「工場診断を続けて本当に役立つんでしょうか?」
前回までのあらすじ
この物語は、若き経営者が工場改革を実行していく奮闘記である。会長の梅原耕造は息子の拓摩に経営権を譲るが、工場長の藤原との関係を危惧していた。そこで、コンサルタントの近藤に工場診断を依頼した。
コンサルタントの近藤健一は、主に製造業を対象として工場の生産性を25%アップさせる活動をしている。コンサルタントというと一般的には企業の課題解決を行う専門家であり、経営者からのヒアリングや企業と企業を取り巻く業界動向の分析などを行うが、近藤は従来のコンサルタントとは異なる方法をとる。経営者からのヒアリングや企業分析はまったく行わず、「問題はすべて現場にある」という信念のもと現場観察を最重要視する。
このため、最初に工場診断として現場を観察するのである。このとき、企業の概要や経営者が抱えている課題などについては原則として聞かない。先入観が入ってしまうと現場観察が正しく行えないからである。また、工場診断を事前に工場管理者に知らせると、見られて困るものを隠したり、通常とは異なる仕事のやり方をしてしまう場合がある。顧客の監査が入ると多くの工場では“準備”をしてしまうように、外部の人間が工場に来るとなるとどうしてもいつもとは違う状態になってしまうのである。だから、近藤は工場診断について工場管理者には知らせないようにお願いしているのだ。
工場診断では、現場で工場管理者にいくつか質問を投げかけていくのだが、多くの場合、工場管理者は質問に即答できない。たとえば、製造部長に現時点での在庫金額はいくらかと質問すると、製造部長は答えられず、事前に言っておいてくれれば資料を用意して正確な回答ができたのにと反論する。しかし、この時点で近藤が知りたいのは正確な在庫金額ではなく、製造部長が日々どれだけ在庫を意識して在庫金額を頭に刻み込んでいるか、そして現在の生産管理システムから正確な在庫金額にたどり着く方法とたどり着くまでの時間をチェックしているのである。現場で工場管理者に質問しながら管理システムの有効性、工場管理者の知識や意識、考え方などをチェックし、現場で起きている事実を経営者と共有していくことが工場診断の狙いなのである。ただ、この点がうまく理解されず、梅原技研の工場診断の際にトラブルを招いてしまうのである。
工場診断の朝、まだ少し肌寒い快晴の中、近藤は梅原技研の玄関にたどり着いた。玄関で待っていた耕造が近藤を出迎える。
「いやー近藤先生、お待ちしていました。さぁ、こちらの会議室へどうぞ」
近藤と耕造は会議室に入り、耕造は社長の拓摩と工場長の藤原を呼び出した。藤原は事前に工場診断のことを聞いていなかったため、少し慌てた様子で会議室に入ってきた。お互い名刺交換を始め、一通りあいさつらしいことを済ませた後、耕造は会社のパンフレットを近藤に差し出して会社概要を説明しようとした。
「梅原会長、会社の説明は後ほどゆっくり聞かせてもらいます。まずは現場を案内してください」
近藤が会社概要の説明を止めたことに耕造は少し驚いたが、現場へ入る準備を始めた。その間、近藤と拓摩、藤原は無言のまま耕造が戻るのを待った。5分ほどで耕造が会議室に戻ってきた。
「さぁ、現場に行きましょう」
まず近藤は材料が置かれている倉庫へ向かった。近藤はしばらくの間、倉庫全体の様子や個々の材料の置かれ方、材料に貼られたさまざまなラベルをじっくり観察した。耕造と拓摩、そして藤原がじっと待っている中、やっと近藤が口を開く。
「先月の材料購入金額はいくらですか?」
耕造と拓摩と藤原はお互い目を見合わせ、誰が答えるかを暗黙のうち相談し始めた。耕造が藤原に目配せして答えるように指示した。
「金額はちょっとわからないですね。材料発注は担当に任せてます。事務所のパソコンにデータがあるので、ちょっと調べてきますよ」
そう言って藤原は事務所に向かい、20分ほどして戻ってきた。藤原は近藤がなぜ金額を聞いてくるのか理解できなかった。金額を知ってどうなるというものなのか、そしてなぜ自分が金額を調べなくてはならないのかという疑問から苛立ちに変わっていた。そして、そもそも工場診断のことを拓摩は事前に知っていたにもかかわらず、自分には知らされていなかったことなど、色々な感情が入り交じり、結果として近藤に対する不信感が生まれ始めていた。
「システム上のデータでは4,000万円くらいなんですが、システムに入っていない仕入先もあるので正確な金額を計算するにはかなり時間がかかりますよ」
近藤はこの回答を聞いて説明を始めた。
「藤原工場長、材料の管理で一番大切なことは金額を把握することなんです。材料購入は工場で最も高い買い物であり、最もお金が外へ逃げていきます。その金額を工場のトップは把握しなければなりません。工場管理はすべて金額で行うということをぜひ覚えておいてください」
これに対し、藤原が反論を始めた。
「近藤さん、あなたはこの工場のことがわかっていない。材料は担当がすべて把握しながら購入しているし、システムに在庫データを入れて管理しているから問題ないですよ。そもそも工場長の私が材料のことまで把握する必要があるんですかね。うちは今までこのやり方でやってきて特に問題はないんですよ。それに、材料の購入金額を知りたいなら3日前に言ってくれてれば資料を用意できたのに、どうも効率が悪いやり方ですよね。こんな工場診断を続けて本当に役立つんでしょうか?こんなことなら私は仕事に戻らせてもらいます」
藤原は、一方的に言い放って、耕造が止める間もなく工場へ戻ってしまった。
耕造は、このまま工場診断は続けることができないと思い、近藤に日を改めて再度行う提案をした。しかし、近藤は慌てる様子もなく工場診断を続けると言ったのだった。(続く)
近江 良和(おうみ よしかず)
近江技術士事務所 主任コンサルタント
日本大学理工学部数学科卒業後、大手システム開発会社、翻訳サービス会社を経て、近江技術士事務所の主任コンサルタントとなり、工場の生産性向上指導や公的機関における経営支援やセミナー講演に従事する。「10カ月間で工場の生産性を25%アップさせる」という目標を掲げ、食品加工、板金加工、プラスチック成形などさまざまな業種の工場指導経験を持つ。主な著書は『稼働率神話が工場をダメにする』『モノの流れと位置の徹底管理法』(日刊工業新聞社)。
近江技術士事務所
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