「飛行機が飛びたいと言っているようだった」(安村機長) 写真グラフ#03
半世紀ぶりの国産旅客機となる三菱航空機のMRJは11月11日、初飛行を成功させた。午前9時35分に愛知県の県営名古屋空港を離陸したMRJの飛行試験初号機(登録番号JA21MJ)は、1時間27分後の午前11時2分、同空港へ着陸した。離陸と着陸の瞬間には、招待客から歓声と拍手があがった。
初飛行を成功させた初号機は、三菱航空機のチーフテストパイロットの安村佳之機長(58)とテストパイロットの戸田和男機長が操縦。安村機長が一般に機長席と呼ばれるコックピットの左席、副機長の戸田機長が右席に座り初飛行に挑んだ。また、飛行データを計測するエンジニア3人も同乗した。
一方、空港を管理する愛知県が混乱を避けるため、空港付近での見学の代わりとして勧めたインターネットサイト「USTREAM(ユーストリーム)」による生中継は、アクセスが殺到してつながらなくなり、離陸の瞬間を視聴できなかった人もいた。
名古屋空港を離陸したMRJは、太平洋上に設定された防衛省の飛行訓練区域で、上昇と下降、左右旋回を実施し、着陸特性を確認して名古屋へ戻った。最高高度は1万5000フィート(約4500メートル)、最大速度は150ノット(約時速280キロ)だった。飛行試験の計画通り、前脚と主脚は下げたままで固定し、フラップとスラットも下げ位置で固定して飛行した。着陸後は、エンジンのスラストリバーサー(逆推力装置)を作動させずに減速させた。
到着したMRJから降りる際、安村機長は手を振って招待客らの歓声に応えた。5人の乗員を、MRJのビジネスを推進した三菱重工業の大宮英明会長や、航空事業を所管する鯨井洋一副社長、三菱航空機の森本浩通社長が出迎え、握手やハイタッチで日本の航空史に残る初飛行を終えた5人を激励した。
三菱航空機の森本社長は、「初飛行の成功で注文をいただけるほど、シンプルなビジネスではない」と気を引き締めながらも、「説得力あるセールスにつなげられる」と受注拡大への意欲を示した。
11日は午前2時半には目が覚めたという、MRJのチーフエンジニアである岸信夫副社長は、初飛行当日の心境を「不安で不安で仕方なかった」と打ち明け、初飛行の際は名古屋空港内にある三菱航空機本社の有事に備える部屋でフライトを見守った。度重なる開発スケジュールの延期を「自分自身が悔しい思いをした」と振り返った。
初飛行を担当した安村機長は航空自衛隊のテストパイロット出身で、1999年に三菱重工へ入社し、2007年からMRJに関わっている。これまでに戦闘機F-15や支援戦闘機F-1、練習機T-2、開発機XT-4(後の練習機T-4)とXF-2(同戦闘機F-2)、実験機T-2 CCV、三菱重工のビジネスジェットMU-300、エアバスA320型機など33機種の操縦経験があり、テストパイロット歴25年、総飛行時間6384時間のベテラン。岸副社長の任命で、2011年からMRJのチーフテストパイロットとして、開発に携わっている。
戸田機長は海上自衛隊のパイロット出身で、2008年に三菱重工へ入社。テストパイロット歴は21年、総飛行時間は9830時間で、哨戒機P-2JやP-3C、ボーイング737型機など34機種を操縦してきた。
初飛行を終えた安村機長は、離陸の瞬間を「離陸速度に達すると、飛行機が飛びたいと言っているようだった」と振り返り、「上昇する間も非常に安定しており、シミュレーターでの訓練通りで、全く違和感を感じなかった。非常に高いポテンシャルを持っている」と感想を述べた。
名古屋空港へ着陸直前、機体が揺れることがあったが、「機体の応答が非常に安定しており、これまで操縦した中でトップクラスというくらい、操縦性と安定性があった。着陸もまったく問題なかった」と高く評価した。
試験に集中していたという安村機長は、「富士山が見えると我に返って感動した。名古屋空港に向かう際はふるさとへ向かうような気持ちで、素晴らしい着陸を見せたいと思った」と話した。「必ずや素晴らしい飛行機が出来上がり、皆さんにお届けできると確信を得ることができた」と感想を締めくくった。
今回の初飛行を「ほぼ計画通り」と評価した岸副社長は、「計画では午前9時30分離陸、午前11時30分着陸だったが、早く着陸した。機体の性能はデータを見ていると想定通り出ており、時間が短くなった以外は計画通りだった」と説明。2016年夏以降に計画している、米ワシントン州モーゼスレイクでの飛行試験に向け、日本での試験を加速していく。
安村機長は、「時間が短くなったことで、予定していた試験項目をすべて実施できたわけではなかった」と説明。「これらは着陸に必須のものではなく、スキップしても良いと計画していたもの。燃料に余裕があれば一部の試験を追加で予定していたので、もう少し粘れば実施できたが、それよりもこのタイミングで帰った方が良いと判断した」と振り返った。
初飛行には、自衛隊の練習機T-4と、三菱重工の社有機であるビジネスジェットのMU-300が随伴機として、常に機体の状況をチェックしていた。戸田機長は、「MRJの信頼性に加えて、離陸から着陸まで随伴機が左右についてくれている安心感、心強さがあった」と、初飛行を任されたテストパイロットならではの心境を語った。
森本社長は、「初飛行は飛行試験の開始」と表現。MRJは今後、2500時間におよぶ飛行試験を重ね、2017年前半に機体の安全性を証明する国土交通省航空局(JCAB)による型式証明の取得を目指し、ローンチカスタマーである全日本空輸(ANA/NH)への量産初号機の引き渡しは、同年4-6月期を計画している。
初飛行を成功させた初号機は、三菱航空機のチーフテストパイロットの安村佳之機長(58)とテストパイロットの戸田和男機長が操縦。安村機長が一般に機長席と呼ばれるコックピットの左席、副機長の戸田機長が右席に座り初飛行に挑んだ。また、飛行データを計測するエンジニア3人も同乗した。
一方、空港を管理する愛知県が混乱を避けるため、空港付近での見学の代わりとして勧めたインターネットサイト「USTREAM(ユーストリーム)」による生中継は、アクセスが殺到してつながらなくなり、離陸の瞬間を視聴できなかった人もいた。
「不安で不安で仕方なかった」
名古屋空港を離陸したMRJは、太平洋上に設定された防衛省の飛行訓練区域で、上昇と下降、左右旋回を実施し、着陸特性を確認して名古屋へ戻った。最高高度は1万5000フィート(約4500メートル)、最大速度は150ノット(約時速280キロ)だった。飛行試験の計画通り、前脚と主脚は下げたままで固定し、フラップとスラットも下げ位置で固定して飛行した。着陸後は、エンジンのスラストリバーサー(逆推力装置)を作動させずに減速させた。
到着したMRJから降りる際、安村機長は手を振って招待客らの歓声に応えた。5人の乗員を、MRJのビジネスを推進した三菱重工業の大宮英明会長や、航空事業を所管する鯨井洋一副社長、三菱航空機の森本浩通社長が出迎え、握手やハイタッチで日本の航空史に残る初飛行を終えた5人を激励した。
三菱航空機の森本社長は、「初飛行の成功で注文をいただけるほど、シンプルなビジネスではない」と気を引き締めながらも、「説得力あるセールスにつなげられる」と受注拡大への意欲を示した。
11日は午前2時半には目が覚めたという、MRJのチーフエンジニアである岸信夫副社長は、初飛行当日の心境を「不安で不安で仕方なかった」と打ち明け、初飛行の際は名古屋空港内にある三菱航空機本社の有事に備える部屋でフライトを見守った。度重なる開発スケジュールの延期を「自分自身が悔しい思いをした」と振り返った。
「非常に高いポテンシャルを持っている」
初飛行を担当した安村機長は航空自衛隊のテストパイロット出身で、1999年に三菱重工へ入社し、2007年からMRJに関わっている。これまでに戦闘機F-15や支援戦闘機F-1、練習機T-2、開発機XT-4(後の練習機T-4)とXF-2(同戦闘機F-2)、実験機T-2 CCV、三菱重工のビジネスジェットMU-300、エアバスA320型機など33機種の操縦経験があり、テストパイロット歴25年、総飛行時間6384時間のベテラン。岸副社長の任命で、2011年からMRJのチーフテストパイロットとして、開発に携わっている。
戸田機長は海上自衛隊のパイロット出身で、2008年に三菱重工へ入社。テストパイロット歴は21年、総飛行時間は9830時間で、哨戒機P-2JやP-3C、ボーイング737型機など34機種を操縦してきた。
初飛行を終えた安村機長は、離陸の瞬間を「離陸速度に達すると、飛行機が飛びたいと言っているようだった」と振り返り、「上昇する間も非常に安定しており、シミュレーターでの訓練通りで、全く違和感を感じなかった。非常に高いポテンシャルを持っている」と感想を述べた。
名古屋空港へ着陸直前、機体が揺れることがあったが、「機体の応答が非常に安定しており、これまで操縦した中でトップクラスというくらい、操縦性と安定性があった。着陸もまったく問題なかった」と高く評価した。
試験に集中していたという安村機長は、「富士山が見えると我に返って感動した。名古屋空港に向かう際はふるさとへ向かうような気持ちで、素晴らしい着陸を見せたいと思った」と話した。「必ずや素晴らしい飛行機が出来上がり、皆さんにお届けできると確信を得ることができた」と感想を締めくくった。
飛行時間以外は「計画通り」
今回の初飛行を「ほぼ計画通り」と評価した岸副社長は、「計画では午前9時30分離陸、午前11時30分着陸だったが、早く着陸した。機体の性能はデータを見ていると想定通り出ており、時間が短くなった以外は計画通りだった」と説明。2016年夏以降に計画している、米ワシントン州モーゼスレイクでの飛行試験に向け、日本での試験を加速していく。
安村機長は、「時間が短くなったことで、予定していた試験項目をすべて実施できたわけではなかった」と説明。「これらは着陸に必須のものではなく、スキップしても良いと計画していたもの。燃料に余裕があれば一部の試験を追加で予定していたので、もう少し粘れば実施できたが、それよりもこのタイミングで帰った方が良いと判断した」と振り返った。
初飛行には、自衛隊の練習機T-4と、三菱重工の社有機であるビジネスジェットのMU-300が随伴機として、常に機体の状況をチェックしていた。戸田機長は、「MRJの信頼性に加えて、離陸から着陸まで随伴機が左右についてくれている安心感、心強さがあった」と、初飛行を任されたテストパイロットならではの心境を語った。
森本社長は、「初飛行は飛行試験の開始」と表現。MRJは今後、2500時間におよぶ飛行試験を重ね、2017年前半に機体の安全性を証明する国土交通省航空局(JCAB)による型式証明の取得を目指し、ローンチカスタマーである全日本空輸(ANA/NH)への量産初号機の引き渡しは、同年4-6月期を計画している。