資生堂創設者は日本で最初の“女性にやさしい経営者”だった!
福原有信が「和魂洋才」の哲学実践。帝国生命保険で日本初の女性事務職を採用
夏目漱石の『門』にこんな一文がある。
「資生堂へ寄って、三つ入りの石鹸(せっけん)と歯磨を買うのにさえ、五円近くの金を払う華奢(きゃしゃ)を思い浮かべた」―。漱石や森鴎外といった明治の文豪の書物に度々登場する資生堂を創業したのが福原有信だ。漢方主流の時代に西洋薬学の道を歩み、日本の近代化を後押しした「和魂洋才」の経済人である。
18歳で幕府医学所で西洋薬学を学び、大学東校(東大医学部の前身)や海軍病院医局長などを歴た有信は、23歳で民間初の調剤薬局「資生堂」を東京・銀座に開業した。医薬分業を自ら具現化する一方、世の中でまん延する粗悪品を憂い、高品質な薬品の提供を基本姿勢に掲げた。
「資生」とは、中国古典の「易経」の一節「至哉坤元 万物資生」にちなんだ。「大地の徳はなんと素晴らしいだろう。ここからすべてのものは生まれる」という東洋の哲学と西洋の技法の融合を意図したものである。
有信は、高品質な商品の供給で、文明開化の“香り”を日本に吹き込んだ。西洋的かつ薬学的な独自の製造方法を駆使し、日本女性の肌に合った化粧品づくりに着手。化粧の近代化を実現した。
「人の和」を重んじた有信は後年、帝国生命保険(現朝日生命保険)の社長を務め、日本で初めて女性事務職を採用。職種が限られていた女性の社会進出を支援した。和魂洋才で女性に“やさしい”経済人である。
(敬称略)
※日刊工業新聞で「近代日本の産業人」を連載中
「資生堂へ寄って、三つ入りの石鹸(せっけん)と歯磨を買うのにさえ、五円近くの金を払う華奢(きゃしゃ)を思い浮かべた」―。漱石や森鴎外といった明治の文豪の書物に度々登場する資生堂を創業したのが福原有信だ。漢方主流の時代に西洋薬学の道を歩み、日本の近代化を後押しした「和魂洋才」の経済人である。
18歳で幕府医学所で西洋薬学を学び、大学東校(東大医学部の前身)や海軍病院医局長などを歴た有信は、23歳で民間初の調剤薬局「資生堂」を東京・銀座に開業した。医薬分業を自ら具現化する一方、世の中でまん延する粗悪品を憂い、高品質な薬品の提供を基本姿勢に掲げた。
「資生」とは、中国古典の「易経」の一節「至哉坤元 万物資生」にちなんだ。「大地の徳はなんと素晴らしいだろう。ここからすべてのものは生まれる」という東洋の哲学と西洋の技法の融合を意図したものである。
有信は、高品質な商品の供給で、文明開化の“香り”を日本に吹き込んだ。西洋的かつ薬学的な独自の製造方法を駆使し、日本女性の肌に合った化粧品づくりに着手。化粧の近代化を実現した。
「人の和」を重んじた有信は後年、帝国生命保険(現朝日生命保険)の社長を務め、日本で初めて女性事務職を採用。職種が限られていた女性の社会進出を支援した。和魂洋才で女性に“やさしい”経済人である。
(敬称略)
※日刊工業新聞で「近代日本の産業人」を連載中
日刊工業新聞2015年07月24日4面