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コロナ禍をチャンスに変えたNIKEのデジタルマーケティング

<情報工場 「読学」のススメ#104>『ナイキ 最強のDX戦略』(白土 孝 著)
コロナ禍をチャンスに変えたNIKEのデジタルマーケティング

「NTC(ナイキトレーニングクラブ)」

コロナ禍にアプリ会員数が爆増

コロナ禍に突入した2020年以降、外出制限や在宅勤務の増加で「運動不足」「コロナ太り」に悩まされる方もいるのではないか。

私自身、運動不足を痛感していたところ、知人から「ナイキのアプリがいいよ」と勧められた。「NTC(ナイキトレーニングクラブ)」アプリがそれで、動画にあわせて体を動かすだけで、しっかりとした運動ができるという。ダウンロードしてみると、レベル分けされたワークアウトメニューが並んでいる。なるほど確かにかなり本格的だ。しかも屋内ですぐに始められ、初期費用はゼロである。

『ナイキ 最強のDX戦略』(祥伝社)を読んで知ったのだが、ナイキは、もともとサブスクリプション(定期課金)の有料プログラムだった「NTCプレミアム」を、コロナ禍に合わせて無償提供したらしい。さまざまなトレーニングや栄養指導などのコンテンツを、メンバー登録だけで使えるようにしたのだ。

そんな取り組みもあって、2019年末に1億8500万人だったナイキのアプリ会員数は、1年後の2020年末には2億5500万人に急増。つまりナイキは、プログラムの無償提供と引き換えに、体を動かすことに興味のある7000万人の個人情報を、新たに得たことになる。

今回のアプリのプログラム無償提供は、ナイキのDX(デジタルトランスフォーメーション)戦略をコロナ禍に合わせカスタマイズしたものだ。パンデミックの影響で同社全体の売上は落ちたものの、アプリやオンラインを介した直販売り上げは爆発的に増加した。2021年には、売上高が過去最高の445億ドル(当時のレートで約4.5兆円)を記録している。

『ナイキ 最強のDX戦略』は、ナイキがコロナ禍を乗り切った一部始終を描きつつ、同社のDXとそれによるマーケティング戦略を紹介している。著者の白土孝さんは、中小企業のデジタル化支援のコンサルティング会社「LINK496」代表、株式会社鍋久取締役。株式会社チヨダ取締役、株式会社マックハウス代表取締役社長等を経て、2019年にLINK496を設立している。

他に先がけてデジタル対応を進める

ナイキというスポーツブランドを知らない方は少ないだろう。だが、企業としてのナイキは日本では非上場であり、その経営やマーケティング手法は、実はあまり知られていない。一方で米国のナイキは、ニューヨークダウを構成する30銘柄の一つに選ばれるほどの実力企業だ。

驚くのは、デジタル対応の速さである。Windows95が発売された年の翌1996年には、いち早く公式ウェブサイトをスタート。99年にはEC(電子商取引)に進出し直販を開始した。2016年以降は、新興テック企業の買収や提携を進め、アプリやソフトを使ったマーケティングに注力している。

さらに17年にはCDO(消費者直接攻撃)と呼ぶ事業戦略を発表する。これは、自社の直販ビジネス拡大を狙ったもので、「戦略的小売パートナー」を世界で40アカウントに絞り込み、ディスカウント店などは排除。一度は出店したアマゾンからも、19年に撤退した。アマゾン経由では、ナイキが消費者との緊密な関係を築いたり、市場価格をコントロールしたりするのが難しいからのようだ。

コロナ禍での直販の売上急伸に、CDOやその他のデジタル戦略が貢献したのは間違いない。20年以降、アマゾンやネットフリックスといった米国のデジタル関連企業で軒並み株価急伸が見られたが、ナイキの株価も同じような動きを見せ、21年11月には過去最高値を記録しているからだ。

DX、マーケティング戦略の成功は「優れた商品」あってこそ

ナイキは、販売の面でもアプリを使った戦略で成功している。同社の主力商品は言うまでもなくスニーカーだが、この商品に関しては、「スニーカーヘッズ」と呼ばれるマニアたちが、限定スニーカーや希少スニーカーを高額で取り引きする独特な再販市場ができあがっている。

この再販市場の加熱に一役買ったのが、2015年にナイキがリリースした限定スニーカー専用アプリの「SNKRS」。これを使えば、限定スニーカーをスマートフォンから簡単に購入できる。

もとは、超人気スニーカーの店頭での買い占めや夜通しの行列対策のためのアプリだったが、特定のスニーカーをフォローして歴史やデザインについて深く知ることができるだけでなく、ゲーミフィケーション(ゲーム化)の要素が加わったことで、スニーカーヘッズたちに刺さった。

SNKRSのゲーミフィケーションは、「ポケモンGO」のナイキ版のようなものだという。アプリに登録したメンバーが、都市のさまざまなスポットから隠されたオブジェクトを見つけ、その写真を撮ることで、限定スニーカーの「ロック」を解除して購入できるようになる。

2019年12月には「NFT(非代替性トークン)」市場にも参入し、NFTと物理的スニーカーをリンクさせて偽物の流通を防ぐ取り組みも行い、話題を呼んだ。もはや、スポーツブランドというより「IT企業」の様相だ。

ただし、ナイキがアスリートや顧客から支持され、DX戦略で成功したのは「優れた商品」があるからこそだ。この前提を忘れてはいけない。どれだけ優れたマーケティング戦略があっても、商品に魅力がなければファンは生まれない。

ナイキのシューズの人気と実力は本物と言っていいだろう。例えば東京五輪2020の男子フルマラソンでは、トップ4を含む上位10人中7人までがナイキのシューズを着用していた。シューズの再販市場が盛り上がるのも、ブランド力やデザイン性を備える魅力ある商品あってこそだ。NTCアプリにしても、コンテンツが優れていなければヒットしない。

その意味で日本には、匠の技でつくられる製品や和食、アニメやゲームなどのコンテンツも含めて「優れた商品」がたくさんある。これらにDXをうまく絡めることで、ナイキのような成功をつかめるかもしれない。本書に描かれたナイキのDX戦略を一つのヒントとして、今後、国内でもDX戦略が加速することに期待したい。(文=情報工場「SERENDIP」編集部 前田真織)

『ナイキ 最強のDX戦略』
 白土 孝 著
 祥伝社
 304p 1,870円(税込)
情報工場 「読学」のススメ#104
吉川清史
吉川清史 Yoshikawa Kiyoshi 情報工場 チーフエディター
DXというと、無駄を排除した効率化が第一の目的と認識されることが多く、どこかドライで冷徹な印象があるのではないだろうか。しかし、ナイキのDXには「遊び」の要素もあり、何より消費者と感情面でのつながりを作ることを重視しているように見える。言うならば「血の通った温かいDX」なのだ。スニーカーヘッズは、いわゆる「オタク」なのだろうが、彼らに「俺たちのナイキ」と思わせる親しみやすさがナイキにはある気がする。DX流行りではあるが、ナイキのような「心」を入れたDXも、これからの時代にあるべき一つの姿なのではないか。

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