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黒部宇奈月キャニオンルート・高輪築堤…産業遺産の保存・公開進む

黒部宇奈月キャニオンルート・高輪築堤…産業遺産の保存・公開進む

黒部宇奈月キャニオンルートのインクラインは、長さ約800m、斜度34度の急傾斜を20分かけて昇降する

日本の経済発展を支える発電と鉄道の両分野で、歴史的に特に重要な意味を持つ産業遺産の一般公開に向けたプロジェクトが進んでいる。富山県の黒部峡谷の奥地に造られた電源施設群は2024年に観光ルートとして開放される。第二次世界大戦前の設備もあり、世紀の難工事を感じられる場だ。東京都港区で発掘された約150年前の鉄道開業時の遺構「高輪築堤」跡の保存・活用計画もまとまった。(梶原洵子)

黒部宇奈月キャニオンルート

24年に開業する「黒部宇奈月キャニオンルート」は、黒部峡谷鉄道の欅平(けやきだいら)駅と黒部ダムを結ぶ約18キロメートルのルートだ。映画「黒部の太陽」で知られる世紀の難工事となった黒部川第4発電所などの建設に伴い整備された工事用ルートを開放する。昭和初期から使われている非日常の乗り物を乗り継ぎ、電源開発の歴史を感じ、上級登山者しか見られなかった大自然の景観を望むことができる。かなり貴重な体験となる。

宇奈月温泉側から回る場合は、まず欅(けやき)平駅で1935年ごろから使われている工事用トロッコ電車に乗る。次に竪坑エレベーターで200メートルの標高差を一気に昇り、その先から黒部川第4発電所までの約6・5キロメートルは蓄電池機関車に乗って進む。

この区間にある高熱隧道(ずいどう)は、掘削時に岩盤の温度が160度Cを超え、ダイナマイトの自然発火も起きたという。「今も40度Cほどあり、機関車の中でも熱気や硫黄臭から当時の難工事を感じられる」と、富山県観光振興室の高田敏暁課長は話す。

黒部川第4発電所からはケーブルカーの一種(インクライン)で急斜面を上り、次にバスに乗ってトンネル内を移動し、剣岳を裏側から眺め、黒部ダムに到着する。

高熱隧道を抜けたトンネルの外にある仙人谷。鉄橋から手前に仙人谷ダム、背後に雲切の滝や山々を望む(黒部宇奈月キャニオンルートPR事務局提供)

関西電力北陸支社コミュニケーション統括グループの入船勝彦課長は「このルートは、電源開発の歴史そのものだ。将来にわたって水力発電を引き継ぐため、先人たちが果敢に挑戦し、苦難を乗り越えて実現した。ルート全体を通して体感してほしい」と熱く語る。

富山県の高田課長も「実際に行くと、本当に奥地にある。昔の人たちはすごいことを成し遂げたと随所に感じられる」と話す。

多くの産業遺産との違いは同ルートを構成する設備は現役であり、今も発電設備の維持管理に使われているところだ。このため通行ルートではなく旅行商品とし、立ち入れる人数は原則6―10月の期間で8000人、天候などの条件に恵まれた年は最大で年1万人に制限する。

また、同ルートの開放は雪深い山奥を切り開いた先人だけでなく、現代の現場の人たちの努力のたまものでもある。現役の工事用ルートのため、観光客を受け入れる際の安全対策工事は夜間に限られる。厳冬期間の気温は氷点下で、高熱隧道との気温差は50度Cにもなる。「現場の人たちの頑張りのおかげで実現できる」(関西電力の入船課長)。

工事ではトンネル背面の空洞をくまなく調べてモルタルを注入したほか、素掘り部分の落盤対策などを行った。機関車と客車は安全対策を施した車両に更新した。コロナ禍の中でも工事は行われ、現在も続いている。

持続可能な社会の実現に向けて、水力発電への期待は高まっている。自然と一体化した歴史的な電源施設は、これまでにない体験となりそうだ。

高輪築堤

1872年に日本で初めて新橋―横浜間に鉄道が開業した時、列車は東京の高輪地域で海上を走っていた。海の上に堤を築き、線路を通した。この「高輪築堤」跡は、“何としても鉄道を通す”という熱意の象徴だ。築堤は錦絵に姿が残っていたものの、長らく正確な場所が分かっていなかったが、2019年に石積みの一部が見つかった。27年度に複合都市「タカナワゲートウェイシティ」で現地公開される予定だ。

タカナワゲートウェイシティでの現地公開のイメージ(JR東日本提供)

「鉄道開業の志を街づくりの中で継承し、見てもらいたい」と、JR東日本マーケティング本部まちづくり部門品川ユニットの武田幸彦マネージャーは力を込めて語る。当時は現在のような機械施工ではなく人力の施工にもかかわらず、計画決定からわずか2年半で2・7キロメートルの堤を築いたというから驚きだ。

「築堤は西洋技術との融合で完成したという文献が残っており、遺構からも工夫が感じられる」とJR東日本グループ経営戦略本部品川・大規模開発部門企画戦略ユニットの吉本博之ユニットリーダーは話す。例えば、築堤の一番下には、現在は使われない粘土質の土が盛られている。その上に性質の異なる複数種類の土を重ねることで、崩れにくくしているのだ。このほか、築堤のすぐ側の海底では松製の杭が見つかった。使われた理由はまだ複数の説があり、研究が進むことが期待される。

現地公開される築堤は「なるべくオリジナルを見てもらいたい」(吉本ユニットリーダー)との考えから、一部の崩れた石積みを積み直し、構造を維持する以外は、ほぼそのままの姿となる。築堤の周りには鉄道開業時と同様に水を引く。見た目だけでなく、酸素が入ることや乾燥を防ぐことで保存にも効果があるという。

鉄道は日本の設計技術の進化などにも深く関わり、新橋―横浜間を1時間半でつなぐことで時間や移動の概念を変え、生活を変えていった。この遺構が“100年先の心豊かなくらしのための実験場”を掲げる新たな複合都市・タカナワゲートウェイシティで公開される。

「当時の心意気を街の中で継承するため、拡張現実(AR)技術などを使った新しい情報発信の方法もぜひやりたい」(武田マネージャー)とも。近代化のイノベーションの熱意を伝えるための創意工夫を続ける。

今、日本の産業は大きな転換点にある。エネルギー産業は持続可能なエネルギー源へのシフトが求められ、鉄道は人口減少社会に合わせた新たなビジネスモデルが求められている。今後一般公開される日本の近代化を支えた産業遺産に込められた思いから、学べるものは少なくないはずだ。

日刊工業新聞 2023年08月16日

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