【ペロブスカイト太陽電池誕生】episode7 CRESTが残したもの
東京大学の近藤高志がハワイの国際会議の会場で上智大学の江馬一弘に声をかける1年ほど前、政府は基礎研究を推進する大型事業を始める。研究室を立ち上げたばかりだった江馬はその公募に手を上げる。(敬称略)
CREST(Core Research for Evolutional Science and Technology)は、科学技術に公共投資する手段の一つとして政府が1995年に急遽立ち上げた事業だった。バブル経済が崩壊した90年代前半、政府は多様な景気浮揚策を打ったが、景気は一向に回復しない。そこで自民党の尾身幸次ら一部の議員が主導した議員立法により「科学技術基本法」が95年11月に制定された。背景には「科学技術を盛んにして先端技術でよいものを作れば、国の経済を立て直し、将来にも夢を与えられる」という考えがあった。
この法律に基づき「科学技術基本計画」が策定され、競争的資金の大幅な拡充を図る方針が打ち出された。その中で国の戦略の下で科学技術の新たな種を生み出す基礎研究を推進する手段としてCRESTは立ち上がった。
与えられた至上命題
『自分の知見が生かせる』-。新技術事業団(JRDC/現科学技術振興機構
一方、臼井の任務は時間との戦いだった。CRESTは当初、96度予算からの実施が想定されていたが、「科学技術創造立国(※1)」の旗を掲げた議員らから「なるべく早く実行せよ」と要請があり、95年度補正予算での前倒し実施が求められた。95年12月までの初回公募開始が至上命題だった。
※1/科学技術創造立国:科学技術・技術革新を積極的に推進し、知的財産の創造・活用を促進することによって国の発展を図ろうとする考え方
初回公募までの慌ただしさを表すエピソードがある。CRESTは国の戦略目標の達成に資する研究領域を決めてその領域の長となる研究総括を選び、研究総括が10人程度の領域アドバイザーの協力を得て研究課題を選ぶ。つまり、研究課題を公募する前に研究総括を決める必要がある。しかし、臼井が研究総括を依頼するために、ある研究者を訪ねるとその研究者は自らCRESTに研究課題を応募しようとすでに提案書を書いており、応募を取りやめてもらった。そんな事例が3件ほどあった。
そうした過程を経つつ、臼井はなんとか至上命題をクリアする。支援する研究費の総額は1課題あたり年1億円程度に設定された。「当時の科学研究費補助金は1課題あたり年数百万円が普通」な中で破格の設定だった。
その巨額の研究費は多くの研究者を惹きつけた。初回公募には1350件もの応募があった。臼井も「想定をはるかに超えていた」と振り返る。前年の94年4月に上智大学助教授に就任したばかりの江馬一弘もそれに手を上げた1人だった。
共同研究をしよう
江馬は東京大学工学部物理工学科で学んでいた時、光産業の未来に魅力を感じ、光の研究を志した。江馬が大学に入学した79年は光ファイバーの実用化が目前に迫っていた。NTTは85年2月に旭川と鹿児島を結ぶ「日本縦貫光ファイバケーブル」を完成させている。ただ、大学4年時の配属では希望が通らず、「破壊」の研究室で光ファイバーを実現するガラスの強度について研究した。
そうして博士号を取得した後、やはり光を研究したいと思い、86年に就いた助手のポストで原子分光を専門とする清水富士夫教授の研究室に移った。その研究室の助教授には後に東大総長になる五神真(現・理化学研究所理事長)が着任し、江馬は「五神先生には光物性の面白さを教えてもらいました」と振り返る。その上で、光物性の面白さについてこう解説する。
「物質は光を当てるとバランスが壊れて励起状態になり、そして基に戻ろうとします。その過程を観察すると安定した状態では分からない、その物質の本質がわかります。それが光物性。それは人間と同じかもしれません。人間もバランスが壊れたときに本質が現れますよね」
江馬は東大助手を経て上智大に職を得たとき、一つの目標を持っていた。『新しい場所に行くのだからそこの先生と共同研究をしよう』-。そうして高分子研究の大家で、以前から名前を知っていた緒方直哉教授の研究室のドアを叩いた。それまで半導体の光物性を研究しており、それとは違う材料を研究対象にしたかった。高分子にとりわけ関心があったわけではないが、緒方研究室は論文を積極的に出しており、惹かれた。
「着任したばかりの若造でしたが、ぜひ一緒に研究してくださいとお願いしました」
提案は緒方研に好意的に受け入れられた。そして、高分子ポリマーにおける3次の非線形光学効果(※2)に関する共同研究に手を付けたころにCRESTが始まる。大きな予算が付くためせっかくだから手を上げようと、上智大教授の讃井浩平や助手の陸川政弘らとチームを組み、初回公募に参加した。しかし、「有機物の非線形光学効果」をテーマに据えた提案は特徴がなかったためか、わずか4%の採択率の壁に跳ね返され、あえなく落選した。
※2/3次の非線形光学効果:入射光の強さによって屈折率が変化する現象。光スイッチや光メモリーへの応用が期待され、90年代に研究が活発になったが、実用化には至っていない。
「面白い材料があるんです。一緒に研究しませんか」。
東京大学工学部物理学科助手の近藤高志にそう声をかけられたのは、96年にハワイで開かれた国際会議の会場だ(#6)。江馬にとって東大物理工学科の後輩でテニス仲間の近藤に紹介された材料が「ペロブスカイト」だった。
実はペロブスカイトの名は聞いたことがあった。東北大学の石原照也がその光物性を89-90年に報告しており(#5)、論文の存在は知っていた。ただ、当時は「変わった材料を扱っているなぁ」と思った程度で、研究対象として興味を持たなかった。しかし、近藤に改めて紹介されて7年越しの興味を抱いた江馬は、試しに研究対象として取り扱ってみようと決めた。
「これはすごい」。
江馬がペロブスカイトの特性に惹かれるまでに時間はかからなかった。3次の非線形光学効果を調べると、とてつもなく大きな値が確認できたのだ。
「それまで高分子ポリマーの中でも3次の非線形光学効果が大きい化合物を探していましたが、ペロブスカイトはそうした化合物に比べても桁違いに大きかったのです。その値なら光スイッチなどへの応用の可能性が見えてくると感じました」
もう一つ、江馬を惹きつけたペロブスカイトの特性があった。近藤も驚いた「自己組織化」だ。
「特別な技術や装置がなくても、また、何も知らない学生でもレシピ通りに実践すればきれいな量子井戸構造の化合物を作ることができる。貴重な材料だと感じました」
一方、江馬はCRESTの枠組みで研究したい思いを変わらず持っていた。そこで97年2-3月に行われた第3回公募の提案に向けて、ペロブスカイトに白羽の矢を立てた。『自己組織化量子閉じ込め構造』をタイトルにペロブスカイトの光物性を研究する提案をした結果、974件の応募から選ばれた60件に名を連ねた。こうして量子井戸構造を持つ二次元を中心としたペロブスカイトの光物性を調べる大型の研究が始まった。
研究メンバーは代表者に讃井を据え、近藤や陸川、緒方研出身で東大の博士課程に進学した竹岡裕子らのほかに、2年目から科学技術振興事業団(現・科学技術振興機構/JST)所属の若手研究員が参加した。それが、後に桐蔭横浜大学教授の宮坂力が起業するペクセル・テクノロジーズに入社する手島健次郎だった。
証言者:臼井勲・江馬一弘・近藤高志・竹岡裕子・手島健次郎
参考資料:『科学技術で日本を創る』(尾身幸次)『科学技術立国論―科学技術基本法解説』(尾身幸次)『CREST-12周年記念誌』『昭和60年版 通信白書』