【ペロブスカイト太陽電池誕生】episode8 「自己組織化」が面白い
上智大学の研究者を中心にチームが組まれたペロブスカイトの光物性に関するCREST事業。手島健次郎がそのメンバーに名を連ねた背景には千葉大学の指導教官の推薦があった。(敬称略)
『光が関係するテーマだし、面白そうだな』-。千葉大学大学院の博士課程で学んでいた手島健次郎は、指導教官である小林範久の声かけに二つ返事で了承した。1997年のころだ。科学技術の新たな種を生み出す基礎研究を国の戦略の下で推進する「CREST(クレスト)」の研究チームへの参加要請だった。上智大学教授である讃井浩平をリーダーに、有機・無機複合化合物の光物性を研究するという。その化合物の名は「ペロブスカイト」と聞いたが、手島にとっては海の物とも山の物ともつかぬ材料だった。
手島は写真を撮ることが好きな青年だった。その写真への関心から1989年に千葉大学工学部画像工学科に進学した。大学4年で導電性高分子を専門とする小林の研究室に配属されるが、とても厳しい場所として知られており、自ら積極的に選んだ場所ではなかった。それでも「研究の実力が付き、結果的に良かったですね。自分は楽な方に流れやすいので」と振り返る。
研究室で与えられたテーマは「導電性高分子の光重合」。光照射によって重合反応を起こし、導電性高分子を生成する研究だ。導電性高分子は電気を流すと、酸化還元反応により物質の色や光学特性を制御できる。「エレクトロクロミズム」と呼ばれる現象で、現在は電子書籍の端末や電子ペーパーなどに応用されている。
この研究が偶然にも太陽電池との接点を生む。導電性高分子は単に光を照射しても反応は起きない。ただ、金属-炭素結合を含む錯体「有機金属錯体」を触媒に使うことで、重合反応が起きる。手島はその触媒として「ルテニウム錯体」を使っていた。
スイス連邦工科大学ローザンヌ校のマイケル・グレッツェルが1991年に色素増感太陽電池(グレッツェル・セル)を考案し、その研究開発が活発になったことは前(#2)に触れた。このグレッツェル・セルが高い変換効率(7.1%)を実現した背景には大きく二つの要素があった。酸化チタンのナノ粒子がブドウの房状につながった膜「メソポーラス膜」の作成と、その表面に可視光を吸収する「ルテニウム錯体色素」を付着させたことだ。
「これはすごい」。その論文を読んだ手島は自身の研究で使っていた「ルテニウム錯体」という材料が太陽電池の変換効率を高める役割を担っていると知り、感銘を受けた。
CRESTに手島が参加した背景には、指導教官の小林と上智大学の陸川政弘との縁があった。小林と陸川は学生時代から共に固体電解質を扱っており、学会で交流していた。97年当時もお酒を酌み交わすほど親密だった。そんなある日、陸川からCRESTに参加してくれる若い研究者の紹介を求められ、小林は手島を紹介した。
「手島が博士課程を終える頃だったので、ちょうどよいタイミングだと思って推薦しました。手島はコツコツと地道に研究を重ねるタイプで、論文も積極的に書いていましたし、外に出ても競争できる研究者だと感じていました」
CRESTの研究に参加した期間、手島は科学技術振興事業団(現・科学技術振興機構<JST>)の研究員を経て、00年に東京工芸大学工学部の助手、そして講師になる。東京工芸大では白井靖男教授の研究室に所属した。CRESTでは当初、一次元(線)構造をもつペロブスカイトを生成する役割を任され、東京工芸大に着任してからは二次元(平面)構造を持つペロブスカイトの発光特性を研究していた。
ペロブスカイトの発光特性の研究は面白かった。東京大学の近藤高志や上智大学の江馬一弘も魅了(#6・#7)した「自己組織化」の力を持っており、有機物と無機物を混ぜた溶液を基板にたらして乾燥させることで、しっかりした構造を自動で生成できる。また、有機物や無機物の中身やそれぞれの配分を変えると、生成する結晶の色が変わる。そうして一瞬でできた結晶に紫外線を照射すると強く光った。
「ペロブスカイトの組成は無限に組み合わせがあります。そして少し組成を変えると、発光特性が変わる。とても興味深い材料だと思いました」。
一方、その頃、手島は白井研究室で色素増感太陽電池も研究していた。グレッツェルの論文をきっかけに関心を持ち始めたもので、本人曰く「あくまで興味本位」だったのだが、その研究に目を輝かせる学生がいた。
太陽電池に憧れた学生
小島陽広が太陽電池に関心を持ったきっかけはソーラー電卓だった。『電池交換なしでずっと動作し続ける。このすごい動力がもっと世の中に広がればいいのに』-。幼少期に抱いたそんな思いは、光を網羅的に学べる東京工芸大学工学部光工学科に進学する礎になった。だから研究室への配属を意識し始めたころ、白井研究室に目を引かれたのは必然だったのだろう。太陽電池を研究していたからだ。それから、希望の研究室に行けるように、日々の勉強にも精を出した。
しかし、希望通り白井研究室に配属されたはずの小島には、不運が待っていた。「あくまで興味本位」だった太陽電池の研究はすでに終わっていたのだ。小島は途方に暮れ、代わりの研究テーマ選びを始める。研究室の先輩たちによる卒業研究の発表を聞き、気になるテーマはすぐに見つかった。それが「ペロブスカイトの発光特性」だった。
「太陽電池の研究はできなくて残念でしたが、光そのものに興味がありました。虹はなぜあのように見えるのか。ステンドグラスはきれいだなとか。ビックリマンチョコのシールのホログラムも。光が織りなす現象全般に関心を持っていました」
かくして、手島を指導教官として小島はペロブスカイトの光学特性の研究を始める。駆け出しの研究者だから、ペロブスカイトと言われてもよくわからない。しかし、研究は面白くてしかたがなかった。その面白さを支えたのがやはり自己組織化の力だった。駆け出しの研究者でも、しっかりとした構造の結晶を生成できるのだ。
「なぜこれほど面白い結晶が簡単にできるのか。それを作る作業が面白く、常に新鮮でした」
その研究の面白さは小島に大学院への進学を意識させた。『大学4年生と大学院生の卒業発表はレベルが違う。大学院に進学して学会発表をこなしてきた人の発表は堂に入っている。自分も大学院に進学したら、そんな発表ができるだろうか』-。研究者としてさらに成長したいそんな思いも重なり、進学を決断した。
一方、小島が大学4年生だった04年度は、手島にとって東京工芸大における任期5年の最後の年だった。つまり、翌年度には所属先を移る必要があった。そうして転職先を探していた04年の終わり頃、手島は日本化学会の学会誌『化学と工業』04年12月号で、ペクセル・テクノロジーズの求人(#4)を見つけた。色素増感太陽電池の研究ですでに有名だった「宮坂力」の名は知っており、その先生が立ち上げたベンチャー企業の研究員という仕事にそそられた。グレッツェルの論文によって生まれた太陽電池に対する関心も、ペクセルへの転職を後押しした。
小島にとっては指導教官が転任するという、またしても不運と思われる展開なのだが、手島がペクセルに移ったことで、ペロブスカイトと色素増感太陽電池の接点は生まれ、その2つを組み合わせる研究が始まる瞬間は、刻一刻と近づいていた。
証言者:手島健次郎・小島陽広・小林範久