万博はイノベーションを誘発する巨大な装置。大阪からドバイ、そしてまた大阪へ
「未来社会の実験場」がコンセプトとなる2025年の大阪・関西万博。具体化へ向けたアイディアを募る有識者会議が11月末、大阪市で初開催された。運営組織の2025年日本国際博覧会協会が主催したもので、企業からは約300人が参加するなど関心の高さがうかがえた。石毛博行事務総長は万博を「イノベーションを誘発する巨大な装置にしていきたい」と意欲を示した。今後、協会では、企業が万博会場で実証実験したい事業の提案を受け付ける予定で、議論の内容や提案を踏まえ、来秋にも基本計画が策定される見通しだ。
変革もたらすきっかけに
イノベーションと万博-。実際、万博は未来を象徴する技術や製品を披露するにとどまらず、人々のライフスタイルや価値観を大きく変え、ビジネスに変革をもたらすきっかけとなってきた。
1970年の大阪万博は、最先端のファッションを取り入れたパビリオンのホステスや国内外の貴賓の接遇に携わるエスコートガイド(いずれも当時の呼称)のユニフォームは大きな注目を集めた。国や企業イメージを世界に発信する重要な役割を担いつつも、機能的でファッショナブル。こうしたユニフォームを身にまとった彼女らは「未来都市の住人」と称された。
「70年万博は単なる事務服としか考えられていなかったユニフォームに対する考え方が大きく変わり、オフィスの風景を一変させるインパクトがありました」。こう振り返るのは東レの機能製品事業部東京ユニフォーム課の中原仁子さん。当時、企業パビリオン向けにユニフォームを提供した東レは、2020年10月に開幕するドバイ万博で日本館のアテンダントが着用するユニフォーム製作に再び挑む。世界的に活躍する若手デザイナー、「アンリアレイジ」の森永邦彦さんが描く世界観を、自社の高機能素材を通じていかに具現化するか、作業は大詰めを迎えている。同時に、経済成長と持続可能性の両立といった世界的な課題解決に、革新技術や先端材料を通じて挑む姿を発信したいと考えている。
同じく東京ユニフォーム課長の浅井英さんはこう続ける。
「とりわけ一般消費者の目に触れる機会が少ない我々、川上産業にとって、万博を通じて未来社会の姿や企業として目指す方向性を発信する意味は大きいと考えます。同じく日本館のユニフォームに携わった前回、2015年のミラノ万博当時は、機能性と扱いやすさを両立した先端材料に力を入れており、当時の最先端技術を駆使した素材を提供しました。これらは私たちの日常着として今や一般的になっている素材です」
地道な取り組みの先にあるもの
2020年万博を控えたドバイで、ひときわ熱い思いを抱く人もいる。ブラザー工業のドバイ現地法人「ブラザーインターナショナル(ガルフ)」社長の村上惣一さん。小学生として70年万博を経験。学生時代には神戸ポートアイランド博覧会でアルバイト。中堅社員として迎えた2005年の愛・地球博でブラザー工業は共同館「夢見る山」に出展。そしてビジネスマンとしての最終章を駐在先のドバイ、そして大阪・関西で迎えることに運命的なものを感じている。
「つい数日前もドバイ万博の建設予定地を訪れましたが、あまりに急ピッチで会場周辺のインフラ整備が進むため、カーナビはおろかグーグルマップの更新が追いつかないほど」という。
「帰宅途中に道を一本間違えたら砂漠の中を50キロもさまよう羽目に。陽が落ちると怖かった」。ドバイならではの姿が垣間見える。
国連が定めた持続可能な開発目標(SDGs)の取り組みを加速させる万博と位置づけられる大阪・関西万博だが、同社はこれにつながるドバイ万博においても、ビジネスを通じてSDGsに貢献する姿を発信したいと考えている。この11月に現地スタッフの発案で、ドバイのショッピングモールで開催したイベントはプラスチックごみの削減を目指し、同社のミシンで日本館ロゴ入りのエコバッグを作製するもの。完成後は名前のイニシャルを刺繍してくれるため、世界にひとつだけのバッグとして愛着を持って使ってもらえる。
「(建築家の)永山祐子さんが(ドバイ万博日本館の設計にあたり)『にじみ出る和を表現したい』と語っておられましたが全く同感です。SDGsは最先端技術だけで実現できるものではなく、地道な取り組みの積み重ねの先にあります。もちろん企業ですから万博への協賛を通じてブランド認知度や販売増につなげなければなりませんが、高品質な製品や技術の裏にある『日本の心』を世界に知ってもらう機会にしたいですね」(村上さん)。
企業それぞれが抱く万博への思い。その裏には、必ずしも経済効果だけでは測れない経営理念や目指すビジョンが確かにある。