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【ペロブスカイト太陽電池誕生】episode15 それぞれの2012年

ペロブスカイト太陽電池は固体化に成功し、エネルギー変換効率が10%を超えた。この成果を桐蔭横浜大学の宮坂力研究室やペクセル・テクノロジーズのメンバーはどのように受け止めたか。(敬称略)

宮坂力の2012年

「変換効率が上がり、10%超を超えたので『サイエンス』誌に共著で論文を投稿したいのですが」-。2012年夏のカリフォルニア工科大学。光エネルギーに関する国際学会「IPS」に出席し、研究者の発表に耳を傾けていた宮坂力の下にメールが届いた。英オックスフォード大学のヘンリー・スネイスからの突然の連絡だった。宮坂はその知らせに驚き、やがて抱いた感情は「愉快ではない」だった。研究の進展についてそれまで一切、知らされていなかったからだ。また、当初は宮坂の名前を入れずに論文を投稿したところ、審査員の意見を受けて、共著にするよう改めたとも聞いたという。

宮坂が知ったところによると、その背景はこのようだ。マイク・リーが戻ったオックスフォード大のスネイス研では、宮坂研の測定装置を利用した研究の延長線として酸化チタンの多孔質膜をベースにした固体式ペロブスカイト太陽電池と、酸化チタンの代わりにアルミナの多孔質膜を用いた固体式ペロブスカイト太陽電池の2つを作製した。その結果、前者の変換効率は7.8%にとどまり、後者の変換効率は10.9%に上った。後者の成果だけを抜き出すと宮坂研の関わりはないと考え、当初は宮坂との共著にしなかったと見られる。ただ、審査員からアルミナを用いた結果の比較対象として酸化チタンを用いた成果も論文に含めるべきと指摘があり、宮坂を共著者に含めるよう改めたようだ。

一方、スネイスらが変換効率10%を超える成果を出したことをどう振り返るかについて今、宮坂に問うと「後悔」の思いも語る。小島陽広がペロブスカイト太陽電池の固体化に挑戦し、08年に学会で発表したが、あまり芳しい成果は得られておらず論文にしなかったことは書いた(#12)。このころ、宮坂研におけるメーンの研究テーマは、すでに変換効率10%を超えていた色素増感太陽電池だったため、小島の研究に宮坂が積極的に介入することはなかったという。

「人と人の絆作りはよくしてきましたが、指導者としては勉強不足がありました。私がもう少し技術の中身を調べて変換効率の向上につながる解決策を考えて小島くんを指導していれば、という思いがあります。残念ながら当時は色素増感太陽電池の研究で一杯でした」

小島陽広の2013年

『ペロブスカイトを太陽電池に用いる知見が世界の研究者の手に渡り、彼らのアイデアと組み合わされば性能はもっと上がるはず』-。小島陽広は東京大学の博士課程に進学したときからそうした思いを抱き続けていていた。だから、スネイスらによる12年の報告は当然の帰結と思えたし、研究の進展が素直に嬉しかった。「変換効率が10%を超えたのはさすがに驚きましたが」―。そして、その報に触れたとき悔しさは生まれなかった。09年にしっかりとした論文(#12)をまとめられて達成感を得ていたからだ。

「(ペロブスカイトを用いた太陽電池について)世界で初めて論文にするプレッシャーを自分の中で乗り越えられ、やりきった思いでした。すがすがしい気持ちで研究に一区切りを付けていました」

しかし、小島の脳裏にうっすらと「反省」の文字が浮かぶ時がくる。

「最初の発見の経緯を含めてペロブスカイト太陽電池について講演してもらえませんか」-。そうした依頼が小島に届いたのは13年のことだった。依頼主は京都大学化学研究所の若宮淳志准教授。若宮は科学技術振興機構(JST)が09年度に始めたさきがけ「太陽光と光電変換機能」領域の一員として、色素増感太陽電池を研究していた。その期間中にスネイスらの論文が発表され、研究総括だった九州工業大学教授の早瀬修二の声かけでペロブスカイト太陽電池に着目した。自ら代表世話人として研究会を立ち上げ、そこでの講演を小島に依頼したのだった。

若宮の依頼を受け、小島は改めて周辺技術を調査し、スネイスらの論文をつぶさに読み返した。そこで1つのワードに目を奪われた。

『ETA(Extremely Thin Absorber):極薄吸収体』-。ETAは色素増感太陽電池と同じように、酸化チタンの多孔質膜を用いてその表面を極薄の化合物半導体層で覆う構造だ。高い光吸収能力を持つ材料で酸化チタンの表面を覆うことができれば、酸化チタンの多孔質膜を薄膜化でき、電解液の代わりに用いるホール輸送剤を酸化チタンの多孔質膜中に充填しやすくなる。その結果、電子やホールが取り出しやすくなり、高い変換効率の太陽電池の作製が期待できるという考え方だ。

スネイスらの論文ではこのETA構造のアプローチに従ってペロブスカイトを用いたと言及していた。そして、ペロブスカイトは光を吸収する能力の高さや、自己組織化の力により酸化チタン表面に均一で極薄な光吸収層の形成が期待できることなどから、ETA構造に用いる材料として結果的に非常に適していた。

小島は09年の論文に向けて研究していた当時、光を吸収する量を増やして変換効率を高めるために、酸化チタンの多孔質膜とペロブスカイトで構成する層をなるべく「厚く」しようと試みており、ETA構造は知らず「薄く」する発想はなかった。

「ETAは日本ではあまり研究されていなかった一方、海外では研究が進んでおり、ETAに適した材料を探す動きがあったようです。先行技術について私の調査不足だったと反省しました。(ただ、同時に)09年の論文を他の研究者に読んでもらい、彼らの技術と融合してペロブスカイトを用いた太陽電池の研究が進展して嬉しかったです」

池上和志の2011年

『糸口を掴んでいるようだ。帰国したら成果を出すのではないだろうか』-。ペクセル・テクノロジーズの池上和志は桐蔭横浜大に2ヶ月滞在し、ペロブスカイト太陽電池の作り方を習得して帰国したオックスフォード大のマイク・リーの後ろ姿にそう感じていた。具体的にはペロブスカイトは当時、成膜が不安定だったのだが、リーがペロブスカイトの組成において、従来用いていた「ヨウ化鉛(PbI2)」の代わりに「塩化鉛(PbCl2)」を用いた結果、とても安定したと聞いのだ。

もう1つ、韓国成均館大学教授のナムギュ・パクの動向も気になっていた。パクは小島の論文を唯一追試しており、また、池上自身も研究室を訪ねたことがあり、ペロブスカイト太陽電池の研究を続けているのは間違いなかった。

『今後、高い性能を持つペロブスカイト太陽電池の報告が出てくるのではないか』-。池上はそう思い、宮坂研やペクセル、あるいは小島がペロブスカイトを研究していた証拠をより多く残したいと考えた。そして小島に急ぎ1つの論文を書くよう働きかける。ペロブスカイトの発光特性に関わるもので、小島が学生時代に行った実験結果などを生かしてまとめてもらった。

「実はこの論文はやや中途半端です。本来は発光寿命を計測するべきなのですが、あえて行っていません。宮坂研に装置がなく、測定する場合には他の研究室の協力が必要だったからです。仮に協力を得ると共著になり、協力先の研究室が大きいと成果が飲み込まれる懸念があります。宮坂研やペクセル、小島くんの存在を明確に残すために、共著にしたくありませんでした」

2012年は「ペロブスカイト太陽電池」の研究に火が付いた「元年」といえる。『Highly Luminescent Lead Bromide Perovskite Nanoparticles Synthesized with Porous Alumina Media(多孔質アルミナ媒体を用いて合成した高発光臭化鉛ペロブスカイトナノ粒子)』と題し、小島・池上・宮坂・手島健次郎が著者に名を連ねた論文は、その年の始まりの日である1月1日、日本化学会の論文誌『Chemistry Letters』によって受け付けられた。

それから2ヶ月後の3月24日、池上はある数字に目を見張った。『397』。日本化学会のウェブサイトで論文が掲載されるとその論文に固有の番号が振られる。その末尾の3桁で『Chemistry Letters』誌での掲載ページを表す数字だ。何の因果か、それは小島がペロブスカイトを用いた太陽電池を発表した二つ目の舞台で、小島が海外デビューを果たした06年の米電気化学会でのポスター発表で与えられた番号と同じだった。

「小島くんが海外デビューしたときに与えられた番号と、ペロブスカイトの研究における小島くんの存在をしっかり残したいと思って書くよう働きかけた論文に与えられた番号が同じで『397』は小島くんとペロブスカイトを結びつける運命の数字なのかなと思いました」

イノベーションへの道

ペロブスカイト太陽電池は研究に火がつくと、瞬く間に世界に広がった。今やそれに関わる研究者は数万人と言われる。彼らが先人の知見を礎に研究し、そして互いに成果を競い合うことでペロブスカイト太陽電池の研究は加速していく。そしてその先には、脱炭素化のキー技術としての実用化や普及という期待がある。

かつてペロブスカイト太陽電池の誕生を密かにアシストし(#11)、今は積水化学工業東芝などと連携してペロブスカイト太陽電池の研究開発を推進する東京大学教授の瀬川浩司に、実用化への課題を聞いていた時、彼は言った。

「小さなことの積み重ねでしかイノベーションは起きない」。

小島が論文をまとめた2009年の成果に至る研究者たちの交流とそれぞれの好奇心や汗、そして2012年前後に始まった成果をめぐる競争とそれに伴う後悔や反省はそうした積み重ねとして数えられる。その積み重ねが結実する日は、着実に近づいている。

証言者:宮坂力・小島陽広・池上和志・手島健次郎・若宮淳志・瀬川浩司
主な参考・引用文献:『大発見の舞台裏で!―ペロブスカイト太陽電池誕生秘話』(宮坂力)『次世代の太陽電池・太陽光発電-その発電効率向上、用途と市場の可能性』
ニュースイッチオリジナル
葭本隆太
葭本隆太 Yoshimoto Ryuta デジタルメディア局DX編集部 ニュースイッチ編集長
ペロブスカイト太陽電池の誕生をめぐるヤマ場になった2009年に至る経緯と、2012年をめぐるストーリーは一端これで完結です。一方、2012年の「着火」を契機にしたストーリーもあります。ペロブスカイトが注目されたとき、かつてその光物性などを研究していた研究者はどう向き合ったのか。あるいは、その「着火」に大きく影響を受けた若手研究者の登場、そしてそれからの宮坂研は―。そんな続編を執筆すべく、鋭意取材中です。乞うご期待ください。

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