眠れる技術を生かす。「カーブアウト」の今
5年間でスタートアップ企業数を10倍に増やす-。政府が閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」は力強い目標を掲げる。スタートアップは大学などの技術をもとに起業する例が多いが、企業数を増やすにはそれだけでは不十分だ。
そこで注目されるのが、大手企業に「眠る技術」をいかす起業「カーブアウト」だ。それを支えるエコシステムも生まれてきた。大手企業にとっても起業という手段を用意することは、優秀な人材を引き寄せる魅力にもなりそうだ。その取り組みを追った。
企業価値を最大化するための手法
「事業化を考えた時から、スタートアップの創業が最適だとイメージしていた」。東芝からカーブアウトしたサイトロニクス(川崎市幸区)の今井快多最高経営責任者(CEO)は2019年のことをこう振り返る。同社は再生医療用の細胞を観察・分析する装置手がける。技術の源流は2015年から東芝で研究されてきたものだ。目的はCMOSイメージセンサーをヘルスケアの分野で応用すること。目を付けたのが再生医療の分野だ。「この技術を応用して安定的に細胞を培養できれば、誰でも再生医療を受けられる可能性がある」と事業化を目指した。
事業計画を練るために、ベンチャーキャピタル(VC)のビヨンドネクストベンチャーズ(東京都中央区)が運営する起業支援・育成のアクセラレーションプログラム「ブレイブ」の門戸を叩いた。この事業計画をもとに東芝での事業化を目指した。だが、障害になったのは社内のノウハウ不足だ。「コンピューター断層撮影装置(CT)などの医療分野と違い、東芝の中には再生医療のノウハウはなかった。また事業規模が小さい上、決定にはスピードが求められる」(今井CEO)。東芝が事業部として立ち上げるには、事業規模やノウハウなど全てが揃っていなかった。どうすれば事業化しつつ、企業価値を最大化できるか、この答えがカーブアウトだった。21年5月、東芝とビヨンドネクストベンチャーズの出資を受け、創業。外部のリソースも活用しながら、事業展開を進める。
市場において、他社が影響力を持っている分野では事業の切り出しやジョイントベンチャーの手法を使い、事業成長のスピードを早める。事業価値を高めれば自社とのシナジー強化に加え、ファイナンシャルでのリターンも見込める。
NECもカーブアウト支援を強化している。18年には当時のトップリサーチャーがNECを退職し、米dotData(ドットデータ)を立ち上げた。同社の設立を主導したNECの北瀬聖光執行役員は「NECで開発すれば3年はかかる。技術の雌雄(しゆう)が決しないための判断だった」と話す。自社のリソースだけでは市場のスピードに対応できない際、外部資本を使うことで企業価値を最大化できるようにした。
北瀬執行役員は「最近では新規事業を始める際に自社だけで完結せず、外部リソースを使うことが普通に選択肢になってきた」と社内意識の変化を語る。そのほかにも大林組や東京大学の子会社、東京大学協創プラットフォーム開発(東大IPC、東京都文京区)などと、共創型R&Dから新規事業を創出するBIRD INITIATIVE(バード イニシアティブ、同中央区)を設立。自社で蓄積したノウハウをいかし、オープンイノベーションの展開に取り組む。
人材獲得にも
大手企業のカーブアウト活用は事業価値を高めることに加え、優秀な人材を獲得することにもつながる。 東大IPCでカーブアウト投資を手がける水本尚宏パートナーは「日本企業では新規事業に取り組む人材は評価されづらい」とした上で、「カーブアウトで“一国一城の主”になれる出口があれば、イノベーションが生まれやすくなるのではないか」と話す。企業の研究所を利用できれば、初期コストを少なく起業できる。起業という出口を作ることで優秀な人材を引きつけることにもつながる。NECの北瀬執行役員も「CEOになれるような人材は他社からもオファーをもらっている。ならば背中を押してあげて共に成長できる方が良い」と言い切る。
現在、東大IPCが運営する「AOI1号ファンド」では5社のカーブアウト企業に投資。「カーブアウトから新規上場(IPO)の事例を作り、日本経済の活性化につなげたい」(水本パートナー)と期待を込める。
ただ、カーブアウトは容易ではない。事業を切り出す企業の経営姿勢に左右されるからだ。ビヨンドネクストベンチャーズでカーブアウト支援を行う渥美祐輔氏は「カーブアウトできる事例はまれだ」と現状を話す。事業を切り出す企業はコストをかけた知財を高く売ったり、ライセンスにすることで経営への支配力を保ちたい。反対にカーブアウトする側はより安価に知財を利用したいと考える。このほかにもボードメンバーの構成や株式シェアなど、経営の自由度を担保する構築に時間を要する。渥美氏によれば「カーブアウトに慣れていない組織では、調整に時間を使うことも常だ」という。
大手企業には眠れる技術も多い。それをいかせば、企業価値の向上や優秀な人材を獲得する強みにもなり得る。それを獲得しようとするなら、柔軟に外部資本を活用していく、オープンな姿勢が欠かせない。