NHKの専門家が語る、これからメディアは激甚災害にどう向き合うべきか
昨年の「平成30年7月豪雨(西日本豪雨)」は200人を超す死者・行方不明者が出る大惨事となった。災害の危険が予測できても、それが自治体や住民に正確に伝わらなければ避難行動には結びつかない。テレビ・ラジオなどのメディアは的確に情報を伝えられたのか。より住民に危機意識を持ってもらうには、どうすればいいのか。NHK放送文化研究所上級研究員の入江さやか氏に聞いた。
ー災害情報のあり方は、時代とともに変わってきたと思います。
「平成は『災害の時代』だったと感じます。私が記者、研究者として災害報道・災害情報に関わったのは1992年からですが、この四半世紀は、阪神・淡路大震災や東日本大震災をはじめ、いろいろなところで大地震や津波による災害や大規模な水害などが発生し、息つく暇もなかったという印象です」
「同時に、災害報道・災害情報についても大きな変革の時代だったと捉えています。何より新たな情報が増えたこと。気象庁だけでも、気象警報や注意報が市町村単位できめ細かく発表されるようになり、大雨のときにがけ崩れの危険性を知らせる『土砂災害警戒情報』も導入されました。さらに雨雲の動きが『降水ナウキャスト』でレーダーのような画面でみられるようになり、2017年には『洪水警報の危険度分布』も導入されるなど、目で見てわかる情報が増えました」
「地震と火山に関しても情報面で大きな変化がありました。1993年の北海道南西沖地震をきっかけに『津波予報』が迅速化されました。強い揺れの到達を可能な限り事前に伝える『緊急地震速報』の導入は画期的だったと思います。火山についても、噴火したことを登山者や住民にすばやく伝える『噴火速報』が導入されました。メディア側もこうした情報をどう伝えるか、工夫を重ねています」
「1990年代後半からは、インターネット・スマートフォンが普及し、こうした情報を誰でもどこでも入手できるようになったことも極めて大きな変化でした。ホームページを見に行ったり、スマホの画面を開いたりしなくても、気象警報などがプッシュで送信されてくる防災情報アプリを利用する人も増えています」
ー情報が増えたのに、豪雨災害で死者が出るケースはなくなりませんね。
「理由は大きく分けて2つあると思っています。第一は、災害心理学でいうところの『正常性バイアス』。自分だけは大丈夫だという思い込みです。人間が誰でも持っているもので、いかんともしがたいところがあります」
「第二に、気象警報や避難情報が出ても、それを『わがこと』として受け止めないという問題があります。国土交通省の報告書でも指摘されていることですが、堤防やダムなど防災施設の整備がある程度進んだ現在の日本の社会では、危険や危機を感じる力が弱まっており、安全性への過信があります(※平成27年1月 国土交通省「「新たなステージに対応した防災・減災のあり方」」)。そのため、気象警報など危険を知らせる情報が出ても『わがこと』と感じにくく、避難行動につながりにくくなっていると考えられるのです。これにはメディアだけでなく防災当局も頭を悩ませているところです」
ー警報など危険を知らせる情報が避難に結びついていないわけですね。
「たとえば平成29年9月関東・東北豪雨では、2015年9月10日に鬼怒川が決壊し茨城県常総市など広い範囲が浸水し、約4,000人が孤立しました。当時NHKは決壊した鬼怒川付近で住民が救出される様子をヘリコプターからの中継で伝えましたので、記憶に残っている方も多いと思います」
「NHK放送文化研究所では、常総市で避難指示・避難勧告が出た地区の住民を対象に、防災情報が伝わっていたかどうか、避難行動をとったかどうかなどを調査しました。氾濫の起きた日の未明には、鬼怒川にはすでに『氾濫危険情報』が出されていましたが、この情報を知っても『まさか氾濫は起きないだろうと思った』という人が43%で、防災情報の「危機感」が心に響いていなかったのです(下記グラフ参照)。昼過ぎに鬼怒川が決壊したという情報を知っても、なお44%の人が『自分のいる場所は浸水しない』と、つまり『わがこと』と思っていなかったこともわかりました(【出典1】図27、図30)。河川の氾濫や低い土地の浸水の危険性を知らせる情報が出たら、早めに安全な場所に『立ち退き避難』をしていただくことが望ましいのですが、そうしなかった人は『自分のいる場所は大丈夫』という意識が強くあったからです」
「平成29年7月九州北部豪雨の被災地での調査でも同様な傾向が読み取れました。最も被害の大きかった福岡県朝倉市で避難をしなかった理由を尋ねたところ、『その場所は浸水しないと思った』という回答が45%を占めていました(【出典2】表7)」
ー現状の防災情報だけでは、住民が判断に悩むケースもありそうです。
「気象警報が市町村単位になりましたが、なかなか『危機感』に結びつかないのです。○○市の×丁目ぐらいまでの情報がないと『わがこと』感が生まれないということが調査結果からも分かってきています。『あなたのいるそこが危ないのですよ』とピンポイントの情報、私は『名指し情報』と呼んでいますが、そこまでしないと避難行動には結びつきにくいようです」
「とはいっても個々の家の構造や立地や家族構成、障害のある方やお年寄りのいる家族など、世帯によって条件は異なっていて、個別にオーダーメードの情報を流すのは困難です。いずれはこうした条件をAIが統合して『入江さん、そろそろ逃げた方が良いですよ』と教えてくれるメディアが誕生するのではないかと個人的には思いますが、今はそこまで来ていません。だから最低限、自分の住んでいる場所の災害の危険性は知っておいてほしいですね」
ー逆に、住民の心に響いた事例はありますか?
「鬼怒川が決壊した常総市では、同市内の地区ごとに避難勧告や避難指示がばらばらの時間に出ました。地区ごとに立ち退き避難を始めた時間を調査したところ、興味深い結果が出ました。氾濫危険情報が出たのは9月19日午前0時すぎ。続いて午前2時に鬼怒川の決壊地点に近い玉地区と石下地区の一部に『避難指示』が出ました。実は玉地区と石下地区では、その前の午前1時台から、かなりの住民が避難場所に向けて動き出していたことが分かりました(【出典1】図25)。逆に、決壊地点から遠い地区では自宅で孤立してしまった人の割合が多いのです。玉地区と石下地区の住民は、大雨による河川の増水の危険を日頃から知っていて、早めに行動を起こしたのです」
「平成29年九州北部豪雨の時は、被災地のひとつである福岡県東峰村が特徴的でした。この村は『立ち退き避難』をしたタイミングが他の自治体より1、2時間早かったのです(【出典2】図8)。東峰村は人口約2,000人で高齢化率が40%を超えています。予算規模も小さいこの村の場合、役立ったのはITではありません。毎年、出水期の前に村ぐるみで避難訓練をしています。高齢者の避難を支援する役割分担も決まっていて、実際に避難場所まで移動します。九州北部豪雨の10日前に訓練したばかりだったそうです」
「東峰村では、避難訓練に参加した人には黄色いタオルを配ります。タオルには『自分の命を災害から守る7か条』が書いてあります。自宅から立ち退き避難する時にはこれを玄関にかけます(編集部注:冒頭の写真で入江さんが手にもっているタオル)。黄色いタオルが出ていれば『ここの家のおばあちゃんはもう逃げたのね』とわかるわけです。少し余談になりますが、目印を黄色いタオルにしたのは理由があって、この村は俳優の高倉健さんのお父様にゆかりがあるので、映画の『幸福の黄色いハンカチ』になぞらえたのだと聞きました。西日本豪雨など最近の災害では高齢者が被災するケースが多く、大きな課題になっていますが、東峰村の取り組みはほかの自治体にとっても参考になる事例だと思います」
ー平成30年7月豪雨は西日本を中心に200人を超す死者・行方不明者が出てしまいました。メディアの報道は事前に被災地に的確に伝わったのでしょうか。
「まだ住民調査をやっていないので、十分にお答えできない部分があります。ただ、この時は本格的に雨が降り出す前の7月5日の午後2時に気象庁が異例の記者会見を開きました。台風や地震に関する臨時の記者会見はありますが、前線による大雨について事前に臨時の会見をした例はありません。警戒を呼びかけた期間も3日間先までという異例の長さで、メディア関係者は大変な事態になるという危機感を持ちました」
「NHKは午後2時の定時のニュースを拡大して気象庁の会見を詳しく伝え、民間放送各社も午後の情報番組で『災害級の大雨』『歴史的豪雨』など強い言葉で放送しました。夕方以降もNHKは『クローズアップ現代+』の放送内容を豪雨に関する内容に変更するなど、番組の予定を変更して警戒を呼びかけました」
「しかし被災した自治体に取材に行くと、気象庁の午後の会見は執務中でテレビがついていなかった、予報文が『西日本から東日本にかけて記録的な大雨』といった表現で、範囲が広すぎてピンとこなかったという話を聞きました。気象庁もメディアとしても、危機感を伝えようと努力しましたが、結果的に十分な避難につながらず、大きな課題が残りました」
ーその原因と、対策についての意見を教えて下さい。
「非常に広域にわたる災害だったことが理由の一つにあげられます。地震や津波だと広い地域でも起きる現象は共通ですが、大雨の場合は河川の氾濫や土石流など地域によって起きる災害が多様なので、メディアが一律に避難を呼びかけることは難しいと改めて感じました」
「メディアの側としては、どうやって住民に災害の『わがこと』感をもってもらうかが大事です。西日本豪雨を受けて、NHKは『災害時ローカルファースト』という方針を打ち出しました。従来、大きな災害では全国放送を中心に放送し、そこに地方局が参加する形で放送してきました。今後は、災害の危険が差し迫っている場合には、ローカル放送を充実させ、地域に向けて『わがこと』と受け止めてもらえるようなきめ細かな避難呼びかけを最優先で行っていこうとするものです」
「民放でも、大阪朝日テレビの『避難情報のエリア限定強制表示』のようにNHKと別な形で『わがこと』感を呼び起こそうとしている事例があります(【出典2】写真5)。テレビを最初に設置する時に郵便番号を入れますが、それと避難勧告・避難指示を紐づけて、その地域に避難勧告が出た時には画面に避難情報が映る仕組みです。他にも、テレビ放送の画面に二次元コード(QRコード)を表示してスマートフォンでよりきめ細かい情報を提供したり、外国人向けのサイトに誘導したりするなど、さまざまな方法で『あなたのところは危ないですよ』ということを伝える取り組みが進んでいます。また、ケーブルテレビやローカルFMなど地域密着のメディアもありますが、災害時に備えてNHK各局や地域の民放と協定を結ぶケースも増えています」
ー実際に災害が起きた時に、どのメディアが頼れるのでしょう。
「2018年6月の大阪府北部地震の後、地震発生当日のメディア利用動向を早期に把握するため、大阪府在住の16~79歳の男女・2,051人を対象にインターネットによる調査を行いました。この地震で大規模な停電はなかったので、『テレビ』『スマートフォン』から情報を得た人が多く『ラジオ』は低くなっています(【出典4】表3)」
「一方、去年9月に発生した「平成30年北海道胆振東部地震では、北海道のほぼ全域が大規模停電(ブラックアウト)しました。同様の調査をしたところ、地震発生当日に、すべての時間帯を通じて役立ったのは『ラジオ』でした。『インターネット(スマートフォン・タブレット端末)』は、『地震発生直後から未明』までは40%の人が利用できていましたが、その後20%台まで下がりました。停電が長期化する中、電源節約のために使用を控えたことや、基地局の停波が相次いだことが背景にあると考えられます(上記・表参照。【出典3】表1)」
「大規模な災害に直面したとき、いつも使い慣れた『テレビ』や『スマートフォン』から思うように情報が得られるとは限りません。情報を得るためのさまざまな手段を持っておくこと、特に電池式の『ラジオ』を身近に備えておきたいものです」
ー近年では若い人がテレビを買わないケースもあります。情報伝達のあり方は変わっていくのでしょうか。
「平成29年7月九州北部豪雨の調査で意外だったのは、テレビの避難勧告や土砂災害警戒情報より先に、メールやアプリで情報を知ったという方が増えてきたことです(【出典2】表8)。これからは自治体からのメールや災害情報アプリからプッシュで情報がスマホなどに流れて、それをきっかけとしてテレビをつけて情報を得るようになっていくのではないかと思います」
「一方で、大きな災害のおそれがあるとき、多くの情報がプッシュで送られてくると『うるさい』と感じてスマートフォンの電源を切ったという話も聞きました。連続して防災情報が出ているのには理由があります。危機感を持って受け止めてほしいと思います」
「私の研究テーマとは少し離れますが、災害が起きるとSNSを通じて“うわさ”や“デマ”が拡散されることがあります。多様な情報が飛び交う中で、災害時に情報を受け取る側にも情報リテラシーが必要な時代になってきたと思います。SNSなどを使い慣れている人、とくに若い人たちにぜひお願いしたいことがあります」
「東日本大震災の『釜石の奇跡』で知られる東京大学の片田敏孝特任教授は、子供たちに『率先避難者たれ』と指導し、それが適切な避難につながりました。これは私の個人的な願いなのですが、若い人たちに災害時の『率先情報取得者』になってほしいと思っています。さまざまな情報機器やメディアを駆使して、本当に危険が迫っていることを知ったら、それを周りの人に知らせてほしい。『こんなに水かさが増えているよ』『こんな様子だよ』と画像情報を見せて、高齢者にも危険を『わがこと』として感じてもらうようにする。そうした『率先情報取得者』に育ってもらいたいと期待しています」
【出典1】入江さやか(2016)「鬼怒川決壊 常総市の住民はどのように避難したのか?~「平成27年関東・東北豪雨」における住民の防災情報認知と避難行動調査~」、『放送研究と調査』2016年8月号、NHK放送文化研究所
【出典2】入江さやか(2018)「平成29年7月九州北部豪雨 防災・減災情報は避難に結びついたか?~被災地住民の防災情報認知と避難行動調査から~」、『放送研究と調査』2018年11月号、NHK放送文化研究所
【出典3】入江さやか、西 久美子(2019)、「北海道ブラックアウト どのメディアが機能したのか~「北海道胆振東部地震」メディア利用動向インターネット調査から~」、『放送研究と調査』2019年2月号、NHK放送文化研究所)
【出典4】入江さやか、西 久美子(2019)、「都市直下型地震 その時役立つメディアとは?~大阪北部地震のメディア利用動向インターネット調査から~」、『放送研究と調査』2019年3月号、NHK放送文化研究所)>
<プロフィール>
いりえ・さやか 1963年東京都生まれ。記者、研究者として一貫して災害に関わる分野に接点を持つ。 87年読売新聞社入社。編集局科学部では阪神・淡路大震災などの報道のほか、地震予知体制や地震・火山防災対策を取材。95年米国・スタンフォード大学地震工学センター留学を経て、97年(株)日本総合研究所入社。自治体や企業の防災対策の調査・研究に当たる。2000年日本放送協会(NHK)入局。2010年からは報道局災害・気象センターで南海トラフ巨大地震や首都直下地震を想定したNHKの災害報道機能強化、国内外の防災関係者への災害報道研修などを担当。東日本大震災の際には、福島県で取材にあたる。14年からはNHK放送文化研究所メディア研究部で研究者として、災害時の情報発信に関する調査・研究に取り組む。日本地震工学会理事、日本災害情報学会企画委員、防災士。>
大きな変革の時代
ー災害情報のあり方は、時代とともに変わってきたと思います。
「平成は『災害の時代』だったと感じます。私が記者、研究者として災害報道・災害情報に関わったのは1992年からですが、この四半世紀は、阪神・淡路大震災や東日本大震災をはじめ、いろいろなところで大地震や津波による災害や大規模な水害などが発生し、息つく暇もなかったという印象です」
「同時に、災害報道・災害情報についても大きな変革の時代だったと捉えています。何より新たな情報が増えたこと。気象庁だけでも、気象警報や注意報が市町村単位できめ細かく発表されるようになり、大雨のときにがけ崩れの危険性を知らせる『土砂災害警戒情報』も導入されました。さらに雨雲の動きが『降水ナウキャスト』でレーダーのような画面でみられるようになり、2017年には『洪水警報の危険度分布』も導入されるなど、目で見てわかる情報が増えました」
「地震と火山に関しても情報面で大きな変化がありました。1993年の北海道南西沖地震をきっかけに『津波予報』が迅速化されました。強い揺れの到達を可能な限り事前に伝える『緊急地震速報』の導入は画期的だったと思います。火山についても、噴火したことを登山者や住民にすばやく伝える『噴火速報』が導入されました。メディア側もこうした情報をどう伝えるか、工夫を重ねています」
「1990年代後半からは、インターネット・スマートフォンが普及し、こうした情報を誰でもどこでも入手できるようになったことも極めて大きな変化でした。ホームページを見に行ったり、スマホの画面を開いたりしなくても、気象警報などがプッシュで送信されてくる防災情報アプリを利用する人も増えています」
ー情報が増えたのに、豪雨災害で死者が出るケースはなくなりませんね。
「理由は大きく分けて2つあると思っています。第一は、災害心理学でいうところの『正常性バイアス』。自分だけは大丈夫だという思い込みです。人間が誰でも持っているもので、いかんともしがたいところがあります」
「第二に、気象警報や避難情報が出ても、それを『わがこと』として受け止めないという問題があります。国土交通省の報告書でも指摘されていることですが、堤防やダムなど防災施設の整備がある程度進んだ現在の日本の社会では、危険や危機を感じる力が弱まっており、安全性への過信があります(※平成27年1月 国土交通省「「新たなステージに対応した防災・減災のあり方」」)。そのため、気象警報など危険を知らせる情報が出ても『わがこと』と感じにくく、避難行動につながりにくくなっていると考えられるのです。これにはメディアだけでなく防災当局も頭を悩ませているところです」
ー警報など危険を知らせる情報が避難に結びついていないわけですね。
「たとえば平成29年9月関東・東北豪雨では、2015年9月10日に鬼怒川が決壊し茨城県常総市など広い範囲が浸水し、約4,000人が孤立しました。当時NHKは決壊した鬼怒川付近で住民が救出される様子をヘリコプターからの中継で伝えましたので、記憶に残っている方も多いと思います」
「NHK放送文化研究所では、常総市で避難指示・避難勧告が出た地区の住民を対象に、防災情報が伝わっていたかどうか、避難行動をとったかどうかなどを調査しました。氾濫の起きた日の未明には、鬼怒川にはすでに『氾濫危険情報』が出されていましたが、この情報を知っても『まさか氾濫は起きないだろうと思った』という人が43%で、防災情報の「危機感」が心に響いていなかったのです(下記グラフ参照)。昼過ぎに鬼怒川が決壊したという情報を知っても、なお44%の人が『自分のいる場所は浸水しない』と、つまり『わがこと』と思っていなかったこともわかりました(【出典1】図27、図30)。河川の氾濫や低い土地の浸水の危険性を知らせる情報が出たら、早めに安全な場所に『立ち退き避難』をしていただくことが望ましいのですが、そうしなかった人は『自分のいる場所は大丈夫』という意識が強くあったからです」
「平成29年7月九州北部豪雨の被災地での調査でも同様な傾向が読み取れました。最も被害の大きかった福岡県朝倉市で避難をしなかった理由を尋ねたところ、『その場所は浸水しないと思った』という回答が45%を占めていました(【出典2】表7)」
早期避難地域にあった心構え
ー現状の防災情報だけでは、住民が判断に悩むケースもありそうです。
「気象警報が市町村単位になりましたが、なかなか『危機感』に結びつかないのです。○○市の×丁目ぐらいまでの情報がないと『わがこと』感が生まれないということが調査結果からも分かってきています。『あなたのいるそこが危ないのですよ』とピンポイントの情報、私は『名指し情報』と呼んでいますが、そこまでしないと避難行動には結びつきにくいようです」
「とはいっても個々の家の構造や立地や家族構成、障害のある方やお年寄りのいる家族など、世帯によって条件は異なっていて、個別にオーダーメードの情報を流すのは困難です。いずれはこうした条件をAIが統合して『入江さん、そろそろ逃げた方が良いですよ』と教えてくれるメディアが誕生するのではないかと個人的には思いますが、今はそこまで来ていません。だから最低限、自分の住んでいる場所の災害の危険性は知っておいてほしいですね」
ー逆に、住民の心に響いた事例はありますか?
「鬼怒川が決壊した常総市では、同市内の地区ごとに避難勧告や避難指示がばらばらの時間に出ました。地区ごとに立ち退き避難を始めた時間を調査したところ、興味深い結果が出ました。氾濫危険情報が出たのは9月19日午前0時すぎ。続いて午前2時に鬼怒川の決壊地点に近い玉地区と石下地区の一部に『避難指示』が出ました。実は玉地区と石下地区では、その前の午前1時台から、かなりの住民が避難場所に向けて動き出していたことが分かりました(【出典1】図25)。逆に、決壊地点から遠い地区では自宅で孤立してしまった人の割合が多いのです。玉地区と石下地区の住民は、大雨による河川の増水の危険を日頃から知っていて、早めに行動を起こしたのです」
「平成29年九州北部豪雨の時は、被災地のひとつである福岡県東峰村が特徴的でした。この村は『立ち退き避難』をしたタイミングが他の自治体より1、2時間早かったのです(【出典2】図8)。東峰村は人口約2,000人で高齢化率が40%を超えています。予算規模も小さいこの村の場合、役立ったのはITではありません。毎年、出水期の前に村ぐるみで避難訓練をしています。高齢者の避難を支援する役割分担も決まっていて、実際に避難場所まで移動します。九州北部豪雨の10日前に訓練したばかりだったそうです」
「東峰村では、避難訓練に参加した人には黄色いタオルを配ります。タオルには『自分の命を災害から守る7か条』が書いてあります。自宅から立ち退き避難する時にはこれを玄関にかけます(編集部注:冒頭の写真で入江さんが手にもっているタオル)。黄色いタオルが出ていれば『ここの家のおばあちゃんはもう逃げたのね』とわかるわけです。少し余談になりますが、目印を黄色いタオルにしたのは理由があって、この村は俳優の高倉健さんのお父様にゆかりがあるので、映画の『幸福の黄色いハンカチ』になぞらえたのだと聞きました。西日本豪雨など最近の災害では高齢者が被災するケースが多く、大きな課題になっていますが、東峰村の取り組みはほかの自治体にとっても参考になる事例だと思います」
住民に災害の『わがこと』感をもってもらうか
ー平成30年7月豪雨は西日本を中心に200人を超す死者・行方不明者が出てしまいました。メディアの報道は事前に被災地に的確に伝わったのでしょうか。
「まだ住民調査をやっていないので、十分にお答えできない部分があります。ただ、この時は本格的に雨が降り出す前の7月5日の午後2時に気象庁が異例の記者会見を開きました。台風や地震に関する臨時の記者会見はありますが、前線による大雨について事前に臨時の会見をした例はありません。警戒を呼びかけた期間も3日間先までという異例の長さで、メディア関係者は大変な事態になるという危機感を持ちました」
「NHKは午後2時の定時のニュースを拡大して気象庁の会見を詳しく伝え、民間放送各社も午後の情報番組で『災害級の大雨』『歴史的豪雨』など強い言葉で放送しました。夕方以降もNHKは『クローズアップ現代+』の放送内容を豪雨に関する内容に変更するなど、番組の予定を変更して警戒を呼びかけました」
「しかし被災した自治体に取材に行くと、気象庁の午後の会見は執務中でテレビがついていなかった、予報文が『西日本から東日本にかけて記録的な大雨』といった表現で、範囲が広すぎてピンとこなかったという話を聞きました。気象庁もメディアとしても、危機感を伝えようと努力しましたが、結果的に十分な避難につながらず、大きな課題が残りました」
ーその原因と、対策についての意見を教えて下さい。
「非常に広域にわたる災害だったことが理由の一つにあげられます。地震や津波だと広い地域でも起きる現象は共通ですが、大雨の場合は河川の氾濫や土石流など地域によって起きる災害が多様なので、メディアが一律に避難を呼びかけることは難しいと改めて感じました」
「メディアの側としては、どうやって住民に災害の『わがこと』感をもってもらうかが大事です。西日本豪雨を受けて、NHKは『災害時ローカルファースト』という方針を打ち出しました。従来、大きな災害では全国放送を中心に放送し、そこに地方局が参加する形で放送してきました。今後は、災害の危険が差し迫っている場合には、ローカル放送を充実させ、地域に向けて『わがこと』と受け止めてもらえるようなきめ細かな避難呼びかけを最優先で行っていこうとするものです」
「民放でも、大阪朝日テレビの『避難情報のエリア限定強制表示』のようにNHKと別な形で『わがこと』感を呼び起こそうとしている事例があります(【出典2】写真5)。テレビを最初に設置する時に郵便番号を入れますが、それと避難勧告・避難指示を紐づけて、その地域に避難勧告が出た時には画面に避難情報が映る仕組みです。他にも、テレビ放送の画面に二次元コード(QRコード)を表示してスマートフォンでよりきめ細かい情報を提供したり、外国人向けのサイトに誘導したりするなど、さまざまな方法で『あなたのところは危ないですよ』ということを伝える取り組みが進んでいます。また、ケーブルテレビやローカルFMなど地域密着のメディアもありますが、災害時に備えてNHK各局や地域の民放と協定を結ぶケースも増えています」
情報取得者のリテラシーが重要に
ー実際に災害が起きた時に、どのメディアが頼れるのでしょう。
「2018年6月の大阪府北部地震の後、地震発生当日のメディア利用動向を早期に把握するため、大阪府在住の16~79歳の男女・2,051人を対象にインターネットによる調査を行いました。この地震で大規模な停電はなかったので、『テレビ』『スマートフォン』から情報を得た人が多く『ラジオ』は低くなっています(【出典4】表3)」
「一方、去年9月に発生した「平成30年北海道胆振東部地震では、北海道のほぼ全域が大規模停電(ブラックアウト)しました。同様の調査をしたところ、地震発生当日に、すべての時間帯を通じて役立ったのは『ラジオ』でした。『インターネット(スマートフォン・タブレット端末)』は、『地震発生直後から未明』までは40%の人が利用できていましたが、その後20%台まで下がりました。停電が長期化する中、電源節約のために使用を控えたことや、基地局の停波が相次いだことが背景にあると考えられます(上記・表参照。【出典3】表1)」
「大規模な災害に直面したとき、いつも使い慣れた『テレビ』や『スマートフォン』から思うように情報が得られるとは限りません。情報を得るためのさまざまな手段を持っておくこと、特に電池式の『ラジオ』を身近に備えておきたいものです」
ー近年では若い人がテレビを買わないケースもあります。情報伝達のあり方は変わっていくのでしょうか。
「平成29年7月九州北部豪雨の調査で意外だったのは、テレビの避難勧告や土砂災害警戒情報より先に、メールやアプリで情報を知ったという方が増えてきたことです(【出典2】表8)。これからは自治体からのメールや災害情報アプリからプッシュで情報がスマホなどに流れて、それをきっかけとしてテレビをつけて情報を得るようになっていくのではないかと思います」
「一方で、大きな災害のおそれがあるとき、多くの情報がプッシュで送られてくると『うるさい』と感じてスマートフォンの電源を切ったという話も聞きました。連続して防災情報が出ているのには理由があります。危機感を持って受け止めてほしいと思います」
「私の研究テーマとは少し離れますが、災害が起きるとSNSを通じて“うわさ”や“デマ”が拡散されることがあります。多様な情報が飛び交う中で、災害時に情報を受け取る側にも情報リテラシーが必要な時代になってきたと思います。SNSなどを使い慣れている人、とくに若い人たちにぜひお願いしたいことがあります」
「東日本大震災の『釜石の奇跡』で知られる東京大学の片田敏孝特任教授は、子供たちに『率先避難者たれ』と指導し、それが適切な避難につながりました。これは私の個人的な願いなのですが、若い人たちに災害時の『率先情報取得者』になってほしいと思っています。さまざまな情報機器やメディアを駆使して、本当に危険が迫っていることを知ったら、それを周りの人に知らせてほしい。『こんなに水かさが増えているよ』『こんな様子だよ』と画像情報を見せて、高齢者にも危険を『わがこと』として感じてもらうようにする。そうした『率先情報取得者』に育ってもらいたいと期待しています」
【出典2】入江さやか(2018)「平成29年7月九州北部豪雨 防災・減災情報は避難に結びついたか?~被災地住民の防災情報認知と避難行動調査から~」、『放送研究と調査』2018年11月号、NHK放送文化研究所
【出典3】入江さやか、西 久美子(2019)、「北海道ブラックアウト どのメディアが機能したのか~「北海道胆振東部地震」メディア利用動向インターネット調査から~」、『放送研究と調査』2019年2月号、NHK放送文化研究所)
【出典4】入江さやか、西 久美子(2019)、「都市直下型地震 その時役立つメディアとは?~大阪北部地震のメディア利用動向インターネット調査から~」、『放送研究と調査』2019年3月号、NHK放送文化研究所)>
いりえ・さやか 1963年東京都生まれ。記者、研究者として一貫して災害に関わる分野に接点を持つ。 87年読売新聞社入社。編集局科学部では阪神・淡路大震災などの報道のほか、地震予知体制や地震・火山防災対策を取材。95年米国・スタンフォード大学地震工学センター留学を経て、97年(株)日本総合研究所入社。自治体や企業の防災対策の調査・研究に当たる。2000年日本放送協会(NHK)入局。2010年からは報道局災害・気象センターで南海トラフ巨大地震や首都直下地震を想定したNHKの災害報道機能強化、国内外の防災関係者への災害報道研修などを担当。東日本大震災の際には、福島県で取材にあたる。14年からはNHK放送文化研究所メディア研究部で研究者として、災害時の情報発信に関する調査・研究に取り組む。日本地震工学会理事、日本災害情報学会企画委員、防災士。>