ニュースイッチ

「ドラッグ・ラグ」「ドラッグ・ロス」深刻化…医薬品格差は改善できるか

海外で既に承認されている薬が日本で承認を得るまでに長い時間を要する「ドラッグ・ラグ」や、日本で開発すら着手できない「ドラッグ・ロス」の問題が深刻化している。日本の薬価算定制度や臨床試験の規定が海外の製薬企業の障壁となり、開発の遅れを招く。格差の改善には、海外の製薬企業にとって日本が魅力的な市場であることが求められ、政府は制度の見直しを急ぐ。(安川結野)

日本の薬価・臨床試験規定が障壁に

医薬品の実用化には、製薬企業が臨床試験を実施し、その結果を各国の規制当局が審査、承認するといった段階が必要となる。製薬企業はより広い市場で事業を展開するため、臨床試験を国際的に実施することが多い。しかし日本人を対象とした試験実施の難しさや欧米との薬事制度の違いから、これまでも抗がん剤などで日本での実用化が欧米から遅れる問題があった。今は臨床試験が着手すらされない状況になっており、ドラッグ・ロスにつながっている。

背景には、開発する製薬企業の多様化がある。医薬品の開発には数百億円かかるともいわれ、これまでは臨床試験を実施するのは大手製薬企業が主流だった。一方、近年はバイオベンチャーが台頭。開発資金が限られるベンチャー企業が狙うのは規模が大きな欧米市場で、日本での開発優先度は低いのが現状だ。日本製薬工業協会の調査によると、欧米で承認されているが国内未承認の医薬品143品目うち86品目は、国内での臨床開発は未着手となっている。その86品目のうち、ベンチャーが開発を手がけている薬が56%と半数を超える。

また日本の医薬品市場が事業の見通しを立てにくい点も、開発の遅れの要因だ。欧州製薬団体連合会(EFPIA)のラース・フルアーガー・ヨルゲンセン会長は「ベンチャーは日本市場ではリターンが得られない可能性を考え、開発の優先度を下げている」と指摘する。毎年の薬価改定により特許期間中であっても想定外に価格が下がることがあるため、日本市場でどれくらい収益を得られるか見通しにくい。こうした日本の薬価制度の仕組みは特にベンチャーの日本市場への参入を難しくしており、ドラッグ・ラグ/ロスにつながっている。

政府、制度見直し

こうした格差是正に向け、政府は制度改革に乗り出す。厚生労働省相の諮問機関である「中央社会保険医療協議会(中医協)」は2024年度の薬価改定制度改革の中で、日本での承認申請が欧米より早い、もしくは欧米での承認申請から6カ月以内の医薬品について点数を加算する「迅速導入加算」という新たな仕組みを設ける。対象となる医薬品は承認後の薬価に5―10%の補正率で加算するもので、日本での早期開発を促す狙いだ。

また、当初の予想より販売が拡大した医薬品の薬価を引き下げる「市場拡大再算定」も見直す。市場拡大した医薬品があった場合に、類似する作用を持つ他の薬の価格も引き下げられる「共連れルール」を改正し、中医協が定める領域においては再算定の適用を除外する。開発が活発化する領域ほど薬価引き下げの対象となり得るルールを見直すことで、製薬企業は日本での事業の見通しが立てやすくなる。

他にも日本での臨床試験実施数や承認取得数などを評価して加算する仕組みを廃止し、日本で開発実績がないバイオベンチャーの参入を促すほか、臨床試験の実施が難しく不採算となりやすい小児用医薬品について評価を拡充する内容を盛り込み、ドラッグ・ラグ/ロスの解消を図る。

加えて23年には厚生労働省が、海外で開発が進んでいる医薬品で日本人の安全性が確保できる場合には、医薬品の安全性を調べる第1相試験の実施を原則必要としないことを定めた。開発期間の短縮や費用削減により日本での開発に着手しやすくなると期待される。

こうした制度改革について中外製薬の奥田修社長は「(制度改革の)全体としては、ポジティブに受け止めている。イノベーションを評価する方向に向かっている」と話す。点数加算や薬価引き下げを緩和するルールの改正は、日本での事業を展開する上で製薬企業にとってはプラスとなる。日本市場への参入を検討するベンチャー企業にとっても、日本での事業の見通しが立てやすくなる。

PMDAが米などに拠点、海外へ情報発信

一方で奥田社長は「ドラッグ・ラグ/ロスに関しては今回の改定である程度手が打たれた。一方で格差が改善していくのは時間がかかるだろう」と指摘する。また「(改正案への盛り込みが見送られた)新しいモダリティー(創薬手段)などの価値を評価する制度も必要だ」とし、さらなる改革の必要性を強調する。

製薬協は日本での開発数の変化に加え、製薬企業がどれくらい日本市場での開発に意欲的になったかを行政などと連携しながら検証し、継続的に制度への反映を求める方針だ。

国内の制度見直しが進む中、製薬協の上野裕明会長は「薬事制度改革の内容を海外へ情報発信していくことが重要」と説明する。医薬品医療機器総合機構(PMDA)は24年度から米国など海外に拠点を設置する計画だ。現地のバイオベンチャーへの情報発信を強化するほか、日本での臨床試験の実施など薬事制度の相談などを英語で行う。こうした仕組みを最大限利用して海外のバイオベンチャーを支援し、いかに日本での開発につなげられるかも重要となる。

これまでも、製薬企業や業界団体からは「増加する医療費の調整弁として薬価引き下げが行われている」という指摘がされてきた。薬価改定は長年の問題とされていたが、ドラッグ・ラグ/ロスをきっかけに政府が制度の見直しに動いた格好だ。格差の解消が進めば、患者は欧米と遅れることなく日本で新薬が使えるようになる。

一方で、日本国内の医療制度の維持も重要だ。国民が低い自己負担率で医療を受けられる国民皆保険制度は世界的にも優れた制度だ。医薬品を適正に評価し、日本が製薬企業にとって魅力的な市場となるよう価格を適正に設定する仕組みを作ることと同時に、薬事の制度改革に留まらない医療全体の構造の見直しと制度の適正化が求められる。

日刊工業新聞 2024年03月08日

編集部のおすすめ