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【連載】不撓不屈・カミキ編#01 製鉄マンを守った手袋

「こんな会社、日本でもわが社だけ」(江上社長)
【連載】不撓不屈・カミキ編#01 製鉄マンを守った手袋

アイデアマンだった江上卯吉㊥と父を支えた壮輔(左、1980年ごろ)

 誰もまねできない製品を作る―。社是ではないが、この言葉を胸に一品一品手袋を作り続けるのがカミキ(福岡県水巻町)だ。手袋といっても並みの製品ではない。製鉄や化学プラントなどの現場で作業者を事故から守る高機能製品。アイテム数は1000を超え、社長の江上壮輔も「正確には数え切れない。こんな会社、日本でもわが社だけ」と苦笑いする。これが同社の強みだ。

 カミキは山九運輸(現山九)の営業社員だった壮輔の父・江上卯吉が1958年(昭33)に創業した。山九運輸は当時から八幡製鉄(現新日鉄住金)の運搬請負を行っており、卯吉は製鉄所構内に出入りしていた。そこで目にするのが構内作業員の事故やけが。特にやけど、手指の裂傷、切断などが頻発する事故を目にして、なんとかこれらを防ぐ有効な手袋はないかと日々考えていた。

 当時すでに国産の作業用手袋はあった。通常作業では十分な品質だったが、危険物を相手となるとそうはいかない。卯吉は神戸にある業務用手袋メーカーに教えを請うた。おうような時代だったのだろう。メーカーは卯吉の思いを快く受け入れ、縫製など手袋の作り方を一から教えた。

創業者の父が考案した接着縫製


 技術を習得した卯吉は早速、さまざまな手袋を作り始める。最初の製品は手のひらに牛革を使った、ワイヤやロープを扱うときに利用する「白コンビ」だった。その後独自の接着縫製を考案する。

 従来品は手の甲と手のひらの指部分を4層重ねにして縫製していたが、これだと縫製部が大きく傷みが出やすい。卯吉は接着剤を利用して2層重ねに縫製工程を抑えたことで使い勝手を向上させた。

 これら製品を八幡製鉄所内で販売すると、評判を呼び次々と売れた。当時の製鉄マンは手袋を自費で買っていた。このため安い製品が主流だったのだが、多少高くても安全性が高いと分かったことで売れに売れた。

 卯吉は69年(昭44)に独立を決意、カミキを設立して本格的に手袋メーカーとしての道を歩み出す。壮輔の子供のころの父の思い出は、手袋を作り、それを売り歩く姿だった。高校に入ると、夏休みには大分など近県への売り込みに連れ出された。「『駅弁を食わせてやる』をダシによくかり出された」と苦笑いするが、卯吉は若い壮輔にすでに経営の才を見いだしていた。

 そんなカミキが大きく飛躍するきっかけとなる製品が、創業まもなく卯吉によって考案された。現在まで同社のロングセラー商品として続く”切れない手袋“だ。
(敬称略、全4回 2回目は4日に公開予定)

※「不撓不屈」は幾度となく困難を乗り越え挑戦し続ける中堅・中小企業を取り上げます。
▽所在地=福岡県水巻町猪熊1の3の37、093・201・1360▽社長=江上壮輔氏▽従業員=22人▽設立=1958年(昭33)12月▽資本金=1000万円▽売上高=2億3000万円(15年6月期)▽URL=www.kamiki.jp
日刊工業新聞2016年2月2日 中小企業・地域経済面
三苫能徳
三苫能徳 Mitoma Takanori 西部支社 記者
防振手袋など安全保護具を製造するカミキを4回連載で紹介します。

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