111年ぶりに再参入したビール製造技術活用―石川酒造
【連載】旅行先で日本酒を一杯。(5)
最終回は、東京の酒蔵をご紹介します。
石川酒造は江戸幕府直轄領熊川村(東京都福生市)の名主だった石川家13代当主石川和吉が1863年(文久3年)創業した。農業を生業としていたが、農地改革などを経て酒造業に軸足を移して現在に至る。敷地内の井戸から汲(く)み上げた地下水で仕上げている。
純米酒「多満自慢」は80年前から造り続けている逸品。東京都・多摩の心をうたった味を届け、広く自慢できる酒との思いが名に込められた。存在感のある土蔵づくりの本蔵は約130年前に建てられた。3階建てで、幅25メートル、高さ13メートル、奥行き31メートル。一定の温度を保つための蔵は、設備が高度化している現代でも酒造りに欠かせない。
18代当主石川彌八郎は「誰にでも手軽に飲めて愛される酒であること」にこだわる。辛さ、甘さといった強烈さはないが、原料や醸造による味わいを楽しめるように経験豊かな職人の技術が生きている。
石川酒造の酒造りには1998年に明治時代以来111年ぶりに再参入したビール製造ノウハウも活用している。ビールと日本酒は異なるが、発酵のメカニズムは同じ。「勉強すればするほど違いや奥深さがわかる」。
外国人観光客の酒蔵見学も受け入れており、英語、フランス語ができるスタッフを置く。都内の酒蔵が減少する中、「東京観光している外国人をもてなし、日本酒の良さを知ってほしい」。世界に誇れる酒を造り続ける。(敬称略)
▽所在地=東京都福生市熊川1番地▽創業=1863年(文久3年)
【看板商品】
純米酒「多摩自慢 熊川一番地」
味わい=口全体に広がるほのかなうまみが特徴
アルコール度数=15度以上16度未満
酒造りに欠かせない、130年前に建てられた蔵
石川酒造は江戸幕府直轄領熊川村(東京都福生市)の名主だった石川家13代当主石川和吉が1863年(文久3年)創業した。農業を生業としていたが、農地改革などを経て酒造業に軸足を移して現在に至る。敷地内の井戸から汲(く)み上げた地下水で仕上げている。
純米酒「多満自慢」は80年前から造り続けている逸品。東京都・多摩の心をうたった味を届け、広く自慢できる酒との思いが名に込められた。存在感のある土蔵づくりの本蔵は約130年前に建てられた。3階建てで、幅25メートル、高さ13メートル、奥行き31メートル。一定の温度を保つための蔵は、設備が高度化している現代でも酒造りに欠かせない。
18代当主石川彌八郎は「誰にでも手軽に飲めて愛される酒であること」にこだわる。辛さ、甘さといった強烈さはないが、原料や醸造による味わいを楽しめるように経験豊かな職人の技術が生きている。
石川酒造の酒造りには1998年に明治時代以来111年ぶりに再参入したビール製造ノウハウも活用している。ビールと日本酒は異なるが、発酵のメカニズムは同じ。「勉強すればするほど違いや奥深さがわかる」。
外国人観光客の酒蔵見学も受け入れており、英語、フランス語ができるスタッフを置く。都内の酒蔵が減少する中、「東京観光している外国人をもてなし、日本酒の良さを知ってほしい」。世界に誇れる酒を造り続ける。(敬称略)
▽所在地=東京都福生市熊川1番地▽創業=1863年(文久3年)
【看板商品】
純米酒「多摩自慢 熊川一番地」
味わい=口全体に広がるほのかなうまみが特徴
アルコール度数=15度以上16度未満
日刊工業新聞2014年10月15日 列島ネット面