「医工連携」予算シフトで研究者を“本気”にさせる
これで世界と渡り合えるか。開発最前線を追う
医学と工学との連携が新たなステージに進もうとしている。素材や人工知能(AI)、ロボットなどの先端技術と医学を組み合わせ、革新的な医療を確立しようとする挑戦だ。工学研究者は医師の要望を聞いて医療器具を開発してきたが、既存品とのコスト競争に巻き込まれがちだった。新たな医療体系の確立は、高いリスクを伴うものの医療を独占できるためメリットが大きい。開発の最前線を追った。
「これまで医師にとって工学との共同研究は趣味に近い世界だった。国の研究予算が医工連携に極端にシフトし、医学研究者は本気になった」と東京医科歯科大学副理事の高瀬浩造教授は説明する。
この背景にあるのは国の医療費削減の重圧だ。医師の育成コストは医学部(6年間)と臨床研修(2年間)で、計6000万―7000万円とされ、工学部卒の技術者は約1000万円といわれる。
「医療費削減は長期的には医療従事者数の抑制まで視野に入っている。だが医療側は解決策を持っていない」(高瀬副理事)。医療側には、ロボットやAIで医療を効率化しなければ、将来、医療水準を保てなくなるという危機感がある。これが医工連携を推進せざるを得ない事情という。
工学側にも連携をためらう理由があった。「医師はメーカーに注文を付ける感覚が染みついている。ともに研究している関係にならない」と漏らす工学研究者は少なくない。背景には医療産業の独特の商習慣がある。医療機器の売れ行きは治療法の浸透次第だ。医学の普及は医学論文によって決まる。研究も商流も医師が握っているため、企業との関係は必然的に深くなる。
ある医師は開発を支援した医療機器のPRに「5日間に5カ国、10病院で手術、講演した。目の回る忙しさだったが、ここまでやると売れる商品になった」と振り返る。この手術行脚のお膳立てに、メーカーは各国で手術室と患者を手配する。事業化に向けたハードルは高く、異業種企業の参入を阻んできた。医師にとって開発資金を持たない工学研究者との医工連携は旨味がなかった。
ただ潮目は変わっている。研究予算の配分シフトだけでなく、工学分野から、新たな医療を生み出せる技術が登場してきたためだ。
慶応義塾先端科学技術研究センターの鈴木哲也所長と東海大学医学部の長谷部光泉教授らは、サンメディカル技術研究所(長野県諏訪市)と共同で、補助人工心臓の長期信頼性を向上させるダイヤモンドライクカーボン(DLC)コーティング技術を開発した。たんぱく質の吸着を抑え、耐摩耗性を向上させた。実機に適応したところポンプの乱れを10分の1に抑えられた。
サンメディカル技術研究所の補助人工心臓「エヴァハート」はモーターのシーリング材が血液に触れるため、血漿(けっしょう)たんぱく質が摺動(しょうどう)面に付着すると血液ポンプの回転が乱れてしまう。
生体維持機能には問題ないものの、ポンプが乱れると患者は驚き不安になる。そこでDLC膜にフッ素を添加してたんぱく質の吸着を10分の1以下に抑えた。同時にDLC膜内の水素を除いて緻密なDLCを成膜し、膜の耐摩耗性を向上させた。
心臓移植の施術数は年間30件程度に留まり、その約10倍の患者が待機している。待機期間は現在の平均900日から4―5年に延びることが確実視されている。この間、補助人工心臓を付けて移植を待つことになる。
実は鈴木所長と長谷部教授は10年来の研究仲間だ。長谷部教授は「米ハーバード大から慶大に移り、医学部で工学系の研究ができないことに驚いた。そこで鈴木所長を訪ね、材料工学を学んだ」と振り返る。以来、素材と医療の研究室が連携し、毎週報告会を開いて研究の進ちょくを共有している。
鈴木所長は「工学側は産業界の製造現場に明るく、医学側は先端医療と素材に明るい。2人とも横断的にカバーでき、素材から医療まで一貫した戦略が練れる」と説明する。このDLC膜はステントなど体内に留置するデバイスに幅広く応用できる。新しいコンセプトのステント用DLC技術を開発している。
<次のページ、iPSとHAL組み合わせ>
医療従事者数の抑制視野、ロボットやAIで水準保つ
「これまで医師にとって工学との共同研究は趣味に近い世界だった。国の研究予算が医工連携に極端にシフトし、医学研究者は本気になった」と東京医科歯科大学副理事の高瀬浩造教授は説明する。
この背景にあるのは国の医療費削減の重圧だ。医師の育成コストは医学部(6年間)と臨床研修(2年間)で、計6000万―7000万円とされ、工学部卒の技術者は約1000万円といわれる。
「医療費削減は長期的には医療従事者数の抑制まで視野に入っている。だが医療側は解決策を持っていない」(高瀬副理事)。医療側には、ロボットやAIで医療を効率化しなければ、将来、医療水準を保てなくなるという危機感がある。これが医工連携を推進せざるを得ない事情という。
工学側にも連携をためらう理由があった。「医師はメーカーに注文を付ける感覚が染みついている。ともに研究している関係にならない」と漏らす工学研究者は少なくない。背景には医療産業の独特の商習慣がある。医療機器の売れ行きは治療法の浸透次第だ。医学の普及は医学論文によって決まる。研究も商流も医師が握っているため、企業との関係は必然的に深くなる。
ある医師は開発を支援した医療機器のPRに「5日間に5カ国、10病院で手術、講演した。目の回る忙しさだったが、ここまでやると売れる商品になった」と振り返る。この手術行脚のお膳立てに、メーカーは各国で手術室と患者を手配する。事業化に向けたハードルは高く、異業種企業の参入を阻んできた。医師にとって開発資金を持たない工学研究者との医工連携は旨味がなかった。
工学分野からの技術で「新しい医療」を
ただ潮目は変わっている。研究予算の配分シフトだけでなく、工学分野から、新たな医療を生み出せる技術が登場してきたためだ。
慶応義塾先端科学技術研究センターの鈴木哲也所長と東海大学医学部の長谷部光泉教授らは、サンメディカル技術研究所(長野県諏訪市)と共同で、補助人工心臓の長期信頼性を向上させるダイヤモンドライクカーボン(DLC)コーティング技術を開発した。たんぱく質の吸着を抑え、耐摩耗性を向上させた。実機に適応したところポンプの乱れを10分の1に抑えられた。
サンメディカル技術研究所の補助人工心臓「エヴァハート」はモーターのシーリング材が血液に触れるため、血漿(けっしょう)たんぱく質が摺動(しょうどう)面に付着すると血液ポンプの回転が乱れてしまう。
生体維持機能には問題ないものの、ポンプが乱れると患者は驚き不安になる。そこでDLC膜にフッ素を添加してたんぱく質の吸着を10分の1以下に抑えた。同時にDLC膜内の水素を除いて緻密なDLCを成膜し、膜の耐摩耗性を向上させた。
心臓移植の施術数は年間30件程度に留まり、その約10倍の患者が待機している。待機期間は現在の平均900日から4―5年に延びることが確実視されている。この間、補助人工心臓を付けて移植を待つことになる。
実は鈴木所長と長谷部教授は10年来の研究仲間だ。長谷部教授は「米ハーバード大から慶大に移り、医学部で工学系の研究ができないことに驚いた。そこで鈴木所長を訪ね、材料工学を学んだ」と振り返る。以来、素材と医療の研究室が連携し、毎週報告会を開いて研究の進ちょくを共有している。
鈴木所長は「工学側は産業界の製造現場に明るく、医学側は先端医療と素材に明るい。2人とも横断的にカバーでき、素材から医療まで一貫した戦略が練れる」と説明する。このDLC膜はステントなど体内に留置するデバイスに幅広く応用できる。新しいコンセプトのステント用DLC技術を開発している。
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日刊工業新聞2016年6月28日