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揺れる東芝-「創業の精神」を今一度振り返ってみる

140年間不変だったのは「飽くなき探求心と熱い情熱」「イノベーションへの挑戦」
揺れる東芝-「創業の精神」を今一度振り返ってみる

田中久雄社長

 米国のITバブル崩壊が業績を直撃した2001年8月、東芝の岡村正社長(現・相談役、日本商工会議所前会頭)が大胆な事業再構築計画「01アクションプラン」をまとめた。岡村社長はグループ体制見直しと事業再編を進める一方で、創業の精神に立ち返ることの重要性を社内に説いた。
 
 「万般の機械考案の依頼に応ず」―。現代風に言えばハードウエア・ソリューションだろうか。動く人形や和時計の作者で、「からくり儀右衛門」として知られた天才技術者・田中久重が明治維新で上京し、1875年(明8)に銀座の工場兼店舗に看板を掲げた。これが東芝の創業だ。
 
 長い歴史の間、経営理念が不変だったわけではない。現在の東芝グループ経営理念は「人間尊重」「豊かな価値の創造」「社会への貢献」の三つ。90年に制定した。これとは別に時代に応じたスローガンを掲げる。高度経済成長期には「明日をつくる技術の東芝」、現在は「人と、地球の、明日のために」。
 
 これらと共存する形で創業の精神が「飽くなき探求心と熱い情熱」「イノベーションへの挑戦」という言葉にまとめられている。佐々木則夫社長(現副会長)は、これを「東芝の遺伝子と言うべき不変のもの」と強調する。技術やサービスの進歩がイノベーション。その原動力が探求心と情熱だ。

 創業85周年を記念して開館した東芝科学館(川崎市幸区)は、地域の子供らに科学技術とのふれあいを提供する社会貢献施設として広く知られている。01アクションプラン以降、この科学館がグループ社員に創業の精神を伝える場として整備されつつある。田中久重と、もうひとりの創業者である藤岡市助の功績を紹介する『創業者の部屋』と、歴史的な東芝製品を陳列し、可能なものは実際に稼働する『1号機ものがたり』を開設。06年から新入社員の研修コースに組み込んだ。「OBの方からは自分が設計した製品を並べて欲しいという要望や、実際の寄贈が集まる」(中山純史館長)。
 
 製品やモノづくりの歴史を記録する企業アーカイブ活動も始めた。また05年に「田中久重賞」、11年に「藤岡市助賞」を設け、グループ企業すべてを対象にすぐれた成果を選考し、創業記念日の7月1日に表彰している。
 
 より具体的な取り組みとしては久重の最高傑作「万年時計」の復元プロジェクトがある。季節によって時の刻みが変わる和時計と月や太陽の動きを、歯車とぜんまいだけで自動化した江戸時代のからくりを解析し、現代の熟練技術者や工芸家を結集して細部まで忠実に再現。05年に完成し、愛知万博にも展示した。
 
 「経営理念は、常にトップが発信し続けなければならない」と佐々木社長(同)は言う。訓示のたびに同じことを繰り返し、世界中の拠点を回って話す。「社長として話をした相手だけでも数千人いる」という。変化のスピードの激しいエレクトロニクス業界にあってこそ、精神的なより所となる不変の理念が必要とされる。
 
 【企業概要】
 田中久重をルーツとし、重電機器や通信機を得意とした芝浦製作所。エジソンと出会い、電球をはじめとする電気機器の国産化を誓った若き技術者・藤岡市助が創業した東京電気。提携関係にあった両社が1939年(昭14)に合併し、初の総合電機メーカーである東京芝浦電気(現・東芝)が発足した。久重の創業から138年間の歴史は、日本の電機産業の歩みそのものだ。
日刊工業新聞2013年06月13日 経営面「不変と革新」一部修正
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
一部報道によれば、第三者委員会の調査による不適切な会計処理の下方修正額が営業利益ベースで1000億円(過去5年間累計)を超えるという。長年、東芝を取材してきて、ほとんどの社員の人たちは上記のようなマインドとプライドを持って仕事をしている。記事にもあるように、東芝の歴史は日本の電機産業の歩みでもある。原因分析と事後の対応については、第三者委員会と東芝の正式な発表を待ちたいが、一刻も早くステークホルダーの信頼回復と、社員のモチベーション維持に取り組まないといけない。

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