【連載】基礎からわかる!MRJ(2) 「メード・イン・ジャパンの飛行機を」
三菱重工業の悲願 下請けを脱するために
MRJ特別連載の第2回目。4月10日に初飛行の延期(2015年4―6月 → 9―10月)が発表されたMRJだが、今回は「なぜ開発されるのか」という点に絞り、MRJの開発決定に至るプロセスを追う。
◆「欧米の下請け」脱出◆
三菱重工業グループが、MRJを開発する理由は何か。さまざまな経緯が絡むが、あえて一言で表現すれば、「日本の航空機産業として、欧米の下請け一辺倒から脱し、完成品を生み出そうとしている」ためである。ここで、「そもそも日本の航空機産業は欧米の下請け一辺倒なのか?」という疑問が浮かび上がる。少し長くなるが、日本の航空機産業の歴史を、ざっと振り返りたい。
日本は戦前、「零戦」をはじめ数多くの航空機を生み出し、航空機大国の地位にあった。しかし、1945年の終戦と、その後に連合国軍総司令部(GHQ)から発せられた「航空禁止令」によって、日本は学術研究を含む航空機産業の一切を禁じられた。52年に禁止令が解除されるまでの7年間を航空機業界では「空白の7年間」と呼び、「模型飛行機すら飛ばせなかった」などと、悔しさとともに現在まで語り継がれている。
その後、朝鮮戦争時に米軍機の修理依頼が舞い込み、その後は航空自衛隊が発足して、日本の航空機産業も徐々に“復活”してくる。技術力に自信をつけた日本は1960年代に入ると、官民合同で民間旅客機分野に挑戦した。それが初の国産旅客機となった「YS-11(わいえす・いちいち)」だ。
YS-11は通商産業省(現経済産業省)が提唱し、新三菱重工業(現三菱重工業)や川崎重工業、富士重工業、新明和工業などが製造に参加した。1962年に初飛行し、64年には運輸省から「型式証明」を取得した。型式証明とは、安全性に関するすべての地上・飛行試験をクリアしたことを証明するもので、安全性の“お墨付き”といえる。64年といえば、東京五輪のあった年。YS-11は、東京五輪の開会式に合わせて国内で聖火を輸送する大役も担った。その後、全日本空輸に導入されたYS-11には、「オリンピア」の愛称も付けられた。
しかし、YS-11はその後、「官民合同」だったことも災いし、製造のコストダウンが上手く行かなかった。また、航空会社に販売する際に他の飛行機を下取りする手法が当時の国会で問題視されたことなどもあり、「売れば売るほど、赤字が拡大する」状況となってしまった。ついには1973年、累計182機(試験機を含む)を製造したところで、国は製造を打ち切る決断を下した。
それ以来、日本の航空機産業は再び、防衛省向けの機体と、海外企業(特にボーイング)の下請けに集中するようになったのだ。
◆21世紀にあるべき、航空機産業のかたち◆
現在、欧米企業の下請けとして、日本の航空機産業は非常に良いポジションにある。2011年から世界中の航空会社で運航されているボーイングの中大型機「787」では、機体構造(胴体や主翼など)の35%を日本企業が作っている。ボーイングはこのほか、大型機の「777」でも日本企業に機体構造の21%を作ってもらっており、日本企業の生産現場では「メード・ウィズ・ジャパン」なるボーイングの標語も掲げられるほどだ。
一方で、日本には、機体構造以外の「エンジン」や「電子システム」といった分野の完成部品を作れる会社が少ない。
これは日本国内に航空機全体をつくるメーカーがいないからではないか、やはりYS-11で撤退した旅客機事業に、日本として再参入すべきではないか――。こんな議論が、1990年代の航空機業界で浮かんでは消えていた。業界の発展のためには、日本企業が開発を主導する「国産旅客機」こそ不可欠だ、という考えだ。
21世紀に入り、2002年、ついに経済産業省が旅客機の開発構想を打ち出した。翌年から実際にプロジェクトを担う事業者を公募し、それに手を挙げたのが、業界の雄たる三菱重工業だった。経産省と三菱重は、国の有識者会議や、海外の航空見本市などで5年間も検討を重ねた。国産旅客機検討プロジェクトの最終年度となった2008年3月28日、三菱重工業は事業化を決断。当時、三菱重がメディア向けに発したプレスリリースからは、同社の決意のほどが見てとれる。「わが国航空機産業の悲願である国産旅客機事業に挑戦する」。
◆新生・三菱航空機◆
同社は、MRJの事業化に際し、名古屋の工場内に別会社「三菱航空機」を設立した。この社名は戦前の一時期に三菱の航空機部門として存在した会社と同じであり、事務所もかつて三菱が「零戦」を設計した建物をそのまま使った(2015年1月から移転)ため、いわば「新生・三菱航空機」ともいえるだろう。
2008年設立の三菱航空機には、三菱重工業のほか、トヨタ自動車や大手商社らが出資。各界の期待を集めてのスタートとなった。現在の株主構成は以下の通り。
▽三菱重工業 (64%)
▽トヨタ自動車 (10%)
▽三菱商事 (10%)
▽住友商事 (5%)
▽三井物産 (5%)
▽東京海上日動火災保険 (1.5)
▽日揮 (1.5%)
▽三菱電機 (1.0%)
▽三菱レイヨン (1.0%)
▽日本政策投資銀行 (1.0%)
次回はMRJの最大の特徴ともいえる「エンジン」を中心に、機体の全貌に迫ります。
(次回4月20日掲載予定)
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<編集部より・書籍のご案内>
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◆「欧米の下請け」脱出◆
三菱重工業グループが、MRJを開発する理由は何か。さまざまな経緯が絡むが、あえて一言で表現すれば、「日本の航空機産業として、欧米の下請け一辺倒から脱し、完成品を生み出そうとしている」ためである。ここで、「そもそも日本の航空機産業は欧米の下請け一辺倒なのか?」という疑問が浮かび上がる。少し長くなるが、日本の航空機産業の歴史を、ざっと振り返りたい。
日本は戦前、「零戦」をはじめ数多くの航空機を生み出し、航空機大国の地位にあった。しかし、1945年の終戦と、その後に連合国軍総司令部(GHQ)から発せられた「航空禁止令」によって、日本は学術研究を含む航空機産業の一切を禁じられた。52年に禁止令が解除されるまでの7年間を航空機業界では「空白の7年間」と呼び、「模型飛行機すら飛ばせなかった」などと、悔しさとともに現在まで語り継がれている。
その後、朝鮮戦争時に米軍機の修理依頼が舞い込み、その後は航空自衛隊が発足して、日本の航空機産業も徐々に“復活”してくる。技術力に自信をつけた日本は1960年代に入ると、官民合同で民間旅客機分野に挑戦した。それが初の国産旅客機となった「YS-11(わいえす・いちいち)」だ。
YS-11は通商産業省(現経済産業省)が提唱し、新三菱重工業(現三菱重工業)や川崎重工業、富士重工業、新明和工業などが製造に参加した。1962年に初飛行し、64年には運輸省から「型式証明」を取得した。型式証明とは、安全性に関するすべての地上・飛行試験をクリアしたことを証明するもので、安全性の“お墨付き”といえる。64年といえば、東京五輪のあった年。YS-11は、東京五輪の開会式に合わせて国内で聖火を輸送する大役も担った。その後、全日本空輸に導入されたYS-11には、「オリンピア」の愛称も付けられた。
しかし、YS-11はその後、「官民合同」だったことも災いし、製造のコストダウンが上手く行かなかった。また、航空会社に販売する際に他の飛行機を下取りする手法が当時の国会で問題視されたことなどもあり、「売れば売るほど、赤字が拡大する」状況となってしまった。ついには1973年、累計182機(試験機を含む)を製造したところで、国は製造を打ち切る決断を下した。
それ以来、日本の航空機産業は再び、防衛省向けの機体と、海外企業(特にボーイング)の下請けに集中するようになったのだ。
◆21世紀にあるべき、航空機産業のかたち◆
現在、欧米企業の下請けとして、日本の航空機産業は非常に良いポジションにある。2011年から世界中の航空会社で運航されているボーイングの中大型機「787」では、機体構造(胴体や主翼など)の35%を日本企業が作っている。ボーイングはこのほか、大型機の「777」でも日本企業に機体構造の21%を作ってもらっており、日本企業の生産現場では「メード・ウィズ・ジャパン」なるボーイングの標語も掲げられるほどだ。
一方で、日本には、機体構造以外の「エンジン」や「電子システム」といった分野の完成部品を作れる会社が少ない。
これは日本国内に航空機全体をつくるメーカーがいないからではないか、やはりYS-11で撤退した旅客機事業に、日本として再参入すべきではないか――。こんな議論が、1990年代の航空機業界で浮かんでは消えていた。業界の発展のためには、日本企業が開発を主導する「国産旅客機」こそ不可欠だ、という考えだ。
21世紀に入り、2002年、ついに経済産業省が旅客機の開発構想を打ち出した。翌年から実際にプロジェクトを担う事業者を公募し、それに手を挙げたのが、業界の雄たる三菱重工業だった。経産省と三菱重は、国の有識者会議や、海外の航空見本市などで5年間も検討を重ねた。国産旅客機検討プロジェクトの最終年度となった2008年3月28日、三菱重工業は事業化を決断。当時、三菱重がメディア向けに発したプレスリリースからは、同社の決意のほどが見てとれる。「わが国航空機産業の悲願である国産旅客機事業に挑戦する」。
◆新生・三菱航空機◆
同社は、MRJの事業化に際し、名古屋の工場内に別会社「三菱航空機」を設立した。この社名は戦前の一時期に三菱の航空機部門として存在した会社と同じであり、事務所もかつて三菱が「零戦」を設計した建物をそのまま使った(2015年1月から移転)ため、いわば「新生・三菱航空機」ともいえるだろう。
2008年設立の三菱航空機には、三菱重工業のほか、トヨタ自動車や大手商社らが出資。各界の期待を集めてのスタートとなった。現在の株主構成は以下の通り。
▽三菱重工業 (64%)
▽トヨタ自動車 (10%)
▽三菱商事 (10%)
▽住友商事 (5%)
▽三井物産 (5%)
▽東京海上日動火災保険 (1.5)
▽日揮 (1.5%)
▽三菱電機 (1.0%)
▽三菱レイヨン (1.0%)
▽日本政策投資銀行 (1.0%)
次回はMRJの最大の特徴ともいえる「エンジン」を中心に、機体の全貌に迫ります。
(次回4月20日掲載予定)
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