日航機墜落から30年―事故を知らない社員が9割以上に

安全対策は悩みながらも、全員参加の取り組みを進める

 羽田整備地区にある日本航空(JAL)の安全啓発センターには、1985年の123便墜落事故で大破した機体の一部がある。同センターには事故の直接原因とされる後部圧力隔壁や、ボイスレコーダー、乗客が身につけていた遺品や遺書などもあり、事故の悲惨さを今に伝えている。

 12年からはグループ会社を含めた3万5000人の社員に安全啓発センターの見学を義務づけた。85年以降に入社し、事故を知らない社員が9割以上になっていることから安全の重要性を再確認する機会としている。

 JALは123便墜落事故から20年後の05年、事故につながる恐れのある重大インシデントが相次ぎ、国土交通省から事業改善命令を受けた。安全推進本部運営グループ長の鈴木海太は「他の部門を超える取り組みの多くは、経営破たん後に始まっているが、安全に関しては05年辺りから全社的に着手した」と話す。

 05年には外部の有識者による「安全アドバイザリーグループ」を、06年にはグループ全体の安全の責任を負う「安全推進本部」を設置。安全企画グループ長の松田紀男は「05年以降変わったのは、経営を含む全社員が安全の取り組みに参加していることと、現場の自立的な取り組みを支援するようになったこと」と指摘する。

 現在、松田を中心に進めているのが、事故を未然に防ぐ仕組み作り。“事後対応では不十分”という国際機関の方針を受け、日常業務に潜む煩雑さなどを抽出。事故につながる芽をあらかじめ摘むほか、乗務員の訓練時間や退職率など、一見相関関係がなさそうなデータに事故との因果関係がないかを分析する。

 1月からは欧州の航空会社に倣い、新たなリスク評価を導入した。週に5件程度発生する不具合について、エスカレートした場合のシナリオを想定し、その防護策があるかなどを検証している。

 航空事故は今も世界で繰り返されている。松田は「どこも悩みながらやっている」と、安全対策の難しさを強調する。鈴木は「入社して20年、安全に対する会社の意識は大きく変わった。全員参加型の取り組みをさらに進めて、安全を全員で作り上げる」と、手探りの中でも一つの解を見いだそうとしている。
(敬称略)
 ※連載「挑戦する企業 日本航空編」より

日刊工業新聞2015年04月22日 建設・エネルギー・生活面

明 豊

明 豊
08月12日
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高校3年生の夏休みで受験勉強の真っ最中だったが、その日は、寝ずにテレビの報道をずっと見ていたことを鮮明に覚えている。新聞記者をやっている身としてドラマ・映画「クライマーズハイ」もぜひ見てもらいたい。

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