【追悼2020】偉大な経営者たちは後世に何を残したか

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写真は上段左から三井住友・西川さん、オムロン・立石さん、ファナック・稲葉さん。下段左からJR東日本の松田さん、三菱商事・槇原さん、ローム・佐藤さん

百年に一度の危機。そんな言葉が、もはや大げさとは思えなくなった2020年。新型コロナウイルスが世界を翻弄し、人々の働き方や暮らし方を根底から覆した。一方で脱炭素の潮流が加速し、産業構造も大きな変革に迫られた。こうした中、日本経済の発展に尽力されてきた著名人たちが逝去された。ご冥福をお祈りします。(肩書は当時の各社・各団体による。一部、20年初頭に公にされた19年逝去者を掲載)

ファナック名誉会長 稲葉清右衛門さん

「他人資本に依存せず、確実に利益を生み、バランスのとれた強靱(きょうじん)な体質」を掲げ、ファナックを技術力・収益力ともに世界トップクラスの企業に育て上げた。80年代には米ゼネラルモーターズ(GM)や米ゼネラル・エレクトリック(GE)と協業関係を築き、国際化を推進。厳しいながらも人間味あふれる人柄は社内外から慕われた。<10月2日死去 95歳>

元日立製作所会長・社長 庄山悦彦さん

「不沈艦」と呼ばれた日立が初の赤字決算に転落した1999年に社長就任。事業構造改革を任され、IT分野を核に育てる新機軸を打ち出した。しかし情報革命のスピードを追い切れず、川村隆氏に改革を委ねて退陣した。技術者の育成を重視し、経団連副会長やモノづくり日本会議の共同議長、政府の総合科学技術会議議員としても活躍した。<6月5日死去、84歳>

元JR東日本会長・社長 松田昌士さん

戦後の3大改革のひとつ、国鉄分割・民営化を3人組の一人として先導した。社長在任時の1993年に株式上場、02年には会長として完全民営化を実現。民間会社としての基礎を築く。東京駅丸の内駅舎の復原、鉄道博物館の開業など鉄道文化の発展にも貢献した。「日本に今必要なのは改革への勇気である」―。気骨あふれる経営者の“遺言”だ。<5月19日死去、84歳>

元関西電力社長・会長 小林庄一郎さん

明朗、快活、そして正義漢。思い出すイメージだ。20年にわたり社長・会長を務め、関西経済連合会副会長、電気事業連合会会長などを務め、わが国経済界をリードした。TQC運動推進の功績を評価され「デミング賞本賞」を受賞。会長時代には“老害”を廃すため、恩ある名誉会長を取締役から外した、いわゆる「関電2・26事件」を起こす。<2月4日死去 97歳>

元三菱自動車会長・社長 益子修さん

リコール隠しで倒産危機にあった三菱自動車の立て直しに、火中の栗を拾った元商社マン。明晰(めいせき)な頭脳と八の字眉毛の飾らない人柄はカルロス・ゴーン氏をもとりこにし、日産自動車と提携。安定軌道に乗せた。トップ在任15年間、相次ぐ不祥事や経営不振の悪路をひた走り、体を張り「スリーダイヤ」を守った。健康上の理由で退いた20日後に亡くなった。<8月27日死去 71歳>

元オムロン会長・社長 立石義雄さん

立石電機(現オムロン)創業者の立石一真氏の三男。制御機器、電子部品、海外展開と積極的に取り組み、オムロンを日本を代表する制御機器メーカーに育て上げた。「企業は社会の公器」を掲げ人に優しい経営を実践した。京都商工会議所会頭を13年間務め、「知恵産業」をキーワードにした地域振興策や、KYOTOブランドの世界発信に尽力した。<4月21日死去、80歳>

元三井住友フィナンシャルグループ社長 西川善文さん

金融危機に住友銀行頭取に就任。不良債権処理や旧さくら銀行との合併で辣腕を振るい、三井住友銀行初代頭取、三井住友フィナンシャルグループ初代社長に。晩年は日本郵政初代社長も務めた。UFJホールディングスをめぐる三菱東京フィナンシャル・グループとの争奪戦は語りぐさ。その強力なリーダーシップから「ラストバンカー」と称された。<9月11日死去、82歳>

元ローム社長/創業者 佐藤研一郎さん

半導体大手ロームの創業者。大学在学中の1954年に小型抵抗器を開発し、58年に東洋電具製作所(現ローム)を設立。家電や自動車向けカスタムICなどで事業拡大し、日本を代表する高収益企業に育てた。佐藤氏はかつてピアニストを志望し、音楽への造詣も深かった。<1月15日死去 88歳>

元東芝副社長/前キオクシアホールディングス社長 成毛康雄さん

業界2位の東芝のNAND型フラッシュメモリー事業を率いライバルも一目置く存在だった。東芝の経営危機が2015年に表面化した際、半導体事業トップとして東芝メモリ(現キオクシア)売却を取り仕切った。技術者気質の生真面目さの中にユーモアを覗かせていた。<7月27日死去、65歳>

元三菱商事会長・社長 槇原稔さん

米ハーバード大学を卒業。初代ワシントン駐在員、米国三菱商事社長なども務め、米国通として知られた。経団連副会長として財界で活躍したほか、東洋文庫の理事長につくなど文化活動にも力を注いだ。岩崎家と姻戚関係にあるなど、生粋の三菱マンだった。<12月13日死去、90歳>

黒田精工最高顧問/元会長・社長 黒田彰一さん

1924年生まれ。創業者の黒田三郎氏の長男で、学生だった43年に社長に就任した。61年には東証第2部へ上場。73年と83年の2度、日本金型工業会会長を務めるなど公職も歴任した。金型や精密測定機器の国際標準化や輸出対策などにまい進し、機械工業の発展に尽力した。<9月30日死去 96歳>

シマノ最高顧問/元会長・社長 島野喜三さん

米国の販売会社社長などを経て1995年、社長に就任。自転車部品や釣り具の海外展開強化などに注力した。米国に27年間駐在し、欧米市場開拓のパイオニアの役割を担った。世界に工場や販売拠点を擁し、グループ連結売上高の9割近くを海外で占める今日の基盤を築いた。<7月3日死去 85歳>

元シンフォニアテクノロジー会長・社長 佐伯弘文さん

社長就任直後から「ムダ撲滅運動」「工場革新活動」など社内改革を強力に推し進め、業績回復にまい進した。従業員に意識改革を求めるとともに、職場環境の改善や福利厚生の充実に注力。長く続いた親会社依存に区切りをつけ、自立経営の道筋を付けた。<9月4日死去 80歳>

日本伸管会長/創業者 細沼哲夫さん

1967年に独立し、アルミニウムの伸管業から機械加工、表面処理などの事業を1代で築いた。埼玉経済同友会をはじめ経済団体から名門ゴルフ場の理事会まで幅広く要職を務めるなど、長く地域のリーダー役に。親分肌で年下にも気さくに接し、多くの経済人に愛された。<1月25日死去 83歳>

ノーベル物理学賞受賞者/東大特別栄誉教授 小柴昌俊さん

素粒子ニュートリノの観測施設「カミオカンデ」を作り、1987年に観測に成功。ニュートリノ天文学を開拓した功績で02年のノーベル物理学賞を受賞した。後に同賞を受けた梶田隆章氏ら優秀な研究者を育て、賞金を基に設立した財団では子どもの科学教育に熱心に取り組んだ。若い頃は音楽家を志したほどのクラシック音楽好きでも知られた。<11月12日死去 94歳>

元ゼネラル・エレクトリック(GE)会長兼最高経営責任者 ジャック・ウェルチさん

「1位か2位の事業以外は撤退」という大胆な方針でGEの事業構造を刷新。米国型経営の先駆者として「20世紀最高の経営者」と呼ばれた。従業員解雇などのリストラを推進する手法について「私は最初は尊敬される経営者ではなかった」と語っている。<3月1日死去、84歳>

写真は上段左からノーベル賞学者・小柴さん、関西電力・小林さん、日立製作所・庄山さん、三菱自動車・益子さん、東芝・成毛さん。下段左からGE・ウェルチさん、日本伸管・細沼さん、シンフォニアテクノロジー・佐伯さん、シマノ・島野さん、黒田精工・黒田さん

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