システム化により、本場のナポリピッツァをワンコイン以下で提供!
Japan Venture Award 2016 中小企業庁長官賞受賞 遠藤商事・Holdings.
本場イタリアのピッツァをファストフード並の価格で提供し、気軽に食べられるものにしたい―遠藤商事・Holdings.はナポリピッツァをワンコイン以下で提供する「Napoli’s PIZZA&CAFFÉ」をはじめとして、国内外にチェーンを展開している。「100回失敗しても1回成功すればいい。『ヤバい』というほどのピンチがなければプラスになることもない」と話す同社代表取締役の遠藤優介氏。現場でのトライアンドエラーが企業成長の根元だ。
小学生の頃からサッカーの才能を発揮し、15歳でイタリアの強豪チームからスカウトを受け渡伊。「サッカーで一生食べていくつもりでした。でもイタリアに行って2~3日で自分がまったく通用しないとわかり、サッカーの道は諦めようと」。
何か他に武器になるものを模索していた中で興味を持ったのが、練習の合間に食べ歩いていたイタリア料理だった。「はじめはサッカーからの『逃げ』で始めたんですが、お店を手伝わせてもらっていたら料理にハマってしまって」。ミシュランで星を獲得した店での修行をはじめ、イタリアの南北を巡って高級店から食堂までを食べ歩き、無給で修行に入った。
そんな経験の中で、特に印象に残ったのがナポリのピッツァだった。「ナポリのピッツァは汚くて安いけれど美味い。これを型に落とし込めば日本で勝負できるのではと考えました」。イタリアの修行を通して料理人になるよりも、店を出すという選択肢を選んだ理由として、「自分で道を切り開いていきたい、何かやってやろうという気持ちが強かった」と話す。
帰国後はボクシングの才能も開花させプロテストにもすぐに合格したが、辞めざるを得ない状況に。「こうなったら、料理でいこう」。0か100かを座右の銘にしている遠藤氏ならではの決断だった。
改めてレストランで仕事をしていたところ、知り合いのつてで鎌倉のとあるイタリア料理店のプロデュースを任された。ここで売上ノルマの倍以上をたたき出したことを評価され、料理店のプロデュースやコンサルティングの依頼が来るようになっていった。
自分の実力を試すため、中小飲食店や不採算店を積極的にプロデュースしている中で出会ったのが、吉祥寺のとある店。当時遠藤氏が勤めていた会社がプロデュースする予定だったが、個人でやってみないかという話が上がったのだ。ここが遠藤氏の独立起業のきっかけ、一号店となった。
まず遠藤氏はキッチンではなく、ホールに立って接客を行った。吉祥寺は国内外から観光客が来る。加えて、地元の客も来る。「いろいろな声を聞くことができました。その中でワンコインピッツァ、空間づくり、接客サービスなど自分のやっていることは間違っていないなという確信が持てました」。店のオペレーション全体を仕組化して展開しようと決意した。
そもそもナポリピッツァを作るには職人技が必要だ。生地は季節によって水分量や温度を調整しなければならず、ノシ作業(生地をのばす作業)もコツがいる。さらに薪窯はブレが大きく、薪1本入れるだけで50~100度温度が上昇する。生地と窯の相性や、トッピングによっても一枚一枚焼き方が異なる。シンプルながら奥が深い世界だ。
遠藤氏はまず、日本の気候や素材、日本人の舌に合う生地の調整から開始。その生地に対して最適な厚さに仕上げるノシ機械「P-SLIDE」をつくり、ベースを完成させた。さらにその生地に合う窯「ENDOME」をイタリアから取り寄せた石で作製。生地、ノシ機械、窯のシステム化により誰でも短時間で品質の安定したピッツァを作ることが可能になった。このシステムは「EP-SYSTEM」と名付けられている。
「ここまで完成するのに6年はかかりました。吉祥寺の一号店オープン時にはまだ6割ほどしかできていませんでしたが、店を回しながらつくり込んでいった感じです」。
イタリア、サッカーからピッツァの道へ
小学生の頃からサッカーの才能を発揮し、15歳でイタリアの強豪チームからスカウトを受け渡伊。「サッカーで一生食べていくつもりでした。でもイタリアに行って2~3日で自分がまったく通用しないとわかり、サッカーの道は諦めようと」。
何か他に武器になるものを模索していた中で興味を持ったのが、練習の合間に食べ歩いていたイタリア料理だった。「はじめはサッカーからの『逃げ』で始めたんですが、お店を手伝わせてもらっていたら料理にハマってしまって」。ミシュランで星を獲得した店での修行をはじめ、イタリアの南北を巡って高級店から食堂までを食べ歩き、無給で修行に入った。
そんな経験の中で、特に印象に残ったのがナポリのピッツァだった。「ナポリのピッツァは汚くて安いけれど美味い。これを型に落とし込めば日本で勝負できるのではと考えました」。イタリアの修行を通して料理人になるよりも、店を出すという選択肢を選んだ理由として、「自分で道を切り開いていきたい、何かやってやろうという気持ちが強かった」と話す。
帰国後はボクシングの才能も開花させプロテストにもすぐに合格したが、辞めざるを得ない状況に。「こうなったら、料理でいこう」。0か100かを座右の銘にしている遠藤氏ならではの決断だった。
改めてレストランで仕事をしていたところ、知り合いのつてで鎌倉のとあるイタリア料理店のプロデュースを任された。ここで売上ノルマの倍以上をたたき出したことを評価され、料理店のプロデュースやコンサルティングの依頼が来るようになっていった。
自分の実力を試すため、中小飲食店や不採算店を積極的にプロデュースしている中で出会ったのが、吉祥寺のとある店。当時遠藤氏が勤めていた会社がプロデュースする予定だったが、個人でやってみないかという話が上がったのだ。ここが遠藤氏の独立起業のきっかけ、一号店となった。
ワンコイン以下で提供できるナポリピッツァを
まず遠藤氏はキッチンではなく、ホールに立って接客を行った。吉祥寺は国内外から観光客が来る。加えて、地元の客も来る。「いろいろな声を聞くことができました。その中でワンコインピッツァ、空間づくり、接客サービスなど自分のやっていることは間違っていないなという確信が持てました」。店のオペレーション全体を仕組化して展開しようと決意した。
そもそもナポリピッツァを作るには職人技が必要だ。生地は季節によって水分量や温度を調整しなければならず、ノシ作業(生地をのばす作業)もコツがいる。さらに薪窯はブレが大きく、薪1本入れるだけで50~100度温度が上昇する。生地と窯の相性や、トッピングによっても一枚一枚焼き方が異なる。シンプルながら奥が深い世界だ。
遠藤氏はまず、日本の気候や素材、日本人の舌に合う生地の調整から開始。その生地に対して最適な厚さに仕上げるノシ機械「P-SLIDE」をつくり、ベースを完成させた。さらにその生地に合う窯「ENDOME」をイタリアから取り寄せた石で作製。生地、ノシ機械、窯のシステム化により誰でも短時間で品質の安定したピッツァを作ることが可能になった。このシステムは「EP-SYSTEM」と名付けられている。
「ここまで完成するのに6年はかかりました。吉祥寺の一号店オープン時にはまだ6割ほどしかできていませんでしたが、店を回しながらつくり込んでいった感じです」。
ニュースイッチオリジナル