1分子の遺伝情報増幅する技術、新型コロナに活用で得た成果
この研究のきっかけは、2007年に開催された学会で現在の共同研究者である情報・システム研究機構の先生からの「南極の氷に閉じ込められた微生物のデオキシリボ核酸(DNA)を1分子ほどしかないわずかな試料量から増幅し、遺伝情報を解析できないか?」という相談であった。ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)など従来のDNA増幅技術では、解析対象のDNA分子がたいへん少ない場合、対象以外のDNAなどで対象DNAの増幅が阻害されるという問題があった。
そこで、産業技術総合研究所(産総研)が開発していたメソポーラスシリカという無機多孔質材料の細孔内にDNA増幅酵素を吸着させ、対象外のDNAなどを反応系から排除する方法を考案した。これまでに細孔径を酵素のサイズに合わせて2ナノ―25ナノメートル(ナノは10億分の1)の間で調節し、1分子程度のDNAから超高感度で高精度なPCR増幅を実現した。
本研究に関する特許(「極微量核酸の増幅方法」〈特許第6714251号〉)が登録された20年6月頃、新型コロナウイルスの世界的な猛威に対し、本技術が活用できないかと考えた。一般に、新型コロナウイルス感染症の確定診断には逆転写ポリメラーゼ連鎖反応(RT―PCR)が用いられている。罹患(りかん)初期の感染者から得た検体にウイルスのリボ核酸(RNA)が微量しかない場合、現行のRT―PCRでは検出限界以下となり、偽陰性として見逃されてしまう。この問題を克服するため、メソポーラスシリカを利用した1分子レベルのRNA検出を可能とする超高感度・高精度のRT―PCRを開発し、現行の手法に比べ約100倍の高感度化を達成した。
本技術の特徴は、メソポーラスシリカの細孔が極微量の核酸(DNAやRNA)の増幅反応場として好適であることに加えて酵素を安定して保管できる容器となり得ることだ。通常、酵素は50%グリセロールなどの安定化試薬の存在下で冷凍庫の中でも凍結しない状態にして保管される。メソポーラスシリカの細孔内に酵素を分散固定させると、安定化試薬が無くても酵素は本来の活性を失うことがない。常温、冷蔵、冷凍のいずれの温度条件下においても、酵素の長期保管が可能であることを確認している。
メソポーラスシリカの特性を生かしたPCRは、下水、空気・大気中の微粒子(エアロゾル)などの環境中で得られた希薄なDNAやRNAのサンプルからのウイルス検出や全ゲノム増幅・解析の技術開発に活用することができる。また、シリカ細孔を酵素の保管容器とすることで常温での輸送が可能になれば、冷蔵・冷凍のインフラ整備が困難な発展途上国やフィールドワークでのDNAなどの検出にも活用できると考えている。
産総研 化学プロセス研究部門 有機物質変換グループ 主任研究員 松浦俊一
専門は酵素工学、無機材料化学。産総研に入所してから現在まで、無機多孔質材料の新たな利用技術の開発に従事。超高感度PCRのほか、生体機能を模倣した酵素反応による機能性化学品の製造や難分解性の環境負荷物質を分解する技術なども開発している。産業界と連携を図り、社会課題の解決に貢献したい。