室で、鉛化合物を用いたインターカレーションをやっているよ」

後藤と丸山はよく知っている仲だったため、後藤に連絡を取ってもらった。そして研究内容を聞き、その化合物を手元で調べてわかった詳細はこうだ。

元々はウクライナ出身の研究者であるドルジェンコが、地元から分子研に持ち込んだ研究だった。ドルジェンコはヘキサンという有機分子が「ノニルアンモニウムヨウ化鉛ペロブスカイト:(C9H19NH3)2PbI4)」という層状物質にインターカレートしたことをX線散乱で確認したという論文を書いていた。

ただ、それは誤りのようだった。その後の研究によると、ドルジェンコの研究においてヘキサンにつけて取り出すと格子定数が変わった理由は気化熱によって温度が下がり、それによって物質が固体の状態を維持したまま結晶構造が変化する構造相転移が起きたためだったようだ。しかし、そもそも、石原の目的はインターカレーションではなく、二次元構造を持つ鉛化合物の研究だ。だから、その物質について研究しようと思った。それが、ペロブスカイトとの出会いだった。

それから石原はペロブスカイトに光をあてたときの励起子を調べた。二次元の化合物における量子井戸では励起子の束縛エネルギーが、三次元(立体)の構造を持つ同様の化合物に比べて4倍になることが、当時すでに知られていた。しかし、手元にあるペロブスカイトは二次元の場合、三次元のそれに比べてはるかに大きな束縛エネルギーが生じているようだった。なぜか。それを解明するために相談したのが、東京大学工学部物理工学科教授の花村榮一だ。花村は当時、量子井戸に関連して「誘電率閉じ込め効果(※4)」という理論を提唱していた。実際にその観点でペロブスカイトの励起子を調べた結果、その効果が影響していると結論付けられた。

※4/誘電率閉じ込め効果:量子井戸において井戸層を挟むバリア層の誘電率(クーロン力を遮蔽する大きさの指標)が小さいと井戸層における電子と正孔の間のクーロン力がバリア層を介して有効に働くため、井戸層における励起子の束縛エネルギーが大きくなる効果。ペロブスカイトはバリア層にあたる有機物の誘電率が井戸層にあたる無機物よりとても小さいため、この効果が強く働く。

一方、この材料の実用性を石原はどのように考えていたか。電子と正孔が強く結びついており、発光効率が非常によい、つまりよく光るため、発光素子への展開を思い浮かべた。石原は90年9月に米国ブラウン大学の客員研究員に就くのだが、そこではペロブスカイトに電流を流して発光させる研究にも手を付けた。しかし、太陽電池は一切念頭になかった。太陽電池の材料としてはシリコンがよく知られているが、シリコンは光らない。つまり太陽電池は光らない材料でもできるものだ。よく光る物質ならば、光らせる用途で利用すべきと考えていた。

ちなみに石原は2010年に『太陽電池の物理』という翻訳本の訳者に名を連ねるのだが、あくまで東北大金属材料研究所教授の中島一雄の依頼を受けて対応した仕事だった。そのときも、自分の研究が太陽電池に結びつくことは想像しなかったという。

かくして90年に発表した論文に対し、当時特別大きな反響があったわけではない。ただ、その研究過程で相談し、接点を持った花村との関係が次の展開を生み出す。渡米が近づいていたある日、花村と同じ東大工学部物理工学科の教授である伊藤良一から連絡があった。

「『ペロブスカイト』について教えてもらえませんか」。

証言者:石原照也・近藤高志・江馬一弘
ニュースイッチオリジナル
葭本隆太
葭本隆太 Yoshimoto Ryuta デジタルメディア局DX編集部 ニュースイッチ編集長
石原先生はその後、ペロブスカイトの研究からは離れ、メタマテリアルをテーマにした研究などを行います。ペロブスカイトについては太陽電池の材料として注目され始めてからも改めて研究することはありませんでした。それは石原先生が当時注目したペロブスカイトと、太陽電池の材料として注目されたペロブスカイトの違いが影響しているのですが、その話はまた改めて。

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