「国産量子コンピューター」稼働、日本は事業化投資競争の本番を優位に迎えられるか
理化学研究所が開発してきた国産量子コンピューター初号機が稼働する。27日に量子コンピューターをクラウドにつなぎ量子計算サービスを始める。企業や大学に提供して技術開発と用途開拓、人材育成を一体的に進める。量子コンピューターへの事業化投資は、2020年代後半が本番になると見込まれる。国産機稼働後の5年間で世界の量子コンピューター分野で先頭に立ち、次の投資競争を優位に迎えられるかが問われる。(小寺貴之)
研究結果の効果検証、開発と並行で用途開拓重要
「量子コンピューターを開発するには、実際に使ってもらうことが大切。フィードバックを得て改善していける」―。理研量子コンピュータ研究センターの中村泰信センター長は、27日に始める「量子計算クラウドサービス」の意義をこう説明する。
クラウドサービスで公開する初号機は超電導方式の64量子ビット。非商用利用であれば、どんな研究・技術者でも利用申請できる。料金は無料。当面は理研との共同研究契約を通じて利用手続きを行う。国産機は日本の研究者にとって機械の中に手を入れられる数少ない量子コンピューターになる。
量子コンピューターはまだまだ未熟だ。現行のコンピューターに例えるとトランジスタや演算回路が見えてきた段階にあたる。量子ビットを作る物理現象の理解や素子の製造、演算回路の設計、量子アルゴリズム(計算手順)の開発など、解くべき技術課題が山積している。
言い換えると量子物理学からデバイス製造技術、アルゴリズム、サービス開発まで競争原理を変えるチャンスがあり、電子産業を一変させうるポテンシャルがある。これがエマージングテクノロジー(新興技術)の代表格に量子コンピューターが挙げられるゆえんだ。
そのため日本として自由に手を加えて研究できる実機は必須だった。量子ビットの原理解明をデバイス設計に反映させたり、量子ビット操作の精度向上が解けるアルゴリズムを広げたりと、各分野の進歩を国産機に取り入れて効果を検証する。
また、量子ソフトウエアベンチャーのQunaSys(キュナシス、東京都文京区)の楊天任最高経営責任者(CEO)が「用途を示すことが求められている」と指摘するように、開発と並行して用途開拓を進めることが重要になる。
用途開拓には工夫が必要になる。例えば科学者ピーター・ショアが考案し、素因数分解に適用できるとして有名な量子アルゴリズムは、オンラインでの暗号化の基盤となっている「RSAアルゴリズム」の解読に用いられる。これには2000万量子ビットが必要とされる。
また物性予測などの量子化学シミュレーションには100万量子ビットは必要だ。このように研究などで活用するために必要な量子ビット数と、現在用意できる量子ビット数との間には開きがある。アルゴリズムの改良で必要となる量子ビット数を1ケタ2ケタと削減することは可能で、その巧拙が問われる。
国産機をテストベッドとして使い倒し、開発者と利用者の双方の人材を増やす好循環を回すことで、工夫を凝らせる体制を整えることが求められる。
超電導方式を採用、量子ビット安定維持
理研は国産初号機に超電導方式を採用した。超電導状態の回路に電流を流して量子ビットを形成する。量子ビットにマイクロ波を当てて操作したり読み出したりする。この回数が量子演算の回数に相当するため、量子ビットを安定して維持できる時間が重要になる。
中村センター長が1999年に世界で初めて超電導量子ビットを実現した際は1ナノ秒(ナノは10億分の1)と短かったが、現在は1ミリ秒程度まで安定化する技術が出てきた。数千回から1万回ほど操作する時間がある。
国産初号機では4個の量子ビットを基本単位として読み出し共振器やフィルター共振器を配置。2センチメートル角のシリコン基板上に8×8個の64量子ビットを集積したチップを設計した。このうち約50個で量子ビットを作ることに成功している。量子計算に用いる品質の高い量子ビットは数個に留まる。
集積回路は1024量子ビットまでの拡張性を持たせた。チップの裏から信号用探針を当て、マイクロ波を送受信して量子ビットを操作し読み出す。チップに対し垂直に配線したため基本単位を並べるだけで量子ビット数を増やせる。国産2号機の開発に着手しており100―144量子ビットのマシンを2025年までに構築する。
投資競争で先頭に、新興技術支える環境を
量子コンピューターが現行のコンピューターを上回る“量子超越”を達成したと米グーグルが19年に報告し投資競争が過熱した。この後、投資指標として量子ビットが重視されるようになり、各社は開発ロードマップで量子ビットの数を競うことになった。ただ数十量子ビットや433量子ビットの装置も開発されたものの、実際に量子計算に活用した論文は数個の量子ビットに留まる。27個の量子計算機を利用した東大研究者は「数を増やしてもエラーが増す。数個が限界ではないか」と指摘する。
そこでエラーを訂正する論文が発表されている。米グーグルはエラー訂正に用いる量子ビットの数を増やせばエラーが減ることを示し、英科学誌「ネイチャー」に掲載された。ただ中村センター長は「訂正後のエラー率の方が、量子ビット単体のエラー率よりも大きい」と指摘する。実態はエラー訂正による改悪が、数を増やせば緩和されるということだ。中村センター長は「量子ビット一つひとつのエラーを抑えないとエラー訂正は難しい」とし、数を追うよりも前に質を高める必要があると説く。
こうした状況で米国のベンチャー市場が揺れている。量子コンピューターの一種で限定問題に特化した「量子アニーラー」の開発で最も進んでいたカナダ・D―Waveは、株価が低迷し、ニューヨーク証券取引所から上場基準に満たないと通知された。すぐに上場廃止になるわけではないが対応が迫られる。
海外での投資競争を横目に日本は基礎研究に投資してきた。超電導方式に加え、イオントラップや半導体、光量子方式など量子コンピューターの基礎研究は充実した。日本の産業界はリーズナブルに量子技術の趨勢(すうせい)を見極めてきたとも言える。
重要なのは20年代後半にくる次の投資競争で先頭に立つことだ。経済産業省の堀部雅弘研究開発調整官は「27年がマイルストーンになる」と指摘する。方式の絞り込みと量子ビットの質の確立、規模の拡大が見えてくる。
次は研究開発でなく事業化の投資競争になると見込まれる。この時までに量子人材の層を厚くし、事業導入の実証環境を整え、ユーザーの見識も蓄えておく必要がある。国産初号機と共に、この5年間で何を仕込むかが問われている。