トヨタ、章男社長がついに「新工場」へGO!
工場の風景を変えろ!建設への初期投資、08年時比約40%低減にめど
豊田章男トヨタ自動車社長が、ついに首を縦に振った―。2015年4月、新工場建設を凍結してきたトヨタがメキシコと中国に新工場を建設すると発表した。これまで新工場の建設計画案を幾度も突き返してきた豊田社長。右肩上がりの増産計画を続けてきた過去から発想を転換できるのかを見極めてきた。
トヨタが新工場建設を凍結したのは、2000年代前半に急拡大路線に突き進んだ反省があったからだ。「当時はとにかく『台数を伸ばせ』だった」と首脳は振り返る。大量生産ができる大規模な工場を「毎年、二つから四つ建てた」(牟田弘文専務役員)。工場や生産台数を増やせば生産部門は評価されたほどだった。
08年秋のリーマン・ショックで需要が激減すると、大規模な構えがあだとなり大幅赤字に陥った。工場建設の凍結を宣言したのは「量を求めて工場をつくるのではなく、競争力のある工場を徹底的に考える期間が必要」(豊田社長)だったからだ。
「工場の”風景“を変えろ」「画期的に投資額を下げろ」。生産技術部門には高いハードルが課された。大型設備はシンプル・スリム化した。車両組み立てラインでは”天井からつらない、床を掘らない“をコンセプトに生産設備の移設を容易にし、需要に応じてライン長を伸縮できるようにした。
こうした生産技術革新によって工場建設の初期投資は08年時比約40%低減するめどをつけた。豊田社長ら上層部は、ついに凍結解除にゴーサインを出すに至った。メキシコ新工場は19年に稼働する予定だ。
トヨタが単なる量的拡大から決別できたかどうかは、その実際の”成果物“を見てはじめて評価できる。首脳も「実際に建つ工場が絢爛(けんらん)豪華だったら凍結期間の意味がなくなる」とクギを刺す。トヨタの競争力のある工場づくりは、これからが真の正念場となる。
(文=名古屋・伊藤研二)
“1000万台”の向こうにはどんな世界が広がっているのか―。トヨタ自動車の2013年の世界生産台数は、自動車業界として初めて年間1000万台超を果たした。一方で世界販売台数は1000万台にわずかにおよばず、快挙達成は14年に持ち越しとなった。新車販売台数世界一の自動車メーカーの座を2年連続して確保したものの、14年も厳しい競争が予想される。前人未到の領域で成長を目指すトヨタに待ち受けるのはどんな未来なのか。
過去に米ゼネラル・モーターズ(GM)やトヨタ自身も挑戦し、はね返されてきた世界販売台数1000万台の大台超え。この壁を越える難しさについて、トヨタ首脳はこう話す。「自社の努力で成長できるのは、年間600万台まで。それを超えると、自分たちの力だけではどうにもならない部分が多くなる。1000万台規模の自動車メーカーとなれば、どうしても国家のような大きな存在を背負わざるを得ない」。
確かに世界トップを競う自動車メーカーはいずれも、その国を代表するブランドとして確立されている。トヨタは日本、GMは米国、フォルクスワーゲン(VW)はドイツと、各国のイメージの一部を担う存在だ。
当然ながら、ビジネスには政治情勢が大きく影響を与える。世界地図を眺めると、対日関係で緊張をはらむ中国ではVWとGMが覇を競うのに対し、トヨタなどの日本勢は後塵(こうじん)を拝してきた。一方で中近東やアフリカといった過去に欧州に植民地化された国々ではトヨタ車の存在感が大きい。
巨大化ゆえの不安定要因も増える。世界販売が900万台を超えるトヨタなど3社はいずれも、世界の自動車市場に占めるシェアは11―12%になる計算だ。各社の業績は、世界経済全体の動向に大きく影響される。
世界トップの座を確保した12、13年は、大きな経済危機や天災は起こらず、本来の力を見せつけたトヨタ。08年のリーマン・ショック以降続けてきた地道な改善努力が花開いた形だ。ただ14年はタイやインドなどの新興国で停滞が長引く見通し。さらに好調が続いてきた米国でも新車販売に減速の兆しがある。超巨大企業のかじ取りは難しさを増しそうだ。
自動車業界初の世界生産1000万台超を果たしたトヨタだが、首脳陣には危機感が強い。「ここまでこれたのは、社員をはじめ、みんなのがんばりがあってこそ。しかし慢心が怖い。まだまだ目指す理想の姿には程遠い」(トヨタ首脳)。トヨタが目指す「真の競争力」の答えはまだ見えていないようだ。
最大の課題は「人が育っていないこと」(同)。生産能力を急拡大させたリーマン・ショック前の数年間。張富士夫名誉会長など当時のトップみずから「兵たん線が伸びきっている」と、人材を含めて相当な無理をして拡大路線を取っていることを認めていた。
今でも、人材をじっくりと育てる余裕がない状況には変わりないようだ。「重要な技術を部品メーカーに頼ったり、重要な工程を期間従業員に任せたりと、外部頼みが多い。社内にどれだけ真の実力があるのか」(同)と戒める。
実際、生産設備関連企業の幹部はこうこぼす。「昔のトヨタマンは生産機械のことを本当によく知っていた。最近では機械のことを話してもまず価格ありきで話が通じない人が増えた」。
課題のもう一点は、多様化する世界のニーズにかならずしも応えきれていないことだろう。新興国向け自動車はその一例。10年にインドを皮切りに投入した小型車「エティオス」の販売は当初の計画台数に届いておらず、マルチ・スズキをはじめとする安価な現地製のクルマに対抗できているとは言い難い。タイで13年に発売した新型「ヴィオス」も苦戦を強いられている。
エティオスやヴィオスは新興国向け低価格乗用車「エントリー・ファミリー・カー(EFC)」シリーズを構成する重要な戦略車。先進国向けと新興国向けの販売比率を5対5にするという経営戦略の柱を担うクルマだ。
トヨタの技術開発の中心はあくまで日本。日本の中核拠点と、現地市場に合わせた適合開発を手掛ける海外の拠点とがいかにうまく連携して、世界各国で受け入れられるクルマを作るか―。そして世界各国のニーズをいかにくみとって迅速に開発に反映するかが成長に向けた大きな課題だ。
生産が1000万台を超えたとはいえ、その中身は従来のトヨタの延長線上にあるものだ。もともと強い生産部門の取り組みを先鋭化させ、需要変動に強いモノづくりや原価低減などを進めてきた。販売面では強い基盤を持つ米国や日本の好調さに支えられた。
だが、本当に「新しいトヨタ」を打ち出せたかというと、それは道半ばといえる。豊田章男社長が進める「もっといいクルマづくり」の成果を出していくことが、持続的成長には不可欠となる。
次ページは「どうする部品メーカー」
トヨタが新工場建設を凍結したのは、2000年代前半に急拡大路線に突き進んだ反省があったからだ。「当時はとにかく『台数を伸ばせ』だった」と首脳は振り返る。大量生産ができる大規模な工場を「毎年、二つから四つ建てた」(牟田弘文専務役員)。工場や生産台数を増やせば生産部門は評価されたほどだった。
08年秋のリーマン・ショックで需要が激減すると、大規模な構えがあだとなり大幅赤字に陥った。工場建設の凍結を宣言したのは「量を求めて工場をつくるのではなく、競争力のある工場を徹底的に考える期間が必要」(豊田社長)だったからだ。
「工場の”風景“を変えろ」「画期的に投資額を下げろ」。生産技術部門には高いハードルが課された。大型設備はシンプル・スリム化した。車両組み立てラインでは”天井からつらない、床を掘らない“をコンセプトに生産設備の移設を容易にし、需要に応じてライン長を伸縮できるようにした。
こうした生産技術革新によって工場建設の初期投資は08年時比約40%低減するめどをつけた。豊田社長ら上層部は、ついに凍結解除にゴーサインを出すに至った。メキシコ新工場は19年に稼働する予定だ。
トヨタが単なる量的拡大から決別できたかどうかは、その実際の”成果物“を見てはじめて評価できる。首脳も「実際に建つ工場が絢爛(けんらん)豪華だったら凍結期間の意味がなくなる」とクギを刺す。トヨタの競争力のある工場づくりは、これからが真の正念場となる。
(文=名古屋・伊藤研二)
世界生産1000万台、「人づくり」カギ
日刊工業新聞2014年1月24日付
“1000万台”の向こうにはどんな世界が広がっているのか―。トヨタ自動車の2013年の世界生産台数は、自動車業界として初めて年間1000万台超を果たした。一方で世界販売台数は1000万台にわずかにおよばず、快挙達成は14年に持ち越しとなった。新車販売台数世界一の自動車メーカーの座を2年連続して確保したものの、14年も厳しい競争が予想される。前人未到の領域で成長を目指すトヨタに待ち受けるのはどんな未来なのか。
壁を越える
過去に米ゼネラル・モーターズ(GM)やトヨタ自身も挑戦し、はね返されてきた世界販売台数1000万台の大台超え。この壁を越える難しさについて、トヨタ首脳はこう話す。「自社の努力で成長できるのは、年間600万台まで。それを超えると、自分たちの力だけではどうにもならない部分が多くなる。1000万台規模の自動車メーカーとなれば、どうしても国家のような大きな存在を背負わざるを得ない」。
確かに世界トップを競う自動車メーカーはいずれも、その国を代表するブランドとして確立されている。トヨタは日本、GMは米国、フォルクスワーゲン(VW)はドイツと、各国のイメージの一部を担う存在だ。
当然ながら、ビジネスには政治情勢が大きく影響を与える。世界地図を眺めると、対日関係で緊張をはらむ中国ではVWとGMが覇を競うのに対し、トヨタなどの日本勢は後塵(こうじん)を拝してきた。一方で中近東やアフリカといった過去に欧州に植民地化された国々ではトヨタ車の存在感が大きい。
巨大化ゆえの不安定要因も増える。世界販売が900万台を超えるトヨタなど3社はいずれも、世界の自動車市場に占めるシェアは11―12%になる計算だ。各社の業績は、世界経済全体の動向に大きく影響される。
世界トップの座を確保した12、13年は、大きな経済危機や天災は起こらず、本来の力を見せつけたトヨタ。08年のリーマン・ショック以降続けてきた地道な改善努力が花開いた形だ。ただ14年はタイやインドなどの新興国で停滞が長引く見通し。さらに好調が続いてきた米国でも新車販売に減速の兆しがある。超巨大企業のかじ取りは難しさを増しそうだ。
慢心が怖い
自動車業界初の世界生産1000万台超を果たしたトヨタだが、首脳陣には危機感が強い。「ここまでこれたのは、社員をはじめ、みんなのがんばりがあってこそ。しかし慢心が怖い。まだまだ目指す理想の姿には程遠い」(トヨタ首脳)。トヨタが目指す「真の競争力」の答えはまだ見えていないようだ。
最大の課題は「人が育っていないこと」(同)。生産能力を急拡大させたリーマン・ショック前の数年間。張富士夫名誉会長など当時のトップみずから「兵たん線が伸びきっている」と、人材を含めて相当な無理をして拡大路線を取っていることを認めていた。
今でも、人材をじっくりと育てる余裕がない状況には変わりないようだ。「重要な技術を部品メーカーに頼ったり、重要な工程を期間従業員に任せたりと、外部頼みが多い。社内にどれだけ真の実力があるのか」(同)と戒める。
実際、生産設備関連企業の幹部はこうこぼす。「昔のトヨタマンは生産機械のことを本当によく知っていた。最近では機械のことを話してもまず価格ありきで話が通じない人が増えた」。
課題のもう一点は、多様化する世界のニーズにかならずしも応えきれていないことだろう。新興国向け自動車はその一例。10年にインドを皮切りに投入した小型車「エティオス」の販売は当初の計画台数に届いておらず、マルチ・スズキをはじめとする安価な現地製のクルマに対抗できているとは言い難い。タイで13年に発売した新型「ヴィオス」も苦戦を強いられている。
エティオスやヴィオスは新興国向け低価格乗用車「エントリー・ファミリー・カー(EFC)」シリーズを構成する重要な戦略車。先進国向けと新興国向けの販売比率を5対5にするという経営戦略の柱を担うクルマだ。
トヨタの技術開発の中心はあくまで日本。日本の中核拠点と、現地市場に合わせた適合開発を手掛ける海外の拠点とがいかにうまく連携して、世界各国で受け入れられるクルマを作るか―。そして世界各国のニーズをいかにくみとって迅速に開発に反映するかが成長に向けた大きな課題だ。
生産が1000万台を超えたとはいえ、その中身は従来のトヨタの延長線上にあるものだ。もともと強い生産部門の取り組みを先鋭化させ、需要変動に強いモノづくりや原価低減などを進めてきた。販売面では強い基盤を持つ米国や日本の好調さに支えられた。
だが、本当に「新しいトヨタ」を打ち出せたかというと、それは道半ばといえる。豊田章男社長が進める「もっといいクルマづくり」の成果を出していくことが、持続的成長には不可欠となる。
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日刊工業新聞2015年12月11日自動車面