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簾に学ぶ「作り手が新しいものを作るのではなく、需要に応じて工夫していくことで新しくなる」

突然の真夏日、東京、浅草の田中製簾所を訪ねると、簾(すだれ)の下がる工房で、五代目の田中耕太朗さんがお仕事をしていらした。そこは簾に、細い縞(しま)模様に遮光されて涼やかで、その簾がまた風に揺れ、涼を運び入れている。

田中さんは簾の材料のひとつである葦(よし)の選別中。長くまっすぐな葦の束を占いをするように揺らしながら一本一本の太さを見極め、六段階に分けていく。「ちゃんとしないと、できあがりがばらつく」。工芸はつい作るところに目が行くが、この準備が大切で時間もかかる。今日は一日この仕事をするという。

仕事中には音楽をかける。「言葉がないのがいいんです。あると聴いてしまうから」クラシックもかけるが、その日はジャズ。葦を選(よ)る音はセッションをしているかのよう。

簾を編むところも見せていただいた。桁の上で手前から向こうへ、向こうから手前に糸を渡し、材料を一本一本、しっかりと編みつけていく。糸につけられた錘(おもり)が道具にあたって鳴る、どこか厳しい乾いた音はリズムを刻む。

大学で数学を専攻し、助手を務めた後にお父様の跡を継がれた経緯については「身近すぎて仕事という気がしなかったが、やってみたら奥が深くて」。でも修業についてうかがうと、「子供のときから見ていたから、言葉を覚えるようになんとなく」「やっていればできるようになる」―田中さんの奥ゆかしさだ。

簾は家の内外に掛けられるばかりでなく、身近なところで海苔(のり)巻きを作ったり、蕎麦(そば)の下にも。実は守備範囲の広い簾、これまで伝統が時代に即して変わっていくのを見てきたが、簾もいろいろなことができそうだ。

話が新しさに及ぶと、「作り手が新しいものを作るのではなく、需要に応じて工夫していくことで新しくなる」と。そして「お客さんの要望のものを作れるのが昔ながらの職人」。衒(てら)いのない田中さんの矜持(きょうじ)が覗いた。

昔は総じてオーダーメイドだった。伝統はもともとは柔軟なもので、またそうあることが真の伝統なのだろう。伝統について、またひとつ先へと考えをすすめた、暑い夏の日の涼しいひととき。

画=黒澤淳一

田中製簾所=創業明治初期/設立昭和33年(1958年)/東京都台東区

日刊工業新聞2020年7月3日

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