“空のサムライ”室屋選手、今年も幕張の空を制す
レッドブルエアレース、来年も千葉開催か
“空のサムライ”室屋義秀選手が今年も幕張の空を制した。4日、幕張海浜公園(千葉市美浜区)で開かれたレッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ。室屋選手が昨年に続いて母国で優勝を果たした。優勝を決めた瞬間、約5万5000人の観客の興奮は最高潮に達し、大歓声はレース終了後いつまでも続いた。
昨年の千葉大会で日本人として初めての優勝を果たした室屋義秀選手。3日の予選を4位で通過。4日の決勝では、ラウンドオブ8を0・007秒、距離にして約70センチメートルという僅差で勝ち抜いた。
「これほどの接戦はなかなかない。プレッシャーを追い風に、攻める気持ちで臨んだ」という室屋選手は、安定した飛行でその後のレースを順調に勝ち進み、観客の大歓声に最高の結果で応えた。
室屋選手は4月の米サンディエゴ大会に続く2連勝。年間の総合ランキングでもトップに躍り出た。先月、インディ500を制した佐藤琢磨選手に続く新たな”モータースポーツスター”の誕生で、日本でのエアレース人気はますます高まりそうだ。
今年で10シーズン目を迎えたレッドブル・エアレース。最高時速370キロメートルでプロペラ飛行機が低空を駆け抜ける3次元モータースポーツは、「空のF1」とも言われる。世界各国の8会場で14人パイロットがその操縦技術、判断力、精神力の限りを尽くしタイムを競う究極のレースは、世界中で多くの熱狂的なファンを持つ。
国内初開催となった2015年当初、日本でエアレースがどこまで受け入れられるか、疑問視する声もあった。だが、3年連続となる千葉開催に加え、室屋選手の活躍で、日本でもこの新しいモータースポーツが確実に定着しつつある。
浦安市に設けたハンガー(格納庫)エリアで2日に開かれたパイロットのサイン会には、約1000人が列を作った。千葉市実施のパブリックビューイングもこれまで以上の応募があり、今年から新たにビジョンカーも設置して対応した。
3日の予選、4日の決勝の2日間で、チケットを購入して会場に入った観客だけで9万人を動員、パブリックビューイングや周辺でのイベントにも多くの市民らが訪れた。
「日本のファンは特別な存在。われわれにとっても日本は象徴的な開催地となっている」。大会を主催するレッドブル・エアレースのゼネラルマネージャーエリック・ウルフ氏は、日本での人気の高まりを実感する。
会見では「(開催地の千葉市、浦安市との)パートナーシップをこれからも続けていきたい」と、次回以降の千葉開催にも前向きな考えを示した。来年も千葉で、室屋選手の活躍が見られる可能性は高いだろう。
今大会ではレースに加え、スペシャル・サイドアクトとして、「零式艦上戦闘機(零戦)」や往年の旅客機「ダグラスDC-3」も東京湾を舞った。特に零戦の登場は多くのファンを沸かせ、大会をさらに盛り上げた。
今回飛行した零戦は、三菱重工業が1942年に製造した零式艦上戦闘機二二型。パプアニューギニアで発見された残骸から復元されたもので、レプリカを除けば世界に4機しかないうちの貴重な1機だ。
当初搭載されていた中島飛行機の「栄エンジン」は修復不可能で、米プラット・アンド・ホイットニー(P&W)製のエンジンを搭載。当時の設計図を元に、38万時間という作業時間を費やして飛行可能な状態に修復したという。
零戦が見えると多くの観客が立ち上がり、その勇姿を収めようとカメラのシャッターを切り続けた。目の前を翼を振りながら迫り来る迫力に静まりかえるシーンも。
「熱いレースに加え、零戦飛行などより多くの人が楽しめるような様々なアクティビティも充実し、地元でも喜んでもらえる大会になってきた」(レッドブルエアレースのエリック・ウルフ氏)。レッブル・エアレースは一部のファンだけの娯楽でなく、地元のイベントとなりつつある。
1000分の7秒差
昨年の千葉大会で日本人として初めての優勝を果たした室屋義秀選手。3日の予選を4位で通過。4日の決勝では、ラウンドオブ8を0・007秒、距離にして約70センチメートルという僅差で勝ち抜いた。
「これほどの接戦はなかなかない。プレッシャーを追い風に、攻める気持ちで臨んだ」という室屋選手は、安定した飛行でその後のレースを順調に勝ち進み、観客の大歓声に最高の結果で応えた。
室屋選手は4月の米サンディエゴ大会に続く2連勝。年間の総合ランキングでもトップに躍り出た。先月、インディ500を制した佐藤琢磨選手に続く新たな”モータースポーツスター”の誕生で、日本でのエアレース人気はますます高まりそうだ。
日本でも定着
今年で10シーズン目を迎えたレッドブル・エアレース。最高時速370キロメートルでプロペラ飛行機が低空を駆け抜ける3次元モータースポーツは、「空のF1」とも言われる。世界各国の8会場で14人パイロットがその操縦技術、判断力、精神力の限りを尽くしタイムを競う究極のレースは、世界中で多くの熱狂的なファンを持つ。
国内初開催となった2015年当初、日本でエアレースがどこまで受け入れられるか、疑問視する声もあった。だが、3年連続となる千葉開催に加え、室屋選手の活躍で、日本でもこの新しいモータースポーツが確実に定着しつつある。
浦安市に設けたハンガー(格納庫)エリアで2日に開かれたパイロットのサイン会には、約1000人が列を作った。千葉市実施のパブリックビューイングもこれまで以上の応募があり、今年から新たにビジョンカーも設置して対応した。
3日の予選、4日の決勝の2日間で、チケットを購入して会場に入った観客だけで9万人を動員、パブリックビューイングや周辺でのイベントにも多くの市民らが訪れた。
「日本のファンは特別な存在。われわれにとっても日本は象徴的な開催地となっている」。大会を主催するレッドブル・エアレースのゼネラルマネージャーエリック・ウルフ氏は、日本での人気の高まりを実感する。
会見では「(開催地の千葉市、浦安市との)パートナーシップをこれからも続けていきたい」と、次回以降の千葉開催にも前向きな考えを示した。来年も千葉で、室屋選手の活躍が見られる可能性は高いだろう。
零戦も登場
今大会ではレースに加え、スペシャル・サイドアクトとして、「零式艦上戦闘機(零戦)」や往年の旅客機「ダグラスDC-3」も東京湾を舞った。特に零戦の登場は多くのファンを沸かせ、大会をさらに盛り上げた。
今回飛行した零戦は、三菱重工業が1942年に製造した零式艦上戦闘機二二型。パプアニューギニアで発見された残骸から復元されたもので、レプリカを除けば世界に4機しかないうちの貴重な1機だ。
当初搭載されていた中島飛行機の「栄エンジン」は修復不可能で、米プラット・アンド・ホイットニー(P&W)製のエンジンを搭載。当時の設計図を元に、38万時間という作業時間を費やして飛行可能な状態に修復したという。
零戦が見えると多くの観客が立ち上がり、その勇姿を収めようとカメラのシャッターを切り続けた。目の前を翼を振りながら迫り来る迫力に静まりかえるシーンも。
「熱いレースに加え、零戦飛行などより多くの人が楽しめるような様々なアクティビティも充実し、地元でも喜んでもらえる大会になってきた」(レッドブルエアレースのエリック・ウルフ氏)。レッブル・エアレースは一部のファンだけの娯楽でなく、地元のイベントとなりつつある。
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