動物福祉と経済性、日本の養鶏は両立できるのか
市場混乱・農家は死活問題
元農林水産相が収賄罪で在宅起訴された事件を受け、鶏卵業界のアニマルウェルフェア(動物福祉)に注目が集まった。事件は家畜をストレスの少ない状態で飼育するアニマルウェルフェアの国際基準案に反対するなどの見返りに現金を受け取ったとされる。動物福祉の推進派は「日本は乗り遅れている」と批判する。だが、経済性と両立させずに動物福祉を進めるなら市場が混乱する。二つを両立させる技術と稼ぐビジネスモデルが必要だ。(小寺貴之)
30年ケージフリー見込む
「2030年にはケージフリーを見込める状態にしたい。日本は畜産後進国だが、国内のコンセンサスは得られると考えている」と、NPO法人アニマルライツセンター(東京都渋谷区)の岡田千尋代表理事は説明する。ケージフリーとは平飼いや放し飼いを指す。米国ではマクドナルドやスターバックスなどが25年までにケージフリーの卵を調達することを宣言し、鶏卵の7割がケージフリーになるという試算もある。
欧州連合(EU)では1999年の採卵鶏に関する指令で12年に止まり木などのない従来型のバタリーケージが禁止された。養鶏設備を製造するハイテム(岐阜県各務原市)の安田勝彦社長は99年のEU採決時、ドイツにいた。安田社長は「ドイツの生産者にとって衝撃だった。動物福祉の活動はあるが、基準に盛り込まれるとは考えていなかった。幹事国だったドイツのグリーンパーティーが強行した」と振り返る。
世界では国際獣疫事務局(OIE、本部パリ)でケージ飼育の巣箱や止まり木を義務化する基準案が出され、日本の働きかけで推奨に落ち着いた経緯がある。21年5月にも採択される予定だ。OIEの議論について佐藤衆介東北大学名誉教授は「欧州は非関税障壁として、日本は農業の多面的機能として提案してきた」と振り返る。
西欧は東欧と陸続きのため、価格の安い卵の輸入に歯止めをかけて国内事業者を守らなければという考えがある。併せて動物福祉の観点から研究資金や設備補助金を出して止まり木などを備えたエンリッチドケージへの更新を促してきた。佐藤名誉教授は「エンリッチドケージなら卵価の上昇を2―3%に抑えつつ、鶏の行動の自由を広げられる。動物福祉と経済性を両立している」と説明する。
ただ、欧州の消費者はエンリッチドケージを好まなかった。ケージに詰め込まれた鶏の印象は悪く卵価に反映できなかった。岡田アニマルライツセンター代表理事は「エンリッチドケージは投資しても無駄になる可能性が高い」とし、エイビアリー方式という多段平飼いシステムを推す。
一方で「エイビアリーは鶏の死亡率がケージ飼いの倍になる」(東北大の佐藤名誉教授)との指摘もある。鶏の死亡率はケージ飼いで2―3%、ケージフリーで5―6%。鶏は序列社会なので、他の鶏をつついてけがをさせ、その傷のせいで死ぬためだ。佐藤名誉教授は「(鶏の)自由度が上がるとコントロールが難しくなる」との懸念を示す。
また、平飼いで鶏がふんの上を歩くようになった結果、病気のリスクも上がった。安田ハイテム社長は「欧州では抗生物質を投与すると卵は食用として出荷できなくなる」と指摘する。近年、鶏に投与しても卵に成分が移行しない薬が開発された。ただ、安田社長は「卵に移行しない薬でも食用卵としての出荷は規制されている」と説明する。欧州では鶏の健康と行動の自由、飼育コストに加え、規制の実効性も含めてジレンマを抱えている。
汚職で注目も…関心低下に懸念
日本にも国内事情がある。生卵を食べる文化があるため、鶏卵と鶏ふんを完全に分離して生産される。これは高床式のケージで可能になった。鶏ふんは網の間から下に落ち、鶏卵は網の上を転がり集卵機に回収される。
しかし日本ではこれまで動物の権利や動物福祉に対する関心が低く、一つの団体が権利と福祉の両方を掲げて活動してきた。日本では鶏の暮らしを改善し続けた先に、鶏を食べない社会が来るように思える。これは養鶏農家にとって死活問題だ。
佐藤東北大名誉教授は「海外では権利活動と動物福祉が別団体として活動している。だから主張がぶれない」と強調する。動物の権利活動は動物から搾取しない生き方を掲げ、肉食や毛皮の利用を否定するビーガンや植物肉が生まれた。健康志向もあいまって、一定の人口規模になっている。
動物の権利活動が台頭してきたのは70年代だ。75年に倫理学者のピーター・シンガー氏が実験動物や工場型畜産としての動物利用を批判し、いまも権利活動の教科書として使われている。さらにキリスト教の人間中心的な思想を批判している。こうした批判に対し、神学者らは何年もかけて答え、現代のキリスト教思想を形成してきた。欧米は持続的に議論が続く文化的な土壌を備えていた。
これに対し、日本は汚職事件で動物福祉にようやく光が当たったものの、時間とともに関心の低下も懸念される。佐藤東北大名誉教授は「日本も動物福祉への理解を広げた方がいい」と話す。「放置していると、米国が選んだからと一気にケージフリーに移行する可能性もある。動物福祉よりもイメージ優先のポピュリズムに陥る」と指摘する。
エコシステム技術開発急務
さらに問題なのは、動物福祉と経済性を両立させる技術を開発する力が日本には乏しい点だ。Mサイズの卵価は1個当たり約15円。農林水産省畜産技術室の白尾紘司課長補佐は「卵の代わりになるたんぱく源は牛乳や豆乳、アミノ酸など他にもある。卵価を上げるのは相当難しい」と説明する。
安田ハイテム社長は「ニッチ市場にあって日本の気候にあった自動化設備を開発してきた」との自負がある。同社は世界にも類を見ない生食用卵を大量生産するシステムを開発・製造してきた。鶏ふんと卵を分離し、破卵率を下げ、鶏ふんは肥料化、鶏舎は自然から切り離し、鳥インフルエンザの侵入を防いできた。
安田社長は国内養鶏業界の年間設備投資を500万羽分と推計する。採卵鶏1億4000万羽に対し、設備更新期間や人口減少分などの係数をかけた数字だ。1羽1500円のケージ代をかけると年間75億円になる。ハイテムは国内市場でシェア6割を持つと推計する。長年にわたり技術開発を行ってきたが、この技術開発の推進者が少ないとみている。
日本は飼育基準や設備、鶏の品種、エサを海外から輸入してきた歴史がある。ある政府関係者は「養鶏は国として投資する価値のある産業なのか」との声も聞かれる。自国で技術を開発するより輸入する方が早いという。
国内市場では少数の消費者に平飼い卵を高級品として高い価格で供給している。価格に人件費が転化されているようでは技術は育たない。動物福祉を科学的に体系化し、技術を成熟させ、設備のコストを下げて普及させない限り、日本の少数派の価値観は市場に広がらない。
アニマルライツセンターの岡田代表理事は「EUのように動物福祉に資する設備を導入する農家に補助金を出せないか提案している。だが、その前に現状を知ってもらいたい」と話す。
欧米のようにイメージに左右される消費者の選択や政治決断に任せると、養鶏農家は大打撃を受けることになりかねない。養鶏をエコシステム(協業の生態系)として整理し直し、技術開発を促す仕組みが求められている。