なぜ地方の人は残業しないのか
文=田鹿倫基 平均所得だけでは見えてこない「信用経済」が存在する
なんのために働くのか
「なんのために働くか」という壮大な問いがあります。自己実現のため、とか好きなものを買うため、とか答えはそれぞれだと思いますが、最低限の目的は「生きるため」でしょう。
その最低限の目的を達成するために、貨幣経済に依存している東京では働かなければお給料が得られず、商品・サービスが受けられません。それは死に直結します。
しかし地方では貨幣経済以外にも物々交換経済や貸し借り経済、自給経済もそれなりに機能しているので、たとえ貨幣の収入が低くても東京のように死に直結することはありません。貨幣経済ももちろん大事ですが、物々交換経済や貸し借り経済もあり、それらの経済を成立させるためには地域社会との関係を築いていることが大切です。
同級生との飲み会を優先する社会
なので地区や消防団の飲み会とか、PTAの会合、お祭りの神輿担ぎ、運動会の場所取り、稲刈りシーズンの手伝いなどに出席して、地域コミュニティとの関係性を作っておくことが重要になるのです。
仕事が残っているのであれば、残業してでも終わらせるべきだ、というのは貨幣経済中心の東京では当たり前の論理ですが、物々交換経済、貸し借り経済、自給経済も並列している地方の経済であれば、例え貨幣を得るための仕事が終わっていなくても、その他3つの経済にも対応するために、残業せずに同級生との飲み会や地区の会合を優先するという選択肢も妥当になるのです。
東京にいると貨幣経済が大部分を占める経済モデルのため、貨幣を得ることが得意でない人は非常に苦しい生活を強いられますが、物々交換、貸し借り、自給のそれぞれの経済パターンもある地方であれば、その他の経済パターンが補完してくれるのでリスクヘッジが効き精神的にも楽になるでしょう。
経済パターンと「信用」との相関
物々交換や貸し借り経済を成立させるための活動がめんどくさいという人は東京の貨幣経済に集中すればいいし、貨幣を得るのが得意ではないな、、、という人は地方で生活し他の経済パターンも取り入れた生活をする、という選択も合理的かもしれません。
経済パターンが構築されるためには、何に信用が置かれているか、ということが肝になります。貨幣経済はお金に信用が置かれています。
しかし、地方の経済はお金以外にも信用の拠り所はたくさんあって、物々交換経済であればモノそのものに信用があり、貸し借り経済は◯◯家だったり、個人に信用があり、自給経済は肥沃な大地や良質な漁場に信用があるわけです。地方に行けば行くほど経済のパターンが複数化し、安定したポートフォリオが組めるようになります。
地方では確かに平均所得は東京よりも低くなりますが、その低くなっている金額部分を数値化出来ないその他の経済パターンで穴埋めしているわけです。これが平均所得や地域経済の数字からでは見えてこない地方の経済の実情なのです。