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ファンとの約束を果たしたい―災害ゲーム「絶体絶命都市」をもう一度この手で!

地方創生を支える!注目のベンチャー企業 #5 グランゼーラ
ファンとの約束を果たしたい―災害ゲーム「絶体絶命都市」をもう一度この手で!

PlayStation4用ソフト「絶体絶命都市4Plus -Summer Memories-」ゲーム画面

 震災ゲームの発売中止が一人のゲームプロデューサーの起業を決定づけた。グランゼーラ(金沢市)の名倉剛社長は、当時、前の会社でゲーム事業の責任者を務めていた。代表作が地震災害をテーマにした「絶体絶命都市」。新作の発売を数カ月後に控え訪れた「3・11」。週明け早々名倉氏は担当役員と相談し、自ら手掛けていたゲームの発売中止を提案、そして数時間後に発売中止の発表を行った。

発売中止…「それなら自らゲーム会社を立ち上げよう」


 震災から週明けの3月14日。延期か発売中止か。「発売延期と言ってもいつ出せるか分からない。中止になるかも知れない。待ってくれているファンの気持ちも、作る側の気持ちもこのままの状態が続くと保てない。会社にもこの状態のままを維持してもらうわけにはいかないと思い、担当役員と相談して中止を決めました」。

 そう決めたものの、ファンにも、ここまで一緒にこのゲームを作ってくれたスタッフにも申し訳ないという気持ちはすぐにはふっきれない。そんな状態が数時間続いたが、ふと「自らゲーム会社を立ち上げよう」と思った瞬間、猛烈に食欲が湧いてきたという。

 「僕は普段あまりお腹がすかない方で1日1食。すぐに近くの中華料理屋へレバニラを食べに行きましたね」。経営者としてやっていくことに不安はなかった。ゲーム事業の責任者を長年務めてきたので計画書や企画書はもちろん予算表も作ることができる。

 人とのつながりもあった。また当時の会社でしっかりした管理者教育を受けていたおかげで、一通りのマネジメントスキルも備わっていた。勤めていた会社の社長に会社を設立する旨を伝え、すぐに起業の準備にとりかかる。退職日の翌日から新会社は本格稼働していた。前の会社からは5人が付いてきてくれた。

続けるうちに石川県の良さに気づく


 名倉氏は生まれも育ちも大阪。石川県に縁があった訳ではない。20代の時に半年ほど石川県に転勤で暮らした。「来た時は嫌いでしたね。地下鉄だと思って階段を降りたらただの地下道。大阪に戻る時にはこんな田舎にはもう住むことはない」と思ったという。ただ石川県の人がとても親切だという印象だけは残った。

 しかし運命のいたずらか。30歳の時に再び石川県の会社で働くことになる。そこから18年以上も嫌いだった街に住み続けることになる。自分たちで会社を作る時に当時勤めていた会社の社長に「どこでやるんだ?」と聞かれ、「金沢です」と答えたらとても驚かれた。社長は、故郷の大阪か、もしくは東京でゲーム会社をやるものだと思っていたらしい。

 しかし名倉氏の中で起業するなら石川県以外の選択肢はなかった。一番の理由は一緒にやってきた仲間がいたこと。田舎の不便さに滅入ったが、2年、3年と経つうちにこんないいところはないと思えるようになっていた。会社から車で10分-15分くらいのところに住め、満員電車に乗る必要もない。スキー場も温泉もそばにあり、会社帰りに行ける。「いずれも今はそれがゲーム制作の気分転換としてプラスになっている」という。

 しかも大都市と違って、オフィス賃料もある程度は抑えられる。地代が安い分、開発スペースをゆったり取れる。「クリエイティブな仕事にはそういう環境が大事」。

 本社は金沢市に置くが、12年に中小企業基盤整備機構が整備・運営する「いしかわ大学連携インキュベータ(i-BIRD)」(野々市市)に一部の開発拠点を移し、名倉氏も主にこちらに通っている。今は、会社が石川県にあることが、自らの経営に対する何よりの自信になっている。

 昔から飲み会が嫌い、派手なこと、華やかなことは苦手、大人数でいることもあまり好きではない。喫茶店で1人で一日中いることが好き。なので東京でよくある起業家の集まりなどにもまったく関心がないという。「前例に捉われず、ゲームを核に娯楽で革命を起こし退屈を根絶する」という自身と会社のミッションにとって、石川県は集中できるとても良い環境なのだ。

<次のページは、「娯楽で革命を起こす」>

日刊工業新聞記者
日刊工業新聞記者
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