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エンブレム問題は起こるべくして起きた。"1本の線に丸1日”を費やす意味

文・イラスト=長友啓典 デザイナーとしての自信、誇り、意地、熱き心へ「天に唾する」行為
 1本の線を引くのに丸1日を費やし、師匠から指定されたある一色を丸1日掛けて作り上げる、こんな修行を何年か積んでやっと助手のまたその助手の席を与えられるのが、デザイナーへの第一歩であった(ボクたちの時代が最後だろうけど)。

 1本の線というのは1ミリの線の中に極細の面相筆で何本の線を引けるのかを同僚たちと競いあったものだ。なかなか出来るものではない。来る日も来る日もこの訓練の繰り返しである。並行して文字の練習だ。カラス口と曲線定規を巧みに操り、明朝体、ゴシック体、今でいうフォントを書き分けながらの修行をするのだ。

 色でいえば、当時は色見本貼もなければ勿論(もちろん)パソコンもない時代である。例えば、師匠から「ラッキーストライク」(アメリカの煙草(たばこ))の赤い丸を示し、「ナガトモくん、この赤い色を出しておいて下さい」と言われれば、ポスターカラーで色見本を作らなければならない時代である。

 さぁ、大仕事である。簡単なようだが、見本のラッキーストライクの赤い色を壁に貼り、それを横目に絵の具を混ぜていくのである。見た目、出来たと思いつつ、ケント紙に塗って見ると、やや薄い。しからばもう少し濃い目に赤を足してみると、今度は少し濃い目となる。白を加え、また水を足し自信の色が出来上がり、塗って乾くとまたラッキーストライクの赤には微妙に違ってくる。

 また逆戻りだ。塗って乾くと色が違うことに気が付き、それを理解したころには、僅(わず)か10センチ四方を塗るだけの絵の具がなんとバケツ1杯ぐらいになってしまう。半日はかかる大仕事であった。一人前になるには5年から10年と掛かるはずだ。他にもあるがこれらの修行中における地味な作業の積み重ねが色々なことを教えてくれた。デザイナーとしての自信、誇り、意地、熱き心……が身についたというものだ。

 このところのデザイナー達はこういった作業を経ることなくパソコンという優秀なアシスタントを最初から活用し、ボク達のような過程をすっ飛ばして一人前になってしまう。今回騒がれている「オリンピックエンブレム」のような問題も起こるべくして起きたような気がしてならない。

 ご本人も、周りの諸先輩もデザイナーのプライドはどこへ行ってしまったのか、思えば思うほど情けない。「天に唾する」ようなものだけど敢(あ)えて言わせてもらった。
長友啓典(ながとも・けいすけ)39年(昭14)大阪生まれ。ガン闘病記「死なない練習」(講談社)、「怒る犬」(共著、岩波書店)など絵筆とともにペンも握るアートディレクター

 ※日刊工業新聞では毎週金曜日に「友さんのスケッチ」を連載中
 
(2015年09月18日 ウイークエンド)
村上毅
村上毅 Murakami Tsuyoshi 編集局ニュースセンター デスク
あの騒動を歯がゆく、強い憤りをもって受け止めていたのではないか。地道に積み重ねていくことで、“かたち”を作っていくというある種アナログの部分がなくなりつつあることの危機感は、何もデザイン業界だけにとどまらない。身に染みる言葉だ。

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