森ビル「理想の都市」集大成、東京の“磁力”を引き上げるか
東京の虎ノ門・麻布台エリアで、森ビルが考え抜いた「理想の都市」を築くプロジェクトが始動した。街づくり協議会の発足から30年。計画区域の拡大・分離やバブル崩壊を乗り越え、2023年に約8万1000平方メートルもの「モダン・アーバン・ビレッジ」が誕生する。志向するのは緑があふれ、国際都市の質感と小さな村のような親密さを兼ね備えた場所だ。辻慎吾社長は「東京の“磁力”を引き上げる街に育つだろう」と自信を示す。
森ビルは、東京都港区虎ノ門5丁目と同麻布台1丁目、同六本木3丁目にまたがる「虎ノ門・麻布台地区第1種市街地再開発事業」を5日に着工した。辻社長は約600人が参列した起工式で「世界の企業や人を集め、国際色あふれるコミュニティーを実現したい。社運を賭け、最強の布陣で取り組んでいく」と明言した。
街づくりの舞台は桜田通りと麻布通り、外苑東通りに囲まれたT字型の区域だ。小規模な木造住宅やビルが密集する防災上の課題を解消し、都市インフラを更新する。その上でオフィスや住宅などで構成する高さ約330メートルの「メインタワー」や約270メートルと約240メートルの住宅棟など計7棟を仕上げる。総事業費は約5800億円で、建設当時の六本木ヒルズを上回る規模となる。
追求したのは「都市を創り、育む」という理念だ。そのためにまず着手したのが、高台と谷地が入り組む現地での道路整備だ。開発事業部開発2部の村田佳之部長は「特に最大約18メートルの高低差が交通を分断していた」と振り返る。ここに北側から外苑東通りに抜ける南北道路と、桜田通りと麻布通りをつなぐ東西道路を開通させる。街ににぎわいを生み出す道筋が整う格好だ。
インフラ整備では東京メトロ日比谷線「神谷町駅」と同南北線の「六本木一丁目駅」を地下でつなぐ歩行者空間を設けることで、人の流れを変える効果も見込む。同時に、麻布通り脇でV字状に落ち込んでいた「行合坂」を平面化し歩道にする計画も打ち出す。歩行者空間を拡充するだけではなく、隣接する小学校に通う児童の安全確保にも寄与する周辺整備の柱といえる。
もう一つ森ビルらしさが現れるのが、街の中央に位置する6000平方メートルもの広場だ。人の流れに重きを置いた結果、核となるメインタワーより先に配置を決めた。
街づくりのセオリーとしては異例なものの、北側の「アークヒルズ仙石山森タワー」から緑の景観を連続させる上でも「これがベスト」(村田部長)だという。全体で約2万4000平方メートルの緑化空間の創出にもつながった。
再開発組合の曲谷健一理事長は「大勢の人が暮らすにぎやかな街になれば」と大きな期待を寄せる。地権者約300人の9割はここに住み、オフィスや店舗もそろう。だが森ビルとしては「世界の人やモノを引き付けるにはまだ弱い」とみる。そこで訴求するのが、国家戦略特区が掲げる「外国人を呼び込む職住近接の空間づくり」に沿った「外国人にも暮らしやすい生活環境」だ。
例えば出身国と同等のカリキュラムで教育を受けられるインターナショナルスクールのほか、多言語に対応する子育て支援施設や医療施設、スーパーマーケットを整備。専有面積約1000平方メートルの大型住宅や中期滞在向けのサービスアパートメントも設ける。この先は国内外の新旧住民が交わることになるこの街を、どのように地域に根付かせていくかがテーマとなる。
そのために磨きをかけるのがエリアマネジメントだ。多くの地権者が戻った六本木ヒルズでの成功に裏打ちされた、同社が最も得意とする領域でもある。辻社長は「単純にビルを建設するだけでは、街の魅力は引き出せない」と断言。「街で生まれるさまざまなコミュニティーが交わるきっかけを提供し、対話の仲立ちをしていくこともデベロッパーの役割だ」と強調する。
辻社長はかねて「これは森ビルにしかできない案件だ」と強調してきた。高低差がある地形と道路に面さない“あんこ”の部分が多い立地。そして、地権者の多さ。老朽化した都市基盤を整え、職・住や遊び・学び、文化発信といった機能を重層的に組み込む「バーティカル・ガーデン・シティー(立体緑園都市)」構想を掲げる森ビルの本気度が試された場でもあった。
プロジェクトは再開発区域のほぼ中央に位置する我善坊地区の機能更新を機にスタートした。86年に完成した「アークヒルズ」(東京都港区)に次ぐ開発との位置付けで、やがて桜田通りに面する東側の八幡町地区や北側の仙石山地区が追加。89年には3地区で一体開発の土壌が整った。西側の麻布台地区は新築マンションが多く、当初の計画には入らなかったという。
再開発組合と並行して、森ビルも独自に布石を打っている。麻布グリーン会館の取得はその一例で、仙石山地区のポテンシャルを高める役割を担ったとされる。ただ、仙石山地区には現在、アークヒルズ仙石山森タワーが建つ。背景にあるのは、バブル崩壊に伴う景気後退。不透明感が漂う中、分離して2段階での事業化に踏み切ったことも同プロジェクトの特徴だ。
この選択は、後に思わぬ効果も生んだ。村田部長は仙石山森タワーについて「麻布台地区で再開発の機運を高める材料になった」と捉える。マンションが機能更新の“適齢期”を迎えた時、近くにそびえるタワーを「森ビルによる再開発の成果として好意的に受け止めていただけた」という。この地域が加わったことで、懸案だった東西道路の建設にも一気に弾みが付いた。
その上で、再開発計画の実現に最大の効果をもたらしたのが日本郵便の参画だ。「日本郵政グループ飯倉ビル」が区域に入り、要となるメインタワーの建設が可能になった。村田部長は「形状が変わるたびに最も良いものを思い描いてはきたが、これで満足できるプランを落とし込める形状になった。仙石山を含む虎ノ門・麻布台の街づくりがようやく完結する」と笑う。
(取材・堀田創平)
森ビルは、東京都港区虎ノ門5丁目と同麻布台1丁目、同六本木3丁目にまたがる「虎ノ門・麻布台地区第1種市街地再開発事業」を5日に着工した。辻社長は約600人が参列した起工式で「世界の企業や人を集め、国際色あふれるコミュニティーを実現したい。社運を賭け、最強の布陣で取り組んでいく」と明言した。
街づくりの舞台は桜田通りと麻布通り、外苑東通りに囲まれたT字型の区域だ。小規模な木造住宅やビルが密集する防災上の課題を解消し、都市インフラを更新する。その上でオフィスや住宅などで構成する高さ約330メートルの「メインタワー」や約270メートルと約240メートルの住宅棟など計7棟を仕上げる。総事業費は約5800億円で、建設当時の六本木ヒルズを上回る規模となる。
追求したのは「都市を創り、育む」という理念だ。そのためにまず着手したのが、高台と谷地が入り組む現地での道路整備だ。開発事業部開発2部の村田佳之部長は「特に最大約18メートルの高低差が交通を分断していた」と振り返る。ここに北側から外苑東通りに抜ける南北道路と、桜田通りと麻布通りをつなぐ東西道路を開通させる。街ににぎわいを生み出す道筋が整う格好だ。
インフラ整備では東京メトロ日比谷線「神谷町駅」と同南北線の「六本木一丁目駅」を地下でつなぐ歩行者空間を設けることで、人の流れを変える効果も見込む。同時に、麻布通り脇でV字状に落ち込んでいた「行合坂」を平面化し歩道にする計画も打ち出す。歩行者空間を拡充するだけではなく、隣接する小学校に通う児童の安全確保にも寄与する周辺整備の柱といえる。
外国人も住みやすく
もう一つ森ビルらしさが現れるのが、街の中央に位置する6000平方メートルもの広場だ。人の流れに重きを置いた結果、核となるメインタワーより先に配置を決めた。
街づくりのセオリーとしては異例なものの、北側の「アークヒルズ仙石山森タワー」から緑の景観を連続させる上でも「これがベスト」(村田部長)だという。全体で約2万4000平方メートルの緑化空間の創出にもつながった。
再開発組合の曲谷健一理事長は「大勢の人が暮らすにぎやかな街になれば」と大きな期待を寄せる。地権者約300人の9割はここに住み、オフィスや店舗もそろう。だが森ビルとしては「世界の人やモノを引き付けるにはまだ弱い」とみる。そこで訴求するのが、国家戦略特区が掲げる「外国人を呼び込む職住近接の空間づくり」に沿った「外国人にも暮らしやすい生活環境」だ。
例えば出身国と同等のカリキュラムで教育を受けられるインターナショナルスクールのほか、多言語に対応する子育て支援施設や医療施設、スーパーマーケットを整備。専有面積約1000平方メートルの大型住宅や中期滞在向けのサービスアパートメントも設ける。この先は国内外の新旧住民が交わることになるこの街を、どのように地域に根付かせていくかがテーマとなる。
そのために磨きをかけるのがエリアマネジメントだ。多くの地権者が戻った六本木ヒルズでの成功に裏打ちされた、同社が最も得意とする領域でもある。辻社長は「単純にビルを建設するだけでは、街の魅力は引き出せない」と断言。「街で生まれるさまざまなコミュニティーが交わるきっかけを提供し、対話の仲立ちをしていくこともデベロッパーの役割だ」と強調する。
再開発の機運、周辺にも
辻社長はかねて「これは森ビルにしかできない案件だ」と強調してきた。高低差がある地形と道路に面さない“あんこ”の部分が多い立地。そして、地権者の多さ。老朽化した都市基盤を整え、職・住や遊び・学び、文化発信といった機能を重層的に組み込む「バーティカル・ガーデン・シティー(立体緑園都市)」構想を掲げる森ビルの本気度が試された場でもあった。
プロジェクトは再開発区域のほぼ中央に位置する我善坊地区の機能更新を機にスタートした。86年に完成した「アークヒルズ」(東京都港区)に次ぐ開発との位置付けで、やがて桜田通りに面する東側の八幡町地区や北側の仙石山地区が追加。89年には3地区で一体開発の土壌が整った。西側の麻布台地区は新築マンションが多く、当初の計画には入らなかったという。
再開発組合と並行して、森ビルも独自に布石を打っている。麻布グリーン会館の取得はその一例で、仙石山地区のポテンシャルを高める役割を担ったとされる。ただ、仙石山地区には現在、アークヒルズ仙石山森タワーが建つ。背景にあるのは、バブル崩壊に伴う景気後退。不透明感が漂う中、分離して2段階での事業化に踏み切ったことも同プロジェクトの特徴だ。
この選択は、後に思わぬ効果も生んだ。村田部長は仙石山森タワーについて「麻布台地区で再開発の機運を高める材料になった」と捉える。マンションが機能更新の“適齢期”を迎えた時、近くにそびえるタワーを「森ビルによる再開発の成果として好意的に受け止めていただけた」という。この地域が加わったことで、懸案だった東西道路の建設にも一気に弾みが付いた。
その上で、再開発計画の実現に最大の効果をもたらしたのが日本郵便の参画だ。「日本郵政グループ飯倉ビル」が区域に入り、要となるメインタワーの建設が可能になった。村田部長は「形状が変わるたびに最も良いものを思い描いてはきたが、これで満足できるプランを落とし込める形状になった。仙石山を含む虎ノ門・麻布台の街づくりがようやく完結する」と笑う。
(取材・堀田創平)
日刊工業新聞2019年8月26日