「まじめで正直な仕事」東京、浜町の表具店に感じるあたたかみ
東京、浜町の表具店「経新堂 稲崎」は江戸時代、天保年間の創業。経師の筆頭格として朝廷に仕え、「大経師」の称号を賜った、当時より名字帯刀をゆるされた家だ。もとは大工町(現・日本橋二丁目)に店を構えていたが、空襲で焼け、浜町に移った。
四代目が焼け跡から拾ってきた、初代の頃から使われていた鉄製の焼き印を今も使う。表具の道具に焼き付けてきた印で、招き猫の後ろ姿という図柄がいい。こちらを招くのではなく、こちらに招いている。
お話をうかがったのは、五代目・稲崎棟史(むねちか)さんの息子さんの知伸さん。表具師であり、建築士でもある。昨今は軸を掛ける床の間も少なくなったが、現代の家に合わせ、どこでも楽しめるよう色紙を入れかえて飾る表具なども制作する。お客さんの希望で、思い出の着物を使って作ったという屏風は、どんな空間も思い出とともに美しく彩るだろう。表具は決して和風の家のためばかりではないのだ。
今はまた、江戸や明治時代のものに傷みが出る頃で、全国の博物館や美術館から古書画が持ち込まれる。それらを修復して後世に遺す。紙や絹についたしみぬきをはじめ、失敗がゆるされない作業で、今やそれができる表具屋は少ない。
二階の工房で、弟さんの昌仁さんが仕事をしているところを見せていただいた。修復した絵の裏に和紙を重ねる裏打ちの真っ最中で、和紙を棕櫚(しゅろ)でできた刷毛(はけ)でたたく。素人目には破れるのではないかと心配になるが、そこは永年の修練で見事に仕上げる。表返すと、そこには可愛いお人形が描かれていた。きれいになって、持ち主も、お人形も嬉(うれ)しかろう。
表具に使う糊(のり)もここでつくる。大寒の日に小麦粉を甕(かめ)にしこんで発酵させ、十年かけて。発酵しきると黴(か)びることはない。
手間を惜しまず、仕事に化学的なものは何ひとつ使わない。自然の糊だから、紙を地布からはがして修復することができ、百年後もまた修復が可能だ。自然とともにある表具は、自然のように永遠であることを想う。
「まじめで正直な仕事だ」と、ご兄弟がおっしゃる。この「まじめで正直」が、人を招く。
画=黒澤淳一
経新堂稲崎=創業天保年間(1835年ごろ)/東京都中央区日本橋浜町2の48の7/03・3666・6494