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《中小企業のM&Aストーリー♯3》社員に最良の譲渡先選んだIT企業のケース

ソフトビジョンとウィズソフト
《中小企業のM&Aストーリー♯3》社員に最良の譲渡先選んだIT企業のケース

ソフトビジョン元オーナーの竹内氏(左)とウィズソフト社長の勝屋氏

**順調に成長
 竹内正夫は1987年、34歳で日立製作所を退職し、システム開発会社「ソフトビジョン」を設立した。大企業の近代的なオフィスを離れ、六畳一間からのスタート。「創業当時はファクスも買えなくて苦労したが、自分のプログラミング技術を生かせる仕事は楽しかった」と、竹内は若き日を振り返る。バブル崩壊やITバブルなど景気の山谷はあったが、ソフトビジョンは順調に成長。社員は100人弱まで増えていった。

 設立から四半世紀。竹内は2012年12月にソフトビジョンを大阪のIT企業「ウィズソフト」に売却した。きっかけは日立製作所時代の仲間との同窓会。定年を前にした同期たちの話を聞き、自分の引退や会社の今後について深く考えるようになる。すでに部下に社長を譲っていたが、自社株式は保有したままだった。子供がいなかったため「自分に万が一があった場合、株がバラバラになる。自分が意図しない形で譲られてしまう」ことに大きな不安を感じた。「会社は個人のものではなく、従業員のもの」と考える竹内は、社員にとって最良な譲渡先を探すため、M&A(買収・合併)仲介業の日本M&Aセンターに連絡を取った。
 **大企業避けて
 日本M&Aセンターは依頼を受け、売却先候補に4社を挙げた。この中には大企業もあったが、竹内が選んだのは最も小さいウィズソフトだった。「相手が大企業だと飲み込まれてしまう可能性もあるし、担当者が代わればM&Aの時の約束が守られないこともある。その点、勝屋嘉恭社長は若く、あと20年は社長ができる」と選択理由を語る。

 M&Aの調印式について竹内は「肩の荷が下りる思いもあったが、仕事も人のつながりも失ってしまうと考えると、やはりさみしいものだった」と振り返る。事業譲渡を”娘を嫁に出すようなもの“と例える人もいるが「私にはそれ以上。自分の中から何かがなくなったような気分だった」という。

 ソフトビジョンはその後も堅調に事業を拡大。現在もウィズソフトグループの中核として活躍している。
 **病院経営に新風
 竹内はソフトビジョンを譲渡した後、神奈川県の歯科医院で顧問として働き始めた。40人のスタッフのマネジメントを支援し、組織作りをサポート。「IT開発と違い、患者から直接”ありがとう“をもらえるのが病院の仕事の良いところ」と語る。企業経営者の経験を生かし、今度は病院経営に新風を吹き込んでいる。
日刊工業新聞2015年10月27日 金融面/2015年10月29日 金融面
神崎明子
神崎明子 Kanzaki Akiko 東京支社 編集委員
社員にとって最良の譲渡先を求めたことが、結果として企業競争力の向上につながっている-。こうした成功事例が増えることで企業数の9割を中小企業が占める日本経済は活性化するのでしょう。

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