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トヨタも実践。「現場力」を補うアーキテクチャー戦略とは

<情報工場 「読学」のススメ#108>『IoTと日本のアーキテクチャー戦略』(柴田 友厚 著)

日本の強みは「現場力」のままでいいのか

日本企業の強さの源泉は「現場力」にもあるとよくいわれる。無理難題に思える課題さえも、たたき上げの技術者や熟練の職人たちが、知恵を絞って乗り越える――そんなエピソードを、製造業における現場の話として耳にすることが多い。

一方で、近年はデジタル化の進展が著しい。生産工程の自動化やセンサー活用に加え、市場に出回るモバイル機器や自動車などにも多くのセンサー類が搭載され、人の手を介さずに、リアルタイムで膨大なデータが収集される。世界では巨大テック企業によるプラットフォームの支配が進み、あらゆる業界においてDXによる新たな価値創造の必要性が説かれる。そんななかで、いつまでも「日本の強みは現場力」で大丈夫だろうか?

『IoTと日本のアーキテクチャー戦略』(光文社新書)は、日本が誇る現場力を、「アーキテクチャー戦略」で補強する必要があると主張する。アーキテクチャーという言葉に耳慣れない人もいるかもしれないが、日本語では「設計思想」「基本設計」などと訳されることが多い概念だ。その中身については後述する。

著者は、学習院大学国際社会科学部の柴田友厚教授(東北大学名誉教授)。本書では、アーキテクチャー戦略の欠如は日本の弱点だと指摘し、なぜ他国より導入が遅れているのか、また、今後どう重要になってくるのかを分析。さらに、企業のアーキテクチャー戦略を、トヨタ自動車、ダイキン工業、コマツといった先行事例をあげながら解説している。

柴田教授によれば、アーキテクチャー戦略は、産業や組織、製品、ビジネスなど「システム」の特性を持つものすべてが対象になる。複数の要素が関係しあうことで、全体としてまとまった機能を発揮するという特性だ。

日本企業のアーキテクチャー戦略でよく知られるのは、トヨタ自動車が2011年から取り組むTNGA(トヨタ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)だ。

従来、トヨタは機種や地域別に最適な自動車をつくり込んできたが、それによって、エンジンやヒップポイント(運転手の座る位置)など、部品や仕様が、同社の製品間で必要以上に多様化していた。そこで、一部の部品や仕様の共通化を進め、原価低減を図りつつ全体の商品力強化を目指した。

部品や仕様の共通化は、トヨタほどの巨大企業では簡単ではない。何百とあるすべての機種を対象に、設計段階までさかのぼって進めなくてはいけない。柴田教授によれば、トヨタはまず、中長期の製品構想を描いた。そして、理想とするクルマの原型を共通の「アーキテクチャー」として策定し、その下に「個別機種」を開発していくようにした。

これまでの、ひたすら現地の顧客に最適なクルマを目指してきた(それゆえに多様化を免れなかった)ボトムアップの設計思想はいったんリセットし、あるべき理想の姿から現地に最適な形に落とし込んでいく、トップダウンのクルマづくりに変更したのである。

アーキテクチャー戦略は、全体像を描いてから進める必要があるため、現場重視が浸透した日本企業には馴染みにくかった、というのが柴田教授の指摘だ。また、日本では、優れたものづくりには「すり合わせ」が向いていると考えられていた。一方で、アーキテクチャー戦略には「モジュール化」が合う。ところが、日本企業の得意技であるすり合わせは、モジュール化とは相反すると考えられていた(実際にはそうではない)ため、アーキテクチャー戦略にも積極的になれなかったというのだ。思い当たることがある方もいるかもしれない。

TNGA導入後のトヨタは、販売台数や業績が堅調だ。2021年末、同社は2030年までに30種類のバッテリーEVを展開すると発表したが、これだけの短期間に30もの新機種を混乱なく市場投入できるのは、TNGAによって製品ラインナップが整理されたことと、開発や生産効率向上の成果にほかならない。企業におけるアーキテクチャー戦略の成功例として参考にしたい。

なお柴田教授は、今後はサイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(実空間)の融合したサイバーフィジカルシステム(CFS)の領域が主戦場となるとの予測も行っている。その場合、日本は現場力を含むフィジカル空間に強みを持つのだから、サイバー領域との好循環を生み出し、CFS領域での強さにつなげることができるはず、というのが同教授の論だ。

「産業」や「経済」のアーキテクチャー戦略

アーキテクチャー戦略を、もう少し大きな視点から見てみよう。

柴田教授は、日本経済におけるアーキテクチャー戦略の重要性を説くにあたって、2020年1月に当時経団連会長だった故・中西宏明さんが、経済産業省が主催するセミナーで行った、「Society5.0時代におけるアーキテクチャーの考え方」という講演を持ち出している。この講演はIPA(独立行政法人情報処理推進機構)のYouTubeチャンネルでも公開されている。

中西さんはそのなかで、まずIoTによって膨大なデータを集め、蓄積し、分析できる時代において「価値創造の源泉はデータ」だとする。そしてその前提の上で「全体がどういう構造をもってデータを考えていくか、というアプローチが重要」と語っている。さらに、こうした問題を考えることは「技術屋」の話だけではない。「社会設計」の話であり、企業の「経営のあり方」「組織のあり方」の話だとも述べる。

アーキテクチャーを考え直すことは、一企業にとって一大変革である。それを、「社会」や「産業」において考えるとすれば、従来の産業の分類やビジネスのあり方をいったんリセットし、最適なあり方につくり直していくという、とんでもなく大きな社会変革の話になる。

むろん、これらの変化は一気に進むものとは考えにくい。しかし、今後の日本社会や企業経営の方向性を定めるうえで、アーキテクチャー戦略がキーファクターの一つになるのは間違いない。未来の解像度を上げるために、『IoTと日本のアーキテクチャー戦略』は、今読んでおくべき一冊だろう。

(文=情報工場「SERENDIP」編集部 前田真織) SERENDIPサービスについて
『IoTと日本のアーキテクチャー戦略』 柴田 友厚 著 光文社(光文社新書) 264p 968円(税込)
吉川清史
吉川清史 Yoshikawa Kiyoshi 情報工場 チーフエディター
新しい社会構造に関連して、Web3、DAO(自律型分散組織)、ブロックチェーンといったトレンドワードが跋扈する昨今、TNGAのようなアーキテクチャーは、むしろ時代に逆行しているように映るかもしれない。だが、「分散」というキーワードで語られるWeb3やDAOは、自律、自由を旗印にするものの、決して「無秩序」ではない。「DAOというアーキテクチャー」なのであり、分散型でありつつ一定の秩序を形成するのだと思われる。つまり、DAOのような先端的なアーキテクチャーに至るためには、まず、過度の現場重視により無秩序に向かいがちな傾向を、止める必要があるのではないか。さもなければ、DAOを目指しながら、結果としてバラバラで収拾のつかない組織になってしまいかねないのだろう。

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