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「良品に国境はない」(本田宗一郎)ホンダ、熊本の名のバイク開発へ

4年後に大型車「ASO(阿蘇)」。造り手の誇りを製品に
「良品に国境はない」(本田宗一郎)ホンダ、熊本の名のバイク開発へ

「RC213V―S」の組み立て(熊本製作所)

 ホンダは4年後をめどに、大型バイクの中心拠点のある熊本県内の地名「ASO(阿蘇)」を冠したバイクの発売を目指す。レース車の公道モデルなどで蓄積した究極の性能を引き出す技術やモノづくりのノウハウを同バイクに注ぎ込む。熊本発のブランド力を高める狙い。「造り手が誇りを持てるバイクにする」(同社幹部)とのことから、排気量1000cc前後の比較的高価格帯なモデルとなりそうだ。

世界を見据え、夢を追いかけた技術者


2015年12月11日「近代日本の産業人」より


「世界一であってこそ、日本一」。日本の“技”を世界に知らしめたのがホンダ創業者の本田宗一郎だ。一ベンチャー企業にすぎなかった同社を世界有数の2輪・4輪車メーカーに育て上げた。偉大なる経営者と言うよりも、探究心旺盛な天才技術者であった。

 終戦後わずか7年の1952年11月。宗一郎は5人の家族に見送られながら、羽田空港から米国に旅立った。工作機械を購入するためである。総額は4億5000万円。当時の資本金わずか600万円という事実を鑑みれば、周囲が驚きと不安を抱えたのは当然だ。

 大冒険の裏には宗一郎が抱いていた技術に対する危機感があった。49年に発売した2輪車「ドリーム号」や、白いタンクに赤いエンジンで知られた「カブ号」は一世を風靡(ふうび)したが、米英の技術水準と比べれば大きな差がある。宗一郎は52年10月号の「ホンダ月報」にこう記している。

 「良品に国境はない。日本だけを相手にした日本一は、真の日本一ではない。一度優秀な外国製品が輸入される時、日本だけの日本一はたちまち崩れ去ってしまう。世界一であって初めて日本一になり得る」。外国製品の物まねではない、高い独自技術を磨くための投資であった。「技術のHONDA」の原点はここにある。

 89年にはアジア人として初めて米国自動車殿堂入りした。世界を見据え、夢を追いかけた技術者である。
(敬称略)
日刊工業新聞2015年12月21日 自動車面
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
10年近くをかけて二輪の拠点を熊本製作所に集約してきた。「ASO」はそのエポックのような存在だろう。ホンダの強さは二輪とよくいわれる。一方で元気がない四輪でも、また世界をあっと言わせる製品を。

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