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【ペロブスカイト太陽電池誕生】episode6 理論を実証せよ

東北大学の石原照也が光物性の研究を始めた有機・無機複合ペロブスカイト。その研究は石原から相談を受けた東京大学工学部物理工学科教授の花村榮一を起点に、同物理工学科のつながりによって引き継がれていく。(敬称略)

東京大学本郷キャンパス工学部6号館にある伊藤良一教授の研究室。そこで研究室のメンバーと雑談していた助手の近藤高志は、突然やってきた花村榮一の姿に驚いた。

「近藤さん。この化合物、合成できるでしょ」。

花村が伊藤研に顔を出したのは、後にも先にもその一回きりだった。そもそも、教授が他の教授の研究室を訪ねてこんな研究をしてくれと依頼するケースは聞いたことがない。だから、花村が持ち込んだ化合物「ペロブスカイト」を知った1990年のある日に関する近藤の記憶は、その驚きが鮮明にさせている。

東北大学の石原照也がペロブスカイトの光物性を研究する過程で、花村が提唱した理論「誘電率閉じ込め効果」を用いたことは前に書いた(#5)。花村は石原を通してペロブスカイトを知ったとき、それを自身の理論を実証する格好の材料と捉えたようだ。近藤は「誰かに実証して欲しいと考える中で、身近で光を研究していた我々に研究を持ちかけたのでしょう」と振り返る。

近藤は東大に進学し、専門を決める際に「なんとなく」物理工学科を選択した。父親は企業でエンジニアを務めており、化学を専門にしていたから、それとは違う分野を研究したいと思ったという。研究室は後に高温超伝導(※1)で有名になる田中昭二教授の下を選び、鉛とビスマスの酸化物(鉛ビスマス酸バリウム:BPBO)の超伝導体を研究した。それをテーマにした卒業論文を86年春に出したが、BPBOの転移温度は最高13K(ケルビン)と低く、高温超伝導体としては使い物にならないと考えた。

※1/高温超伝導体:電気抵抗がゼロになる温度(超伝導転移温度)が高い物質。IBMチューリッヒ研究所のベドノルツとミューラーは1986年に、La-Ba-Cu-O系の酸化物が当時としては比較的高い転移温度で超伝導になると思われる現象を報告した。東大の田中昭二研がベドノルツとミューラーの発見が正しいことを同年に証明した。

ちなみにBPBOもペロブスカイト構造を持つ化合物なのだが、花村が持ち込んだペロブスカイトはハロゲン化物で、BPBOのような酸化物とは物性がまったく異なるため、花村がペロブスカイトを持ち込んだ際にBPBOを想起することはなかった。

近藤はBPBOの研究を通して、もっと世の中で使える成果を出す研究室に移りたいと考えた。そこで修士課程に進む際に、半導体レーザーを専門とする伊藤の研究室を選んだ。それが光の研究との出会いになった。

花村がペロブスカイトを持ち込んだ90年当時、伊藤研では非線形光学材料(※2)を研究していた。その中で、ペロブスカイトは新しい材料と捉えられたし、研究対象として面白いと考えてすぐに飛びついた。それから伊藤が石原に連絡し、東大の伊藤研でペロブスカイトについて解説してもらうことが決まった。

※2/非線形光学材料:光波長の変換や光の増幅、光強度に応じた屈折率変化などの光学的な非線形現象を効率よく発現する材料の総称

「あの人は闘士だね」。

ペロブスカイトについて詳しく解説してくれた石原が東大の伊藤研を去った後、伊藤研の助手だった小笠原長篤は漏らした。横にいた近藤はそれに頷いた。自ら新しい材料を見つけて研究し、そこで得た知見を独占せずに開示する姿勢に、尊敬の念を抱いていた。

「光物性の研究者は昔からある材料について細かい部分を研究し続けるものです。石原先生の元々の研究対象だったヨウ化鉛(PbI2)も昔から研究されており、光物性研究の分野では代表的な半導体でした。そこに新しい要素を持ち込んだ事例は、それ以降もあまり聞いたことがありません。ペロブスカイトという海の物とも山の物ともわからない材料を研究対象に据えた判断はとてもアグレッシブだと思いました」

なお、石原はペロブスカイトに関する自身の研究内容を伊藤研に解説したことについて「当時はまだ駆け出しの研究者で、自分の研究の重要性など判断できません。ただ、請われるままにお話ししただけです」と語っている。

近藤がペロブスカイトの研究を始めて、まず驚いたのは「自己組織化」の力だ。ペロブスカイトは有機物と無機物を溶媒に溶かして混ぜた溶液を基板にたらして乾燥させると、しっかりした構造が自動的に形成される。特に二次元(平面)構造のペロブスカイトは、有機物の層と無機物の層がきれいに積層した量子井戸を作る。無機物が井戸層となり、光をあてると束縛エネルギーの大きな励起子が表れる。

「半導体は一般に高温プロセスでお金をかけないとよい試料ができないという世界。一方、ペロブスカイトはビーカーとフラスコを使って、ほとんど常温で合成できてしまうので非常に驚きました」

一方、ペロブスカイトを使った花村の理論「誘電率閉じ込め効果」の実証に向けては、近藤らが持たない知見が必要になった。花村の理論では光物性の1つである「非線形屈折率」において、巨大な非線形性が予言されており、近藤らの実験によってそれが示唆された。そこで、実際に非線形屈折率の値(NR/ノンリニア・リフラクティブインデックス)を測定したいと考えたが、その測定手法は扱っていなかった。

突破口は意外と近くにあった。舞台は96年にハワイで開かれた非線形光学に関する国際会議だ。上智大学助教授である江馬一弘の研究室が、高分子を対象としてまさにNRを使った研究成果をポスターで発表していた。

「江馬さんはNRを使って研究をしているのか」

近藤にとって江馬は、東大物理工学科の3歳年上の先輩で、テニス仲間でもあった。近藤が学生だった当時、東大物理工学科にはテニス好きの集まるコミュニティーがあった。花村が月に1度の練習会や合宿などを企画しており、その場で交流して仲良くなっていた。近藤は国際会議の会場で江馬に声をかけた。

「面白い材料があるんです。一緒に研究しませんか」。

証言者:近藤高志、江馬一弘、石原照也
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葭本隆太
葭本隆太 Yoshimoto Ryuta デジタルメディア局DX編集部 ニュースイッチ編集長
「ペロブスカイト太陽電池は人と人の交流なしでは生まれなかった」。episode1で紹介した桐蔭横浜大学の宮坂先生の言葉です。このことを関係者の取材を通してつまびらかにすることで、新しい科学技術が生まれる背景にある、人の営みの面白さを紹介したいというのが、取材を始めた大きな動機だったりします。その意味で、花村先生が主催するテニスコミュニティーの縁で近藤先生と江馬先生がつながるという、宮坂先生からは見えていない場所での何気ない人と人との交流が、ペロブスカイト太陽電池の誕生につながっていくと考えると、非常に面白いなと思います。

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