「北海道新幹線」カウントダウン!地元の期待、安全対策の全貌教えます
北海道と本州を結ぶ北海道新幹線は、開業まで3カ月を切った。初の新幹線運行に取り組むJR北海道は走行試験や訓練運転を繰り返し、準備は着々と進んでいる。1973年の計画決定から43年。青函トンネルの開業、これに伴う青函連絡船の廃止に続き、津軽海峡に新たな歴史が刻まれる。
北海道新幹線との相乗効果を狙う―。函館空港ビルデング(北海道函館市)は、2015年11月に「『函と館』プロジェクト」を立ち上げた。函館らしい土産物の開発や函館空港内に新たな土産物店を設けるなど、地域の魅力を発信している。
麻織物の店舗展開、土産物としての工芸品の開発を支援する中川政七商店(奈良市)の協力で土産物の開発などに取り組んできた。加賀谷旗店(函館市)では大漁旗の染め技術を生かし、国際信号旗をモチーフとして染め上げた布を用いてバッグを製作した。
同社の若手・中堅を中心とした同プロジェクトの佐藤拓郎総務部経理課係長は「函館は日本の中でいち早く世界に開いた港の一つ。大漁旗を染める店が多くあった。渡す時に背景にある物語を話したくなる土産物を手がけたい」と強調する。
新幹線の開業は函館への注目をより集めることになる。北海道新幹線から函館空港を経て道内各地域に向かう旅行商品がさまざまなところで検討されているという。「一緒に盛り上がることができるはずだ。函館の魅力を広く伝える良い機会にしたい」(佐藤係長)と期待は高まっている。
北海道新幹線の新駅が開業する北海道木古内町は、観光スポットの少ない人口約4600人の小さな町だ。青函トンネル開通から28年。町民は新幹線の開業を心待ちにしてきた。同町は全国的に知名度のある江差、松前両町などと共に、近隣9町で連携して道南西部の魅力をアピール。バス周遊切符や9町共通の観光ガイド育成など、観光客誘致に向け準備を進めている。
木古内駅前で約80年続く酒店を経営する東出邦夫さん(72)。開業に向けた道路拡幅などの駅前整備事業に合わせ、店を新しく建て直した。
青函トンネル開通の1988年。本州からの列車が道内で最初に停車する同駅周辺には観光客が押し寄せ、商店主らは期待を募らせた。東出さんは駅前に連なる34店舗と組合を設立し理事長に就任。「新幹線も数年で通るとばかり思っていた」。繁栄する商店街の夢を描いていた。
しかし、熱気は1年ほどで冷めていった。理事長を16年続けたが、新幹線計画は期待通りには進まず、店をたたむ人も相次いだ。
東出さんが当時、町内産のコメを使い山形県の酒蔵に造らせた日本酒は、その後、町の名産品として紹介されるまでに育った。後継者がなく店を閉めようと考えたこともあったが、今では新幹線で東京などからやってくる人にこの味を知ってもらいたいとの気持ちが強い。
「28年かかって、ようやく開業にこぎ着けた」。日本酒のように時間をかけ醸成された期待が、いよいよ実を結ぶ。新しくした店には、この酒を中心に厳選した酒を並べてある。
木古内町は函館市と江差、松前両町を結ぶ拠点として古くから栄えたが、人口減少は止まらず、88年の約8800人からほぼ半分に落ち込んだ。大森伊佐緒町長(62)は「青函トンネルの開通当初こそ人が来たが、その後はただの通過駅になった。準備不足だった」と振り返る。
2010年、木古内町は新幹線開業を見据え、ニシン漁で栄えた歴史的街並みが残る江差町や、道内唯一の城がある松前町などと9町で「新幹線木古内駅活用推進協議会」を設立した。新幹線駅を中心に連携して誘客を図るのが目的だ。道庁から出向している丹野正樹・木古内町新幹線振興室長は「この地域は江差、松前を抜きにした戦略は考えられない。道内でもかなり早くから準備してきた」と語る。
協議会では、域内を周遊できるバス切符を企画。9町の観光地に通じた「観光コンシェルジュ」2人を3年間かけて養成してきた。旅行業界には、「終点の新函館北斗駅で降りるよりも、早く割安に観光を始められる」と訴えた。「観光プランが組みやすく、道南観光のバリエーションが広がってありがたい」と評判は上々という。
町も駅前に観光情報を発信する観光交流センターを整備。道の駅を兼ね、レンタカー会社や路線バス待合所を併設し、観光をスタートする拠点として活用できるようにした。周辺には300台分の無料駐車場を設け、新幹線で本州に出掛ける人の利用も見込む。
大森町長は、下請け建設会社の社長として青函トンネル開通工事に携わった経験を持つ。「開業が一過性のブームで終わっては意味がない。木古内駅で降りてもらえるリピーターを増やしていきたい」と話す。
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観光にビジネスに、地元は相乗効果狙う
北海道新幹線との相乗効果を狙う―。函館空港ビルデング(北海道函館市)は、2015年11月に「『函と館』プロジェクト」を立ち上げた。函館らしい土産物の開発や函館空港内に新たな土産物店を設けるなど、地域の魅力を発信している。
麻織物の店舗展開、土産物としての工芸品の開発を支援する中川政七商店(奈良市)の協力で土産物の開発などに取り組んできた。加賀谷旗店(函館市)では大漁旗の染め技術を生かし、国際信号旗をモチーフとして染め上げた布を用いてバッグを製作した。
同社の若手・中堅を中心とした同プロジェクトの佐藤拓郎総務部経理課係長は「函館は日本の中でいち早く世界に開いた港の一つ。大漁旗を染める店が多くあった。渡す時に背景にある物語を話したくなる土産物を手がけたい」と強調する。
新幹線の開業は函館への注目をより集めることになる。北海道新幹線から函館空港を経て道内各地域に向かう旅行商品がさまざまなところで検討されているという。「一緒に盛り上がることができるはずだ。函館の魅力を広く伝える良い機会にしたい」(佐藤係長)と期待は高まっている。
木古内、町民開業心待ち。名産品の酒「知って」!
北海道新幹線の新駅が開業する北海道木古内町は、観光スポットの少ない人口約4600人の小さな町だ。青函トンネル開通から28年。町民は新幹線の開業を心待ちにしてきた。同町は全国的に知名度のある江差、松前両町などと共に、近隣9町で連携して道南西部の魅力をアピール。バス周遊切符や9町共通の観光ガイド育成など、観光客誘致に向け準備を進めている。
木古内駅前で約80年続く酒店を経営する東出邦夫さん(72)。開業に向けた道路拡幅などの駅前整備事業に合わせ、店を新しく建て直した。
青函トンネル開通の1988年。本州からの列車が道内で最初に停車する同駅周辺には観光客が押し寄せ、商店主らは期待を募らせた。東出さんは駅前に連なる34店舗と組合を設立し理事長に就任。「新幹線も数年で通るとばかり思っていた」。繁栄する商店街の夢を描いていた。
しかし、熱気は1年ほどで冷めていった。理事長を16年続けたが、新幹線計画は期待通りには進まず、店をたたむ人も相次いだ。
東出さんが当時、町内産のコメを使い山形県の酒蔵に造らせた日本酒は、その後、町の名産品として紹介されるまでに育った。後継者がなく店を閉めようと考えたこともあったが、今では新幹線で東京などからやってくる人にこの味を知ってもらいたいとの気持ちが強い。
「28年かかって、ようやく開業にこぎ着けた」。日本酒のように時間をかけ醸成された期待が、いよいよ実を結ぶ。新しくした店には、この酒を中心に厳選した酒を並べてある。
リピーター「増やす」
木古内町は函館市と江差、松前両町を結ぶ拠点として古くから栄えたが、人口減少は止まらず、88年の約8800人からほぼ半分に落ち込んだ。大森伊佐緒町長(62)は「青函トンネルの開通当初こそ人が来たが、その後はただの通過駅になった。準備不足だった」と振り返る。
2010年、木古内町は新幹線開業を見据え、ニシン漁で栄えた歴史的街並みが残る江差町や、道内唯一の城がある松前町などと9町で「新幹線木古内駅活用推進協議会」を設立した。新幹線駅を中心に連携して誘客を図るのが目的だ。道庁から出向している丹野正樹・木古内町新幹線振興室長は「この地域は江差、松前を抜きにした戦略は考えられない。道内でもかなり早くから準備してきた」と語る。
協議会では、域内を周遊できるバス切符を企画。9町の観光地に通じた「観光コンシェルジュ」2人を3年間かけて養成してきた。旅行業界には、「終点の新函館北斗駅で降りるよりも、早く割安に観光を始められる」と訴えた。「観光プランが組みやすく、道南観光のバリエーションが広がってありがたい」と評判は上々という。
町も駅前に観光情報を発信する観光交流センターを整備。道の駅を兼ね、レンタカー会社や路線バス待合所を併設し、観光をスタートする拠点として活用できるようにした。周辺には300台分の無料駐車場を設け、新幹線で本州に出掛ける人の利用も見込む。
大森町長は、下請け建設会社の社長として青函トンネル開通工事に携わった経験を持つ。「開業が一過性のブームで終わっては意味がない。木古内駅で降りてもらえるリピーターを増やしていきたい」と話す。
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日刊工業新聞2016年1月1日 新春特別企画