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【ペロブスカイト太陽電池誕生】episode14 変換効率10%

スイス連邦工科大学ローザンヌ校での博士研究員生活後、桐蔭横浜大学の専任講師として研究室を立ち上げた村上拓郎の下にヘンリー・スネイスから連絡がくる。その一本の連絡が、太陽電池研究の世界を一変させる成果につながる。(敬称略)

「英国と日本の研究交流が支援されるらしいのだけど、一緒に申請しないか」-。桐蔭横浜大学専任講師の村上拓郎の下に、英国オックスフォード大学講師のヘンリー・スネイスから連絡が届いたのは、2008年のことだった。スイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)のマイケル・グレッツェル研究室に、同じ博士研究員として所属していた日から1年ほどが経っていた。スネイスは科学技術振興機構(JST)と英国工学・物理科学研究会議(EPSRC)が共同支援する研究交流事業の公募を見つけ、村上に問い合わせたのだった。

グレッツェル研で「ワンオブゼムの同僚」だった研究者の提案に、村上は乗る。自身の研究室を立ち上げたばかりで研究費を欲していたからだ。それはオックスフォード大講師になったばかりのスネイスが村上を誘った理由でもあった。ただ、二人はこの研究交流により研究費だけではない価値を偶然得る。ペロブスカイトとの接点だ。

その接点は、色素増感太陽電池を土台に日本では電解液を使った湿式を、英国は固体のホール輸送剤を用いる乾式を研究し、成果を共有する枠組みで研究交流を始めた09年に生まれた。舞台は前出(#12)の通り、研究交流の一環として桐蔭横浜大で実施したワークショップ後の懇親会だ。

その場でペロブスカイトを用いた太陽電池に関する小島陽広の論文が紹介され、それについてスネイスと言葉を交わした小島の記憶はすでに紹介したが、このとき村上は「軽いノリ」ながらも、スネイスともう一歩踏み込んだ会話をしていた。

「懇親会の雑談の流れで、ペロブスカイトを使った太陽電池を固体で作ってみようかという話になりました。研究交流のテーマからは横道にそれるのですが、色素ではない新しい材料で発電したのはすごいことですから。とはいえ、安定性は低く性能は悪いだろうと思いましたが」

そして研究交流のメンバーでオックスフォード大学大学院生のマイク・リーが翌10年に来日し、約2ヶ月間の滞在でペロブスカイトを用いた太陽電池の作成方法を学ぶ。

ここで2つ補足しておきたい。1つは村上が「固体化しても性能は悪いだろう」と考えていた理由だ。色素増感太陽電池は構造上、乾式が湿式の変換効率を上回るのは難しいとされていた。実際に当時の最高効率は湿式の約11%に対し、乾式は6%程度だった。なぜか。湿式の場合、色素が吸着した酸化チタンの層(光電変換層)は10μ-15μm(マイクロメートル)なのだが、乾式は2μm程度まで薄くする必要があった。光電変換層が厚いと電解液の代わりに用いるホール輸送剤がその抵抗によってホールを電極まで運べないため、運べる距離まで短くしなければならないからだ。一方、光電変換層は薄いほど光を吸収できる量は減る。だから、変換効率はどうしても湿式を下回るのだ。

もう1つは、マイク・リーが来日した際の研究体制だ。村上や小島の証言を基に整理するとこうだ。マイク・リーは宮坂研の測定装置を使いつつ、村上研究室で研究した。博士号を取得した小島が就職し、在籍していたペクセル・テクノロジーズも同じ建物内に本社を構えていたが、小島がペロブスカイト太陽電池の作り方を本格的に教示することはなかった。ペクセル自体はオックスフォード大と共同研究の契約などを結んでいないため、自社が持つ知見の開示は難しいという判断があったようだ。

リーと村上はこうした状況で、ペロブスカイトを用いた太陽電池の作成法を小島の論文を読み込み習得していく。桐蔭横浜大には乾式の太陽電池を作製するために必要な蒸着装置がなかったため、リーは装置があるオックスフォード大に戻って研究を続けた。それから研究の進展について村上に連絡がないまま、半年ほどが経過した。

「研究結果がどうなったかは時折、ヘンリーに聞いていました。ただ、ずっと研究室に引きこもっているということで、よくわからない状況が続きました」。

驚きの知らせは11年秋、突然もたらされる。産業技術総合研究所に所属を変えていた村上はその日、講演会のスピーカーとして日本に招いたスネイスと都内の駅のホームに立っていた。会場の東京大学駒場キャンパスに向かう道中だった。そこでスネイスが研究成果について口を開いた。

「変換効率が10%を超えたんだ」

「…マジかよ」

乾式でしかも「軽いノリ」で取り組んだはずのペロブスカイトで10.9%もの高い変換効率が出たと知り、村上の驚きは大きかった。

ではなぜ、固体化に成功し、10%を超える変換効率を実現したか。村上によるとポイントは2つある。

1つはペロブスカイトが持つ、光を吸収する能力(光吸収効率、吸光係数)の高さだ。乾式の場合、光電変換層を2µm(マイクロメートル)程度まで薄くする必要があるが、ペロブスカイトはそれほど薄くても、十分な量の光を吸収できる力を持っていた。

もう1つは光が入射する側の電極(透明電極)の表面に酸化チタンの緻密な層を設けたこと。この酸化チタンの緻密な層は、固体型の色素増感太陽電池の高効率化でも必要なものだった。理由は、固体である正孔輸送剤と固体である電極が接触するとショートしてしまう特性があり、太陽電池の性能は落ちてしまうからだ。それを防ぐためにペロブスカイトの固体化の際にも設置した。その層の設置にはノウハウが必要で、そのノウハウはグレッツェル研が持っており、スネイスはそれをポスドク時代に獲得していた。

この成果をまとめた論文は、12年10月に米科学誌『サイエンス』に掲載された。実は同じ年の8月に、小島の論文を初めて追試した韓国成均館大学教授のナムギュ・パクやグレッツェルらの研究グループが、固体化に成功したペロブスカイト太陽電池で変換効率9.7%を報告していた。太陽電池にとって変換効率10%は実用化の可能性が見込める最低ラインとされる。ほぼ同じ時期に10%前後の変換効率が突如2つのグループから報告され、その研究に火が付かないはずがなかった。

研究の現場が一変した

「君はペロブスカイトを昔、研究していたんだろう。太陽電池で使えるらしいぞ」-。東京大学教授の近藤高志の元に、太陽電池に関わる国内の研究者らからそうした連絡が相次いだのは、2012年の終わりころだった。CREST「自己組織化量子閉じ込め構造」(#7)を02年に終えた後、ペロブスカイトの研究からは離れていた近藤に、彼らは続けた。

「君も研究しなさい。研究費を付けてあげるから」。

近藤はその〝外圧〟に驚きつつ「まぁ研究してみようか」と思った。そうして太陽電池の材料として使われていた三次元のペロブスカイトについて研究を始め、今も続けている。そんな近藤は、ペロブスカイトが太陽電池の研究現場に与えたインパクトを目の当たりにしてきた。

「ペロブスカイトは太陽電池研究の世界を一変させました。その登場により、有機の太陽電池もシリコンの太陽電池も研究者に力が入りました。ペロブスカイトというよくわからない材料で高い変換効率が出るのだから、そのほかの太陽電池もまだまだ伸びる余地があると思えたのでしょう。その結果、それぞれ性能が上がっていきました。新しい材料が研究の現場をそれほどまでに変えてしまう様は初めて見た気がします」

変換効率10%超という成果は、ペロブスカイト太陽電池そのものの研究だけでなく、太陽電池の研究全体に「火」を付けたというわけだ。

さて、その火元の出発点となった宮坂研やペクセル・テクノロジーズはその「着火」をどう見たか。成果は歓迎しつつも、少なからず複雑な思いは生まれていた。

証言者:村上拓郎、小島陽広、近藤高志
主な参考・引用文献:『戦略的国際科学技術協力推進事業「色素増感型太陽電池(DSC)における太陽光吸収効率と電荷移動効率の 向上」研究終了報告書』『次世代の太陽電池・太陽光発電-その発電効率向上、用途と市場の可能性』
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ドキュメント・ペロブスカイト太陽電池誕生
ドキュメント・ペロブスカイト太陽電池誕生
ペロブスカイト太陽電池はノーベル賞の候補とされ、今年4月には政府が量産化を強力に支援する方針を掲げるなど大注目の新技術です。その誕生の裏には、まだあまり知られていない多くの研究者らの関わりと、彼らの汗があります。全15回(くらい)で全容を描きます。

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