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金属から文字が浮かび上がる不思議な印鑑、手掛ける精密金型メーカーの思いとは

一見するとフラットな金属面だが、持ち手部分のダイヤルを回すと印鑑の文字が浮かび上がる―。岩井プレス(山梨県大月市)が手掛けるこの「未来印」は、小さな印鑑に込められた精緻さとユニークさにより、多くの人を惹きつけている。同社の相馬彰吾マネージャーは「印鑑の廃止が進む中で、未来につながるような印鑑を作りたかった」と話す。(取材・昆梓紗)

精密金型の技術を生かす

同製品は、長年培った電子部品向け精密金型製造の技術により生み出された。同社の相馬光成社長は本業の傍らで、自らアイデアを出し自社製品を作っていた。その中でのちに未来印の前身となるような、金属の平面から立体が浮き出るオブジェが生まれていたものの、販売するまでには至っていなかった。「単なるモノづくりだけでは、見た人が驚くだけで終わってしまい販売にはつながらなかった」(相馬社長)。

試行錯誤の中で、2020年に金属を組み合わせたオリジナルの立体パズル「ZIREL(ジレル)」が完成した。ピース同士のクリアランス(隙間)が0.005mmほどと非常に狭いため繊細なはめ合いが必要。さらに、表裏に鏡面加工を施していることで、つなぎ目が非常にわかりにくい、という完成させるのが極めて難しいパズルだ。精密金型は、パンチとダイの間にクリアランスができる。この構造に着目し、パズルに応用した。

金属のパズル「ZIREL」

2020年12月にクラウドファンディングサイトのマクアケにて販売を開始。その直後に新型コロナウイルス感染症が蔓延しはじめ、家での楽しみを求める人からの支持が集まり販売数が急増。1個約3万円(購入プランにより異なる)という高価格帯商品にもかかわらず、260万円以上を売り上げ、プロジェクト達成率は888%となった。その後も同シリーズから新製品を発売し、第4弾までの売り上げ合計は1000万円を突破した。「当初は予想以上の売れ行きに驚いたが、2回、3回とクラウドファンディングを重ねていくうちにファンを獲得できたことが結果につながった」(相馬マネージャー)。

パズルの成功を受け、新たな商品開発にも着手した同社が次に着目したのが印鑑。精密な文字加工が必要な印鑑は、より自社技術を生かせると考えたのだ。「山梨県は印鑑の一大生産地だが、近年ではデジタル化に伴い印鑑廃止が進んでいる。だからこそ、次世代に印鑑文化が残るような商品を作りたいと思った」(相馬マネージャー)。

未来印加工の様子

ジレルのアイデアを印鑑に応用し、フラットなステンレス面から文字が浮かび上がる独特のデザインの「未来印」が完成。従来、印鑑は母材となる印材から、刃物で文字を掘り出して作成する。しかし同社ではステンレスの母材から文字部分をワイヤー放電加工機で切り出していく。文字部分を切り出した部品と、文字部分を抜いた部品を組み合わせ、両者をはめ合わせることで印鑑が完成する。ジレルと同様クリアランスが非常に狭いためフラットに見えるが、本体のダイヤルを回すと文字を抜いた部品が下がり、文字が浮かび上がる。

2023年6月にマクアケにてクラウドファンディングを開始。価格は約16万円(購入プランにより異なる)と高価だが、すぐに注目を浴び、メディアに取り上げられた効果も相まって500万円の売り上げを達成した。その後他のクラウドファンディングサイトでも売り上げを重ね、半年ほどで1000万円を売り上げた。「子どもや孫にプレゼントしたい、という40~60代の男性が多く購入してくれた。『未来につないでいく』というストーリーに共感してもらえたと実感している」(相馬マネージャー)。

設計と販売の両輪が揃う

製品開発において大きなポイントとなったのが図面づくりだ。同社では、企画からデザイン、設計、製造まですべて自社内で行っている。これらの企画、設計はすべて相馬社長自らが行ってきた。ジレルや未来印では、BtoBの金型設計にはない3次元面の図面および加工条件を作り込む必要がある。BtoB向けの金型を40年以上設計してきた技術の蓄積と経験が生きているという。

さらに、相馬社長の息子である相馬マネージャーが販売面を専任で担当していることも、クラウドファンディングの成功を大きく後押しした。相馬マネージャーはもともと他業界で働いていたが、相馬社長の作ったジレルを見て「これを世の中に広めたい」と岩井プレスに入社。以降クラウドファンディングや自社ECサイトの構築・運営、イベントや展示会への出展を積極的に行ってきた。自社製品開発および販売を継続できている要因として、専任を立てたことが大きいと相馬社長は振り返る。「BtoC製品では、BtoBとは異なる業界の担当者との接点や広げ方が重要になってくる。そういった人々との関わりが今後自社の大きな財産になる」(相馬社長)。

相馬社長(左)と相馬マネージャー

同社では、BtoC分野の売り上げがBtoBの売り上げの落ち込みをカバーするまでに成長した。しかし、BtoB事業も引き続き重視していく構えだ。自社製品を手掛けてきたことで、本業への向き合い方も変化してきたという。「もともとBtoB製品の技術を応用してBtoC製品を作ってきたので、社内で『BtoCの方が簡単』という意識があった。しかし自社製品を多数製造するようになると技術が磨かれ、『BtoBもそこまで難しくないな』というように変わってきた」と相馬社長は見る。

今後はこれまで発売してきたシリーズを拡充し、販路を広げていくとともに、新たなジャンルの製品にもチャレンジしていきたいという。同社の強みである、技術と販売体制の2軸で攻めていく構えだ。

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昆梓紗
昆梓紗 Kon Azusa デジタルメディア局DX編集部 記者
ジレルを実際に組み立ててみましたが、ピースを一つはめるのにも苦労しました。形がわかっていても、はめるのに苦労するパスルは初めてでした。未来印は文字が浮かび上がるのを見ているだけでも気持ちが良く、展示会では体験したい人が行列を作っていたという話も頷けます。

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