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巨額投資が重荷、ストッキングメーカーを倒産に陥った主要因

スカラーは1970年(昭45)11月に日本一の靴下生産地である奈良県で靴下製造を行っていた企業のストッキング部門を分社化する目的で設立。ストッキングやタイツなどの靴下を主体に、半製品の製造・加工を手がけていた。OEM(相手先ブランド)メーカーとして大手繊維商社を顧客に抱え、順次設備を増強しながら、最終的には撚糸や編立、縫製、染色、仕上げ、包装といった大半の工程を内製化していた。

高度経済成長期の終盤に当社が設立されたが、当時のミニスカートブームにより、ストッキングやタイツの需要が拡大。しかしながら、2000年代に入ってからは女性の服装のカジュアル化に伴い、ボトムスはスカートからパンツへと変わっていき、ストッキングの需要は徐々にピークアウトしていった。

93年12月期以降は為替の円高進行も影響し、中国などの海外の安い労働資本とバッティングし、安価な海外製品の流入に悩まされた。また、01年に米国で発生した同時多発テロやITバブル崩壊の影響から、需要が低迷。縮小する市場のなかで02年12月期の売り上げは大幅に減少し、採算性も悪化するなど、厳しい経営状態に陥った。

その後、リストラなどの経営改善策を実行するも、不動産の売却損の計上や不適切会計が表面化し、信用は失墜。とどめを刺したのが新型コロナウイルスの感染拡大だ。在宅ワークの普及によりストッキング需要がさらに低迷。20年12月期以降の赤字幅が大きく拡大。借入金の利息負担などの足かせもあり、24年3月13日に大阪地裁へ自己破産を申請し、倒産に至った。

結果的に倒産につながった主因としては、89年に工場建設に巨額の設備投資を敢行したことが挙げられる。当時においては決して無謀な投資ではなかったが、さまざまな要因が積み重なったことで、この投資に伴う支払利息の負担が重荷となり、業績に悪影響を及ぼした。(帝国データバンク情報統括部)

日刊工業新聞 2024年6月6日

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