富士重工業「世界の名機カレンダー」、原画展で復活

18日から本社ショールームで

 富士重工業は2016年版で41年間の歴史に幕を閉じた「世界の名機カレンダー」の原画展を、本社ショールーム(東京都渋谷区)で2月18日―3月2日に開催する。入場は無料。同カレンダーは76年版の制作開始から、世界中にファンを持つ小池繁夫氏の作品を起用してきた。原画展では富士重の前身・中島飛行機の四式戦闘機を描いた新作「疾風」をはじめ同氏選定の20作品を展示する。カレンダーの販売はない。

前身の中島飛行機が開発した国産初のジェット戦闘機


ニュースイッチ2015年08月01日公開


 広島に原子爆弾が落とされた翌日、1945年8月7日。千葉・木更津にある海軍の飛行場で、1機の航空機が爆音をとどろかせて飛び立った。祈るような視線を浴びせるのは、海軍空技廠や中島飛行機の技術者たち。日本初のジェット機「橘花」が生まれた瞬間だった。

 当時、まだ自動車と同様の「レシプロ式」が主流だった航空機のエンジン。しかし、基本的にはプロペラを回して前方の空気をそのまま後方に吹き出すだけなので、スピードには限界があった(プロペラの回転速度が音速に達すると衝撃波が発生し、空気抵抗が急に増えてしまう)。当時はこれに加え、燃料事情も悪くなっており、粗悪な燃料でも動かすことのできる高性能なジェットエンジンが求められていた。

 航空機の性能はほとんどエンジンで決まるといっても過言ではない。ドイツやイタリア、英米などは1940年代前後に次々とジェットエンジンの実用化に成功し、なかでもドイツは42年に世界で初めてジェット戦闘機(メッサーシュミットMe262)の飛行に成功していた。

 日本の陸海軍も、当初は独自にジェットエンジンを開発する方針をとったがいずれも実戦配備には至らず、1944年、軍事同盟を結んでいたドイツからMe262に搭載されていたBMW製のエンジン「BMW003」の図面を取り寄せて開発することになった。
海の藻屑

 とはいえ当時のは図面の取り寄せもままならない状態だった。大戦中で鉄道や船を使った物資の輸送は敵の妨害を受ける中、日本とドイツは、開発したばかりの潜水艦を使って軍人や技術資料を運んだ。ただ、戦争末期になると戦局の悪化により、潜水艦も撃沈されることが少なくなかった。
<次のページは、実戦配備には間に合わなかった「橘花」>

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明 豊

明 豊
02月07日
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富士重は「スバル」車の好調さが目立っていますが、立派な航空機メーカーでもあります。

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